親戚と他人の境界線はどこに? | どうでもいい話

親戚と他人の境界線はどこに?

故人を弔うことに

意味があるとすれば

それはきっと

僕たちが

彼らのことを

思い出すためなんだ



はい。GWは法事でした。一族郎党かの地に集合。


それはいいとして、なによりも驚いたのは。


40人強の親戚が集まったことです。



正直な気持ちをライトダウンするならば、彼らのうち既知であるのは半分程度でした。


むこうは僕のことを知っているらしいのですが、それが一番困りました。なんだか失礼な気がして。



いろいろ紹介に預かったのですが、覚え切れません。親戚を覚える際は、「顔」「名前」「続き柄」を明白にせねばならないでしょう? 


そんなの40人分も無理無理。



法事に来ている人でイギリス人の女性がいたのです。どうやら誰かの嫁さんらしく、赤ん坊も連れていました。その赤ん坊がとても可愛くて、僕はうきうきでした。



で。



その赤ん坊と僕の関係はというと


「祖父の兄の娘の息子の息子」となるわけです。


7親等。


あれ? 親族じゃないよ?



なんてことになっているわけです。



そういう問題もさることながら、親族の呼び名というのは大変ややこしいですよね。大おじ、大おばぐらいまでならなんとか。


僕は今まで「はとこ」と「またいとこ」の違いがわかりませんでした。


結果としては、まったく同じものでした。


どちらも「親のいとこの子供」らしいです。6親等でぎりぎり親族。


それにちなんで「親のいとこ」はなんと言うかというと


「いとこおじ」「いとこおば」、もしくは「いとこちがい」だそうです。



「いとこの子供」は「従甥」「従姪」だそうです。



だそうです。ばかりで申し訳ない。



まあとにかくややこしかったのです。



しかし久し振りにいとこと遊べてよかった。みんな大人になっちゃって。


さて今日からはオーディナリーライフに戻ります。適当にほどよく、自分に素直に、手抜きと必死のはざ間をかもしだしつつ仕事をしていきたいと思います。


じゃあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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