南国*沖縄情報RK.jp@ameba.blog -56ページ目

沖縄県 名護聖人の人徳 今でも地域の誇り

沖縄県名護市役所には毎年、旧暦の元日になると沖縄を代表する郷土の偉人、程順則(てい・じゅんそく)の遺徳をしのび、彼が残した書「六諭(りくゆ)」を拝む習わしが今も続いている。程順則は近世を代表する政治家で名護間切の、今の市長にあたる総地頭(そうじとう)を務めた。72年の生涯で5回中国に留学し、帰国後、漢詩集を出したり、琉球で初めてとなる学校「明倫堂」を設立したり地域に尽力した教育者でもあった。彼の功績や人徳から今も地元では「名護聖人」と呼び、沖縄、とりわけ「名護の誇り」として語り継がれている。

 名護市教委では独自に「六諭の心」という冊子や幼稚園児向けの絵本「程順則ものがたり」を作り、程順則の生涯、エピソードを幼少から触れられるようにしている。「六諭」にある「孝順父母(父母に孝行しなさい)」「尊敬長上(目上の人を敬いなさい)」「和睦郷里(村里にうちとけなさい)」「教訓子孫(子孫を教え導きなさい)」「各安生理(各々の生業にあまんじなさい)」「毋作非為(悪いことをしてはならない)」という程の教えは、名護市の小中学校22校で道徳の年間計画に学年別に細かく盛り込まれ、授業の様々な場面に取り入れられている。


記事元





名護市の偉人について


名護親方(ナグウェーカタ) 程順則(ていじゅんそく)

程順則は、1663年、那覇の久米村に生まれた。順則というのは中国名で、沖縄の名前では「寵文(ちょうぶん)」という。近世の沖縄を代表する政治家である。66歳のとき、名護間切の総地頭(そうじとう:今の市長)となり、名護親方と称するようになるが、その功績や人徳から尊敬を集め、名護聖人とも呼ばれた。
 彼は、また文学者、教育者としても名高く、漢詩集を出したり、1718年には琉球で初めての学校「明倫堂(めいりんどう)」を設立している。
 程順則は、20代の頃から5回中国に渡って学問を深めている。程順則が中国から琉球に持ち帰った教訓書である「六諭衍義(りくゆえんぎ)」には、人が人として守らなければならない六つの教え(六諭)が分りやすくまとめられている。この本は、八代将軍吉宗に献上後、和訳され、江戸時代の寺子屋の教科書として全国に広く普及し用いられた。彼が亡くなったあと、名護間切番所(今でいう市役所)では、毎年旧暦の元旦に「御字拝み(ミジウガン)」といって、「六諭」の書を掲げ、遺徳を偲んでいる。この儀式は現代にも引き継がれている。


南国*沖縄情報RK.jp@ameba.blog
名護博物館前に建つ程順則像

六諭(聖諭)

南国*沖縄情報RK.jp@ameba.blog

孝順父母
父母(ふぼ)に孝順(こうじゅん)なれ
父母に孝行しなさい

教訓子孫
子孫(しそん)を教訓(きょうくん)せよ
子孫を教え導きなさい

尊敬長上
長上(ちょうじょう)を尊敬(そんけい)せよ
目上の人を尊敬しなさい

各安生理
各(おのおの)生理(せいり)に安(やす)んぜよ
各々の生業にあまんじなさい

和睦郷里
郷里(きょうり)は和睦(わぼく)せよ
村里にうちとけなさい

母作非為
非為(ひい)を作(な)すなかれ
悪いことをしてはならない



名護市役所HP より










南国*沖縄*RK.jp@ameba.blog
↑クリックしてくれたら、うれシーサーしーちゃんさーちゃんゴーヤ