声をかけよう | ザビエル・カトーの「いい加減に生きてます」

声をかけよう

 
シンプルなタイトルだ(^^ゞ

今日は昼間は、パソコンやオーディオのことをあれこれ考えたりして過ごす。

そろそろメインPCの再インストールはホントにやらんとまずいのだが、及び腰。

夕方、性懲りもなくランちゃん温泉。

月6回ほどつきあうのが、ここのところのお約束となっている。

オイラが貧乏なのも、先方は織り込み済みなので、「ランちゃんお小遣い」と称して、多少資金援助もしてもらっており、まあオイラとしても時間はあるので断る理由は何もない。

と言い訳を考えながら、今日は茨城のきぬの湯。

日曜の日帰り温泉は混み混みなので、いささか気分は落ちるのだが、まあそれでも入れないわけではない。

まずは駐車場がいっぱいだ。

連れがいると、なるべく玄関に近い場所に停めないといけないので、しばらく玄関付近で粘ってると、幸運にも出て行きそうなクルマが1台。

少し後ろで待機して待つことにしたら、ランちゃんがそのクルマの人に「すぐ出られますか?」と、なんのためらいもなく声をかけた。

タバコを吸い終わったら出るということで、ほどなくして一番いい場所に停めることができた。

オイラはこういう場合、絶対相手に声をかけられないのだが、ランちゃん曰く、「私は逆の時、声をかけてもらった方が、ありがたいから、自分も声をかける」とのこと。

なるほどたしかに後ろに黙ってつかれて、「早く出て行け視線」を送りこまれたら気分悪いわな(笑)

声をかけないというのは、こっちの一方的な都合で、「面倒だ」「相手になんか反論されたら、こっちの気分が悪くなる」など、すべて身勝手な考えから出てる行為なのだ。

相手のことを考えるなら、こちらが声をかける。

今さらながら教わった。

さて、中に入ると、風呂場は子どもたちの運動会の場と化している(笑)

昔は公衆浴場に行けば、親や怖いジイサンに怒鳴られるから、暴れたりしないが、今は親はほったらかしだし、他の大人も不干渉なので、子どもたちの天国である。

かく言うオイラも、子どもたちを注意できないでいる。

うーむ、どうしたものか。

ひとりの子が水風呂に入ってきた。

ハンドタオルを湯船につけている。

ちょうど目があったので、にこやかに、「タオルって、湯船に入れちゃいけないって知ってる?」と話しかけてみた。

すると彼の反応は意外なものだった。

「ボクは小学校1年生で、今日は合宿でサッカー大会があって、1位になって、金メダルをもらったんだ」と、そばに寄ってきて、うれしそうにまくしたてていた(笑)

その間、オイラが問題にしてたタオルはちゃんと外に出していた。

そうだよな。一方的にこっちの言い分を子供に言うのなら、彼らの話を聞いて上げるのも、大人の義務である。

それにしても話が長いので、水風呂で体が冷えたぞ(笑)

そのサッカー少年はそのあと、水風呂に入る大人たちすべてに金メダルの話をしていた。

結構コミュニケーションできてるじゃん。

で、「肝心の」タオルは・・・・ああ、やっぱりまた湯船の中か(^^ゞ

でもね、誰かが言ってたな。

会社で部下がいくら言っても言う事を聞かない時どうするか。その時は、

「何回も、何回も、何回も、何回も、何回も、何回も、・・・言って聞かす」

我々が「一端のオトナ」を気取るのであれば、我々は子どもたちに、何回も、何回も、何回も、何回も、・・・言ってあげなくてはいけないのである。

我々が「一端のオトナ」になれたのは、我々が有能だからではなくて、親や先輩たちが、子供だった我々に、何回も、何回も、何回も、何回も、何回も、・・・言って聞かせてくれたから以外に理由はないのだ。

今の大人達は、子供にも、後輩にも、この言って聞かせるという行為を放棄してしまってるのではないか。

「1度言ってダメだったから」、「面倒」「言ってもわからない」「モンスターペアレントが怖い」、などこちらの勝手な判断でね。

でも、ホントのオトナは、100回言って、伝わらなかったら、101回言う、と考えられる人だろう。

オイラもそんな「立派なオトナ」には程遠いレベルであるけど、少しずつでもそんなオトナに近づければいいな、と考えた次第である。

それにしても、水風呂で潜水をしたり、バタ足をしてるオトナたちにはどうしたらいいんだろう(^^ゞ

いやあ、いろんな人がいるわけで、とてもオイラの手には負えません!(最後は投げやり)


χανι@70.0k





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