沖縄県 名護聖人の人徳 今でも地域の誇り
名護市教委では独自に「六諭の心」という冊子や幼稚園児向けの絵本「程順則ものがたり」を作り、程順則の生涯、エピソードを幼少から触れられるようにしている。「六諭」にある「孝順父母(父母に孝行しなさい)」「尊敬長上(目上の人を敬いなさい)」「和睦郷里(村里にうちとけなさい)」「教訓子孫(子孫を教え導きなさい)」「各安生理(各々の生業にあまんじなさい)」「毋作非為(悪いことをしてはならない)」という程の教えは、名護市の小中学校22校で道徳の年間計画に学年別に細かく盛り込まれ、授業の様々な場面に取り入れられている。
名護市の偉人について
名護親方(ナグウェーカタ) 程順則(ていじゅんそく)
程順則は、1663年、那覇の久米村に生まれた。順則というのは中国名で、沖縄の名前では「寵文(ちょうぶん)」という。近世の沖縄を代表する政治家である。66歳のとき、名護間切の総地頭(そうじとう:今の市長)となり、名護親方と称するようになるが、その功績や人徳から尊敬を集め、名護聖人とも呼ばれた。
彼は、また文学者、教育者としても名高く、漢詩集を出したり、1718年には琉球で初めての学校「明倫堂(めいりんどう)」を設立している。
程順則は、20代の頃から5回中国に渡って学問を深めている。程順則が中国から琉球に持ち帰った教訓書である「六諭衍義(りくゆえんぎ)」には、人が人として守らなければならない六つの教え(六諭)が分りやすくまとめられている。この本は、八代将軍吉宗に献上後、和訳され、江戸時代の寺子屋の教科書として全国に広く普及し用いられた。彼が亡くなったあと、名護間切番所(今でいう市役所)では、毎年旧暦の元旦に「御字拝み(ミジウガン)」といって、「六諭」の書を掲げ、遺徳を偲んでいる。この儀式は現代にも引き継がれている。
孝順父母 |
教訓子孫 |
尊敬長上 |
各安生理 |
和睦郷里 |
母作非為 |
名護市役所HP より


