PB理事、パレスチナの地訪問
9月15日~17日に、ピースビルダーズの篠田英朗理事がパレスチナの事業地を訪問しました
ヘブロン旧市街や、南部にあるファワール難民キャンプ、また市内中心地に位置しながらも多数のイスラエル入植地が建設されているターアルメイダ地区などを視察
ファワール難民キャンプではキャンプマネージャーであるジヤード・ハムース氏に、キャンプ概況や、キャンプに住む子どもの様子、またサポート体制についてお話を伺いました。
実施中の事業(通称Yes4Future)についても、キャンプ内からの参加者の例を挙げ、子どもの心理的な健康に貢献する素晴らしい事業と評価いただきました
ターアルメイダ地区は、1997年のヘブロン合意によって、イスラエルの行政・治安管理下にある地域(H2エリア)です。
1967年以降イスラエル人の入植が進み、生活道路の閉鎖や外出禁止令など、様々な生活の苦労から多くのパレスチナ人の家族が土地を離れてしまいました。
これらの入植地は国際法上、明確に禁止されており、多くの国際機関、各国政府が反対を表明しています
そんな中、自らもその地区に残るハーシム・アッザ氏は組合を組織し、地域のパレスチナ人家族を支えています。
今回は直接アッザ氏から入植地と隣り合わせの生活の苦労や組合での活動のお話を伺いました。
16日にはYes4Futureプロジェクトの参加者を招き、広島の原爆後の復興活動について篠田理事がお話しました。
オープンディスカッションの形を取り、参加者からも活発に意見や質問を受け入れ、対話形式であっという間に時間がたちました
中でももっとも参加者の関心を引いたのが、投下直後、米軍占領下で平和都市建設を提唱した浜井広島市長に関わる点でした。
戦争のダメージを深刻に受けている市民にとって、復興計画は必ずしも喜ばしいものではありませんでしたが、広島市には日本のプライドを再建するために都市の復興は代えられないものでした。
日本全体が経済困窮に陥っていた中、何とか復興財源を確保し占領者にも受け入れられる形にするために下した判断が「平和都市」としての再建でした。
このような政治判断はとてもデリケートなものですし、現在のパレスチナそしてヘブロンの状況にそのまま当てはめられるものでもありません。
しかし篠田理事が冒頭に触れた、「状況はまったく違うが、ケースのひとつとして広島の話から何かのエッセンスを学び取って欲しい」という思いがしっかりと受け止められ、市長の判断の背景や市民参加の有無、そして学校教育からの反応など、幅広い点でたくさんの質問が飛び交いました
後日17日には、学校長や教育省ヘブロン南部事務所からの代表者を迎え、教育現場で直面する問題をヒアリングするとともに、戦後広島で力を入れて取り組んでいる平和教育についてのお話をしました。
3日間と言う短い期間ではありましたが、カウンターパートナーであるイエス・シアターをはじめ、事業参加者、現地協力者など多方面との有効なコミュニケーション機会となりました
今回の訪問を踏まえ、パレスチナ事業の今後の発展の方向性や、直近来年度からの活動内容を検討します。
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*パレスチナでの教育支援事業では随時ボランティアを募集しています。 日本語書類の英文化作業や、事業紹介、日本国内での広報活動などが主たる内容となります。 パレスチ問題にご関心のある方、詳しくはなくてもこれから知っていきたいという方、さらにはアラビア語ができるという方!!大歓迎です。 お気軽にメールにてお問い合わせください。
imamura@peacebuilders.jp (担当:今村)