先日、車のオイル交換をしてきた。

 規定の距離よりも毎回早めに交換している。

  

 オイル交換した後のエンジン回転数は、

 交換前より回転数は低くなり落ち着いている。


 エンジンの負担は軽くなり乗っていても気持ちがよい。

 燃費も良くなって走りもよい。



 エンジンオイルを血液に例えると、

 オイルが劣化してくるとエンジンの負担になる。

 からだでは心臓に負担が出てポンプ作用が機能しなくなる。

 


 故障した車は交換すれば再現性が出てくるが、

 人間のからだは機械のように動いても交換は簡単に済まない。


 できる臓器もあるかもしれないが、しても拒絶反応が待っている。

 

 近代科学はからだを機械のように考えて、

 分析・メカニズム・数値に着目し発展してきた。


 この考え方を押し通すのはそろそろ限界ではなかろうか?

 

 「からだを機械として、病気は機械が故障した結果として、

  壊れた機械を交換・修繕すれば良い」という考えは・・・


 

 からだの調子が悪くなった時に、

 最初はどこが痛むのか探すことは普通である。


 前回紹介した「右腰の痛み」の患者さんのように、

 からだの部分に注目することはわかる。


 そして、悪い部分(痛い部分)を、

 発見し指摘してもらうことを期待する。

 

 「手当て」というように痛む場所に、

 自然と手を当てるのは本能である。


 悪い部分を指摘されると

 不安の中で安心するようだ。


 反対に悪い部分(痛い部分)を指摘されないと、

 不安を募らせて他院で診てもらうかとも成りうる。


 病気という状態でからだの部分を異常と捉えるのは、

 治療者と患者の双方の常識になっている。



 近代科学が作り出した要素還元主義が、

 人間のからだにもそっくり取り入れられている。


 人間は心とからだの両方から成り立っていると、

 知りながらいざ病気になると心を切り離し、

 からだという物質だけしか考えない。


 東洋医学では心とからだを切り離したり、

 からだの部分だけを捉える部分主義は取らない。


 心とからだは一体ということが常識になっている。

 数千年それなりにやってきている。


 西洋の常識と東洋の常識が正しいのではなく、

 これらの常識は絶対的に普遍的ではないこと。



 石川光男氏によると知らずに知らずに欧米的な物の見方・

 還元主義な考え方で自然を捉える傾向が強い。

 

 還元主義に偏る原因は科学が私たちの思考に、

 強く影響を与えてきたからだと述べている。


 

 

 東洋思想では人間は宇宙の一部である

 人間が自然の一部として認識している方が、

 自然治癒力を理解しやすい。


 人間は風土・季節・飲食物など自然現象

 と対比して理解しているところにあると前回述べた。


 西洋思想おいては、人間がからだをコントロール

 しているということ。自然は人間の外側にあるので、

 自然治癒力の概念はない。

 

 人間の住みやすい生活環境づくり・

 食べ物などを加工していく発想になる。


 最先端の医療である遺伝子治療などは、

 生命操作による方法を工夫して人間が、

 進化していくことを目的にしている。

 
 

 東洋思想では宇宙が人間のからだをコントロールする。

 西洋思想では人間が支配しからだをコントールしている

 と捉えることができる。



 人間を基準にするのか、宇宙を基準とするのか。