赤ちゃんの頃から今までの写真、卒業アルバム、写真ネガ全て処分。

 

それは私の知人です。

 

アルバムはかさばるから、という事でした。

 

凄い思い切ったことをしたな、と思ったら

写真と卒業アルバムはデータ化したからとのことでした。

 

そういう方法で写真をコンパクトに整理する

方法があったのですね。

 

私は若気の至り写真やピンボケ写真やつまらない思い出を含む写真

を大量処分。そして、アルバム2冊も処分。ネガも処分。

(現像することはないでしょうし)

 

(処分した写真全部です。16センチ定規を置いてみました。

約11センチ分の厚さがありました。)

 

(デジカメが出る前は撮ってから確認が出来ないので

同じようなアングルの写真があったり、目をつぶってしまったり、

ピンボケがあったり・・・。)

 

(写真は何日かに分けてどれを捨てるか厳選して選びました。

厳選まで半月かかりました。)

 

 

卒業アルバムは幼稚園と小学校と専門学校のを

処分しました。

 

完全処分ではなく、自分が写っている写真を切り取って

アルバムに収めておきました。

 

写真や卒業アルバムを捨てる時は捨てて後悔しないだろうか。

まるで過去の自分が葬られたみたいで切なくなりました。

 

暗黒時代だらけの私ですが、過去の私自体は嫌いではないので

写真を捨てて私が私を否定しているような気分でした。

 

それなら捨てなきゃいいのにと

思われるかもしれませんが、子供が成長するにつれて

子供の荷物が増えてきたので捨てる覚悟をしました。

 

イザ捨ててみたらスッキリした気分でした。捨てて後悔は

ありませんでした。過去の写真が無くても生きていけると

感じました。

 

現像する時は写真をよく厳選してから

現像しないと写真だらけになるので

今後は選んで現像しようと思います。

 

これからは子供との楽しい思い出の写真や、

子供が愛されて育ったことが分かる写真を残して

愛情を繋いでいきたいですね。

 

 

 

 

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私は子供時代、家にも学校にも居場所が無く

窮屈に過ごしていました。

 

子供だと学校や家庭という狭い社会から

抜け出すのは難しいと思います(あくまで私の感覚)。

 

大人であれば子供よりも居場所を探すことが出来ると

思うのですが、子供だと知識、判断力や経済力等色々と邪魔をして

居場所を探しにくいかもしれません。

 

なので、発達障害の有無関係無しに

虐待を受けている子、学校で居場所が無い子や

虐められている子共向けの施設(シェルター的な場所)が

あればと思います。

 

一時的に過ごせる場としても利用していいし、

勉強したり、遊ぶことが出来たり。

 

子供でも宿泊可能な施設(ショートステイでも良し)、

毒親から逃げる為の施設があればいいですね。

 

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発達障害あるあるあるある話。

 

・幼児期あるある。「自分の持ち物と他人の持ち物の区別が付かない」

 

これは私のあるあるで全ての当事者さんに当てはまるとは限らないですよ。

 

幼稚園の時、みんな園指定のカバンだったので

自分のカバンと他人のカバンの区別が付かなくて

間違えて持って帰ったり、

 

 

私と同じ靴の子がいて間違えて履いて帰ったり・・・。

 

(カバンや靴に名前が書いてあっても間違えてしまう)

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このブログでは過去の虐めの恨みつらみ(笑)を

書いてきましたのですが・・・。

 

最近思ったことがあります。

 

私は相手(いじめっ子)に失礼な事をしたり、

悪気無く傷つけてしまった可能性があるのでは?と。

 

発達障害ゆえ、ありがちかもしれません。

 

でも、相手に何をしたか記憶にないですね・・・。

 

仮に同窓会が開催されて虐めっこに再会して

私が何かしてしまったのが分かったら謝りたいです。

 

いじめっ子に謝って欲しいと思っていたのですが、

謝るのは私じゃないか?と感じています。

 

もちろん、私がどんなにひどい事をしたとしても

私にどんな理由があったとしても虐めてはいけないですが。

発達障害あるある話。(すべての当事者さんに当てはまるとは限らないですよ)

 

・固定観念に捉われる

 

子供の頃から人は周りの人たちから、もしくは

入ってきた情報から様々な固定観念を植え付けられます。

 

