半世紀以上前の私の記憶では、


「肥後米」が、ダントツに、おいしかったです。

江戸時代は「最高級米」

でも、


今は、「絶滅????」


肥後米;
肥後のブランド米
 江戸時代の終わりごろ、大坂の堂島米会所では、肥後米は特に良質で、ほかのコメとは別に相場が立てられ、その価格は全体の相場に影響を与えていた。問屋が集まって組織した江戸十組問屋が、肥後米に注文を集中させたことがあったというほど、その評価は高かったそうだ。
 文化年間(1804-1817年)、細川氏の領内には熊本(東西)蔵・川尻蔵・八代蔵・高瀬蔵・大津蔵・鶴崎蔵・久住蔵、7ヵ所の年貢米を納める御蔵があった。そのうち大坂の市場へ送られていたのは、川尻と八代、高瀬の蔵に納められたコメ。
 高瀬蔵からの積み出し量が最も多く、全出荷量約40万俵のうち20万俵ほどを占めたこともあった。熊本ではコメ1俵が3斗5升(約53kg)と定められており、このときの積み出し量は約1万tだったことになる。








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奇跡起こした福岡の「みやま米」 国内最大級のコンクールで最高賞

西日本新聞 9月17日(土)8時10分配信



 福岡県の「みやま米」が奇跡を起こした。2012年11月、国内最大級の規模を誇る「米・食味分析鑑定コンクール」の国際総合部門で最高賞の金賞を九州で初めて獲得したのだ。契約していた農家の米だった。決定の瞬間、喜びを爆発させた。「これまでやってきたことは間違いじゃなかった」

 米穀店の3代目だが、学生時代は跡を継ぐ気はなかった。「都会で働いてみたい」と福岡市役所の職員になった。農業とは縁のない土木系の職場などで働いていたが、結婚を機に考えが変わり、28歳で退職して家業を継いだ。

「九州の米はおいしくないという先入観を覆せた」

 「昔からみやまの米はうまいと思っていた」。だから、米穀店で働き始めて、気になることがあった。もっと農家がもうかっていいんじゃないか。生産者が喜ぶ値段を設定し、消費者に買ってもらうにはどうするか。答えは「ブランド化」だった。

 行政や農協に相談したが乗り気ではなく、自分で動き始めた。既に取引があり、農薬や化学肥料を極力使わずに米を作っている農家に声を掛けた。2011年、「山川の米」と銘打って道の駅で販売すると、期待以上の売り上げだった。もっと広域でも売れるんじゃないか。新しい故郷の名「みやま」を冠した。

 その後のコンクール金賞で自信は増した。「九州の米はおいしくないという先入観を覆せた」。反響は大きく、一流料亭から引き合いがきた。東京・銀座や渋谷の米専門店に並んだ。大手百貨店のカタログギフトにも載った。

「古里を守っていける米屋になりたい」

 農業関係者は今、環太平洋連携協定(TPP)を巡る動きに神経をとがらせている。「TPPには反対だが、関税が引き下がることで、おいしい日本の米を輸出する好機だ」と前向きにとらえる。

 みやま米はなぜうまいのか。そう聞かれる度に、「とことんこだわる農家」の情熱的な姿が浮かんでくる。新たな栽培法を探り、肥料の量を変えて実験するなど分析を欠かさない。

 秘めた思いがある。「米を作ってみたい」。危機感が背中を押す。「農家の高齢化が進んでいるのに、若い後継者がほとんどいない。このままでは休耕地が増えてしまう」。時間ができれば、農家と向き合う。「古里を守っていける米屋になりたい」。思いは強まるばかりだ。





西日本新聞社

最終更新:9月17日(土)11時21分
西日本新聞