その店には、おとなの落ち着きがあって、たった一杯のアペリティフでたやすく酔っ払ってしまったようなわたしのはしゃいだ声は、明らかにちょっと浮いていたと思う。だけど、わたしのちょっと弾んだしぐさや振る舞いは、多分、その空間で許容してもらっていたのだとも思う。若いのにきちんとした物腰のウェイターは丁寧だったし、なぜだかわたしには注文されていないデザートがひとさら余計にサーブされたのだった。
目の前のひとは、微笑っていた。こんなふうに正面からこのひとの顔を見るのは何週間ぶりだろう、とわたしは考える。思い出そうとする。思い出せない。
わたしがこのひとの姿を見つめるのは、わたしがななめ後ろにいるときだけだ。それかまったくの後姿を眺めるしか、ない。
「何を見ているの?」
唐突に問われて、わたしはなんだか核心をつかれたような気になる。わたしはこのひとの顔が好きだ。整っていて、ちょっと昔の美男子っぽい。イケメン、という言葉はちょっと似合わない。だけど、このひとにはファンを公言している女性も少なくないと言う。・・・わたしも「ファンです」なんて言葉を話しかけるきっかけにしたのだけれども。
「顔・・・顔を見てたの。」
頬が、赤らむのが自分でわかる。いいえ、昼下がりのティオ・ぺぺが急に回ったのだわ。背伸びして・・・背伸びというには十分歳は行っていると思うのだけれども・・・しっかりしたアルコールをオーダーしてしまったことを少しだけ恥ずかしく思う。正午より幾分遅れて始まったお昼のハーフコースはもうほとんど終わって、わたしたちの前にはソルべの空いたグラスと、半分ほどに減っているデミタスコーヒー、わたしの前にだけ、「シェフからのプレゼントです」とウェイターの青年が運んできたチーズケーキのお皿があるきりだ。
「いつもと同じだろ?」
「ち、違うわ!」
反射的に声を上げてしまって、わたしは肩をすくめる。幸い、眉をひそめられたようなこともなさそうだ。
「・・・・違うわ・・・。」
視線が、半分になったチーズケーキに落ちる。
「・・・でようか?」
「うん・・・あ、待って。」
「何?」
「チーズケーキ。おいしいの。せっかくだから全部食べていく。」
「ああいうところ、好きだな。」
運転席で正面を向いたまま、いきなりあなたは言う。車は走り出してからもう15分は経っているだろうか。日常から遠ざからないと、一緒にはいられない・・・そんな現実を直視することを、わたしはこころの中で避けた。
「どういうところ?」
「ものを大事にして、相手の気持ちを大事にするところ。」
「そ、そうかな?」
「そう。それが普通になってるところが、俺は好き。」
照れているのだろうか?あなたはこっちを向かない。だからわたしもどきどきしながら、ただ前を見ている。
ああ、こんな、ふたりして前を見ている空間なんかにいたくない!
ううん、ふたりっきりでこんなに近くにいられるこの時間、終わって欲しくない!
わたしはこのひとが好きなんだ。
目指すホテルの駐車場にあなたは車をすべりこませる。
エンジンを止めると、
「あ・・・俺も食前酒欲しかったな。」
「え?駄目でしょ?運転するからってあなた言ったじゃない?」
「ここに素敵な食前酒があった。」
あなたはわたしの耳の後ろから手をまわしてわたしを引き寄せると、長く、甘く、酩酊するキスを、した。
そして、わたしはそれだけで、はしたなく濡れてしまっていたのだ。
(続く・・・かも?)