それが正しいと思えば受け入れ、間違っていると

思えば受け入れないことも出来ます。

 

発達障害者とお話してみると定型の人よりも

固定観念で縛られているなと感じています。

(私の主観です)

 

私は今まで様々な固定観念に縛られていて

苦しかったです。

 

・友達はたくさんいないといけない。

(友達は欲しければ作ればいい。

作れなくても生きていける。

合わない人と仲良くしようとしなくてもいい。

友達がいなくても少なくても魅力的な人はいると

気づいたのは最近)

 

・友達が少ないから友達になってくれるだけで

有り難いもの。友達を止めてはいけない。

 

(子供の頃から植え付けられていた価値観です。

なので、私を虐めて遊ぶ子や私をバカにする子。悪い子とも

関わっていました。そういう人と一緒にいても

お互いの為にならないと当時の私に教えてあげたい)

 

・一度勤めたら3年はガマン。何があっても自分から

辞めないこと。

(ブラック企業や向いていない職業や会社なら

すぐ辞めたほうがいいと思うのですが)

 

などの固定観念に縛られていました。

 

 

 

 

 

 

毎週、水曜の夜10時は夫婦で過保護のカホコを

観て楽しんでいます。

 

夫「カホコはどう見ても発達障害でしょ。

 

友達居ないし、考えもしないで行動したり、

空気読めないし。世間知らずで常識無いし、

 

人には表と裏があるのを知らなかったし。」

 

みたいなことを言っていました。

 

ウチの夫は発達障害について詳しくなったなぁと

嬉しくなりました。

 

ドラマを見るにつれてカホコは発達障害だと

感じてきました。

 

カホコはドラマの中でインターンとして児童館で働くのですが、

余りの不器用さを見て発達障害だなと思いました。

 

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https://ameblo.jp/blogland/entry-12295317854.html

(ドラマ、過保護のカホコ)

 

 

 

 

発達障害。言われてイヤだった言葉

 

・「ウチの来は頑張っていない。」

 

言われて嫌というより、聞いていて嫌だった言葉です。

 

発達障害児の親御さんとお話をすると

お子さんのお話になるのですが、

私が発達障害の子は頑張っているみたいなことを言うと

たいてい親御さんは

 

「ウチの子は頑張ってなんていないですよ。

勉強しないし、忘れ物ばっかだし。」

「将来が不安じゃないのかしら。ホントに呑気で・・・。」

 

みたいなことをおっしゃいます。

 

そうなのだろうか。学校では定型の生徒についていこうと

必死になったり、気を使ったり、周りは敵だらけかもしれないし、

学校に通っているだけで十分頑張っていると私は思います。

 

学校に行っていないとしても、定型社会という異文化の中で

生きているだけで頑張っていると思うのですが。

 

頑張っていても表に出せない子・出さない子もいるし、

呑気そうに見えても心の中ではどうしようか考えているかも

しれないし、親子関係が希薄で親に心の内を明かさない子もいるし。

 

定型社会では、この人はこうなんだと思い込めば不実が

事実になってしまうので怖いなと思います。

 

「アンタのどこが頑張っているのよ!?

中学2年なのに進路の事考えていないし、ぜんぜん勉強していないし(怒)。」

 

私が中学生の時よく母から言われました。

 

進路は考えている。

相談しないのは親が精神的に頼りにならないから。

何か言えば頭から否定するから。

 

勉強はしている。家は狭いし気が散るから図書館で勉強したり、

親が仕事で家に居ない時に勉強している。

テストの結果と自分(親)が家にいる時だけの私を見て

判断しないでよ。と

 

そう言っても信じて貰えませんでした。

 

子育て中の親御さんへ。

 

どのお子さんにも色々な面があると思います。

態度と中身が一致しないこともあります。

親が見ただけ、断片的な情報だけでお子さんはこうだと

決めつけないで欲しいですね。

 

 

 

 

中学の時の卒業アルバムを数年ぶりに見て

中学時代の色々なやらかしエピソードが蘇りました。

 

学校では1人で居ると浮いてしまい、おまけに先生やクラスメートたちから

友達を作れ、自分から話しかけなさいと言われ・・・。

 

友達は欲しいけれど、自分から話しかけても皆逃げていくし、

私が誰かと話せば「真理子と話すと嫌われるよ。」「友達出来なくなるよ。」

と邪魔をしてくる男子H.Tがいました。

 

