わたしは昔、フェミニストの端くれであった。
男女共同参画をアピールするポストカードをコンペで助成金もらってこさえ、
男女共同参画についての自治体が出す広報誌にイラストを描き、
別の自治体の出す広報誌では編集をやり、
男女共同参画についての模擬議会に参加して、
妊娠6ヶ月のハラを抱えて質問者なぞやったものであった。
で、学習を進めていくうちに、フェミはフェミでもそれぞれの立場があって、
フェミだから手を携えて共に進もう、というわけにはいかぬことに気がついたり、
学習を進めていけばいくほど自分自身の存在する環境にがっくりきたり、
フェミ、というコトバや概念を知らないはずのひとの方がよっぽどフェミ的に
軽々と自由自在に生きていることに自信を失ってみたり、
フェミ内のヒエラルキーにがっくりきたり、
フェミの象徴としてマスコミがたてまつりながら哂っているタレントまがいの
ひとの言動にくらくらしたり、
フェミ&ジェンダーイコール教育などへのバッシングにむかむかしたり、
そんなこんなで、現在はフェミのおちこぼれ、として生きている。
おちこぼれだから、日常ではもうあんまり男尊女卑に反応しないことにしている。
反応すると、自分が消耗するだけ、ということも多いからである。
しかし、こないだ、ひさびさに、
こいつはちょっとどうだろう、
と思うことに遭遇した。
それは少年サッカーの試合。うちのチームの相手チームには女子の選手がいた。
なかなかうまい。
うちのロナウジーニョ(w猛烈に上手い子がいるのよ。なのであたしは
おなかのなかでその子を「○○小のロナウジーニョ」と呼んでいる)とマッチアップだ!
そこに、その子のおかあさんが叫んだ!
「おんなになんか負けるな!」
「( ゚ ▽ ゚ ;)(←これあたし)ハァ?イマ ナンテ・・・?」
おいおいおい、それ、差別してねぇ?
その子のきょうだいには女の子もいる。その子が同じ状況になったら、
「おとこになんか負けるな」と言うのかいあなたは?
言うならそりゃあたしゃなにも申しませんけど(いわないタイプなのは明白だから)。
逆に、自分の子が女の子で、逆にそういわれたらアタマにこないか?
アタマにこないとするなら、おんななら負けていいのか?おんなだからしょうがないのか?
そんなこたぁないだろう。体力的には男女の差ははっきりしているけれども、
少年サッカーについては個体差の方が大きいと理解されているからこそ、
少年サッカーには男女の区別がないのだろ?
ひっさびさに、ものすごい無意識の差別感覚を目の当たりにした。
まあ、スポーツ少年団ってのは、おとうさんは力仕事、おかあさんはお茶出しに炊き出し、
お茶を出すのもまず男様に差し上げてから、という、絵に描いたようなジェンダーの
見本市であるのだけれども。それにすこしでも順応しないと、わたしは居場所がないので、
頑張って順応してみせてるんだけど(なのでフェミとしては落ちこぼれる)。
うちの団、女の子の選手いないからなぁ。
親と一緒に見に来ている女のきょうだいはいるんだけど、サッカーしようとは言わないんだよなー。
それもどこかで、「サッカーは女の子のするもんじゃない」と思い込んでるふしもあるんだよなー。
子ども自身が。
それはとりもなおさず、その子どもの家族の持つ文化であるわけで。
それは生来の傾向ではなく、小学校の低学年にしてすでに学習された性差。
その、「おんなに負けるな」ってのも、そのおかあさんの生きる家族社会の文化。
そして、家族文化は家族単位で継承されていく。
そのひと自身がその文化で自分が女性であることを卑下して生きていきたいなら勝手にするといい。
だけど、これからのひとを、つぶすな。
あたしは、その試合の後、そっと相手チームの女の子に声をかけた。
「ナイスプレー。おんなとか関係ないから。負けんなよ。」
その子は、一瞬きょとん、としたけど、
ぺこん、とお辞儀して、にこん、と笑った。
ちなみに、その「おんなに負けるな」の発言元には、その旨の教育的指導wはしなかった。
残念ながら、話してわからない相手ってのはいるんだ。
わたしも自分の立場をあやうくする気にはなれなかったし。
そう。そもそもあたしはジェンダーにはまってないので、「かわりもの」なのであるからして。