なので、勇気を出して私に話しかける人はいませんでした。

 

1人で居る所を見られたら先生は親に「真理子さんは1人でいる事が多い。」なんて

言うでしょう。そうしたら親に怒られる。

 

何が何でも誰かと一緒に居なければと追い込まれました。

 

私は大人しそうな女子クループに入ろうとしました。

でも、入ってすぐに私を受け入れていない空気を感じました。

 

話の輪に入れてはくれるけれど、私に話を振らない。

移動教室の時は私を巻いて逃げる。1人で居ると

周りの目が気になり、浮いてしまうので私は逃げた子たちを追いかけました。

これではストーカーですね。

 

諦めて1人を選ぶか、

 

他のグループに入る方法があるのですが、

どちらかにする考えにはなりませんでした。

 

私を嫌がっている相手の気持ちになる余裕もありませんでした。

今思うと酷い人間(私の事)だと思います。

 

虐められてもイヤミを言われても嫌われていても、避けられていても

私は追いかけまわしたようなものでした。

 

私は彼女たちの1年間を台無しにしたようなものかもしれません。

どこかで彼女たちと再会出来たら謝りたいです。

(謝られたらビックリされそうですが)

 

 

 

 

 

 

私は卒業文集の他に小学生の時のクラス文集を持っています。

 

文集のテーマは自分の家族についてでした。

 

みんな親や兄弟のことを書いていました。

 

私は毒親に毒兄弟に囲まれて育ったので

家族の事を書くのは苦痛でした。

 

”父は気に食わない事があれば私に八つ当たりし、

母はすぐに同級生の子たちと比べる。

お兄ちゃんは家に友達を連れてくるときは私を

家から追い出します。私のことが恥ずかしくて

会わせたくないからです。”

 

なんて、書けませんし。

 

話がズレそうなので置いておいて。

 

家族の事を作文に書いて、親に読んだ感想を作文に書き込んでもらうように

との事で皆親から感想を書いて貰っていました。

 

いじめっこAさんの作文を読んだ親御さんの返事が

「思いやりがある優しい子に育って良かったです。

これからも優しい気持を忘れないでね。」

みたいなことが書いてあり、「は?」と思いました。

(その優しい気持ちを私に見せてくれればいいのに)

 

いじめっこAさんだけでなく、他のいじめっ子たちも似たように

自分の子供に対して肯定的な評価を親から貰っていました。

 

きっと、家と学校とではキャラが違うんだろうな。

親の前ではいい子なのかもしれない。

これじゃあ、自分の子供が学校でクラスメートを虐めているのに

気付かないだろうなと思いました。

 

さて、ウチの親は何を書いたか?

 

実は・・・。作文を期限内で提出出来なかったのと、

親から読んだ感想を貰うのを忘れて私は文集に載せて

貰うことが出来ませんでした。

 

私の作文が掲載されていない文集を貰ったのは

おかしな気分でした。(それを今も持っているのも

おかしいですが)

 

後に母が同級生のお母さんから

「真理子さんの作文だけ載っていないんだけどどうして?」と

聞かれたとのことでした。私は母に事情を話したら

大目玉を食らいました。

 

私が悪いのですが、毒家族に囲まれて育った児童に

家族の作文を書かせるのは鬼の所業ですね(言い過ぎですが)。

複雑な家庭環境の人や親から虐待を受けていたり虐げられている生徒だって

いるはずでしょう。

みんなが温かい家庭で育っているとは限らないのに。

 

 

 

私は学生時代(小、中学時代)、

教室を間違える事がよくあったのですが、これは発達障害あるあるなのでしょうか?

 

特にクラス替えをしたばかりの時期や疲れた時、

ボーッとしている時に教室を間違えやすいのです。

 

自分のクラスだと思って教室に入ったら

違うクラスの生徒の呆れた視線、えっ!とビックリした視線が

刺さったのを覚えています。

 

他のクラスの人がいきなり入ってきたらそういう反応に

なりますよね。

 

教室からは大笑いの嵐。

恥ずかしくて教室を飛び出したこともありました。

 

私がしでかしたことを忘れてくれる

おまじないや魔法があったらいいなと

思った事は何度もありました。

 

高校に入ってからは間違えることは無くなりました。(良かった良かった)