皆さんこんにちは~。

12月に入ったとたん、なんだか突然、三田は冬に入った感じで、今朝の気温はなんと-3度!
関西のシベリア、キターーーーーー。。
でも、そんな寒い中でも、私の心は今月から始める自宅でのワークショップや、それに関係して始めたいと思っている事で、すごくワクワクしています。

突然ですが今日から、SONRISAを始めた時の想い、そしてこれからの事について、ちょっと語ってしまおうと思います。
というのは、今まで、なんだかんだと日常の事やアクセサリーの事ばかりをブログで書いてきて、自分の「想い」について、きちんと書いていなかったから。
そして、これからやろうとしている事は、「想い」について語らないと、なんでこんな事してんの????アクセサリー屋さんじゃないの?この人??って、意味がわからない感じになるかな・・と思って。

長くなるので、何回かにわけて、書きますね。
第1回の今日は、SONRISAを立ち上げた時のお話を。

私がSONRISAを立ち上げたのは、2010年の10月。
長女(花さん)が3歳、次女の咲ぽんが1歳の時でした。

もともとアクセサリーを作るのが好きで、趣味で沢山つくってはプレゼントしたりして、ネットショップを運営している個人作家さんも何名か存じ上げていて、「いいな~、こんな風にショップを運営してる人、楽しそう~」と、漠然と思っていました。

でも、その時は全然、自分がまさかショップを立ち上げて、気に入って買って下さるお客様が現れるなんて想像もしていませんでした。

その頃私は、大阪で在日外国人の方の支援をしているその分野では老舗のNPOに所属していて、会社もその関係の多言語携帯サイトを運営する小さな会社に勤めていました。

本当に小さな会社だったのですが、元々青年海外協力隊で中南米に行っていた事や、国際協力やNPOなどの仕事に就きたかった私にとっては、本当にやりがいがあって楽しい職場でした。

小さい会社だったので、実質的に社長の右腕みたいに働いていたのですが、その中で花さんを授かり、産休・育休を頂いた後に復帰し、その後咲ぽんを授かりました。

当然ながら、私は会社を辞める事なんて考えていなくて、咲ぽんの育休が終る4月に向けて、当時住んでいた東大阪市に保育園の入園希望を長女/次女の二人分、提出しました。

希望していた認可園は、病後時保育もあって、自宅からはちょっと離れていたけど綺麗で先生方も熱心で、とてもいい感じ。
狭き門だったようでしたが、幸いにも花さんは二人分しかなかった枠に通って、その保育園が決まったという通知を受けたのが、2月でした。

とてもほっとして、自分達のくじ運の良さをありがたく思って、復帰準備をすすめつつ、送迎にむけて車の運転を練習したりしていました。

そんな風に、普通に復帰できる気満々だった3月末、びっくりするような通知を、受け取りました。

咲ぽんの保育園が、花さんの保育園とは電車の沿線も違う、距離的にも2~3Kmも離れた保育園に決まった、という通知でした。

最初、意味がわかりませんでした。

地図上で言うと、自宅と2つの保育園は、三角形を描く様に配置されていて、2つの保育園を回ると自宅ー保育園ー保育園-自宅・・と戻ってくるだけで1時間半。
そこから1時間かけて通勤。
毎日、片道2時間半、通勤と保育園の送り迎えに費やす事になる。

実質的に、復帰する事は無理になりました。

市役所に電話して、なぜそうなったのか、どうすればいいのか、相談しましたが、認可園を望むなら、どちらかの保育園で空きがでるまで待って、片方を転園させるしかない、との答えでした。
もしくは、せっかく入れた認可園を断って、元々花さんがお世話になっていた無認可園に二人ともお世話になるか。。

でもそうすれば、来年度は希望の園に入れる可能性は、ものすごく低い。

相当悩みました。

赤ちゃんだった咲ぽんはともかく、新しい保育園になじむのに時間がかかった花さんを、もし枠が開いたからと言ってまた違う保育園に転園させる。
そんな事は絶対にしたくないとおもいました。
しんどい思いを引受けるのが子ども?それってひどくない???

子どもにかかるストレスまでは、市役所は考慮してくれないのです。

だから、咲ぽんが転園できる可能性にかけて、仕方なく別々の園に入れる事にしました。

会社には、事情を話し、退職する可能性も含めて、相談しました。

幸い、ネット環境があれば出来る仕事もあったので、月数回の出社と在宅ワークで復帰するという形をとって頂ける事になりました。

それでも、社長にしてみれば大きく予定が狂い、私も収入が6割ぐらいにダウンする形だったので、双方苦肉の策・・という状況。

私は、社長の判断で働き方を柔軟に対応してもらえる会社にいたから、クビにはならずにすんだ。
でも、一般の企業なら、こんな状況になって復帰出来ない・・となったら、最悪の場合クビでしょう。

まさか、行政の判断でこんな事になるなんて、思いもしなかった。

でも、それと同時に、今後も、思ってもいない状況で仕事が続けられなくなるような事が、起きるかもしれないんだ・・という事を、この時にとても強く、実感しました。

もし仕事を失ったら、その後の人生設計も含めて、どうすればいいんだろう。

私は、新卒で入社した会社を3年で辞めて協力隊に参加し、帰国後は大学院に行き、そこから先はNPO系の会社で働いてきました。
なんかキャリアが、中途半端。

経験が活かせそうなNPOはそもそも職も少なく、人気もあるので高倍率。
しかも人手不足・資金不足の所が多いので、めいっぱい仕事が出来る人しか役に立てない。

一般の企業に転職するには、経験が足りない。
そして、場合によっては大学院卒、の学歴が逆に邪魔になって、採用してもらえない。

それなりにその都度、出来る努力はしてきたつもりでいたけど、こんな風に突然、子どもがいる事が理由で働き続けられなくなったら、再就職出来るあてがない、という事実に直面して、私は今まで何やってきたんだろう・・と凹みました。

でも、その時に、だったら、自分で自分の雇用を作ってみよう・・と、思い立ちました。

幸い、二人を送り届けたら、会社の仕事を在宅でしても、時間にある程度の余裕がありました。
収入は下がった分、時間に余裕はある。

だったら、この時間を使って、出来る事を考えてみよう。

そう思った時に選んだのが、アクセサリーのネットショップでした。

それと同時に、このショップが上手く行ったら、私と同じ様に「普通に働きたいけど、働けない状況のママ」に、働ける場所としてショップを使ってもらえるように出来ればいいな~と、漠然と思い始めました。

だってねぇ、こんな風に保育所が分かれたとか、旦那さんが突然転勤になったとか、そんな晴天の霹靂みたいな誰かの判断で人生が狂わされるのは、旦那さんより奥さんの方が、絶対的に多いですよね?

ただでさえ、妊娠、出産を機に続けられなくなる人もいるし、お子さんが身体が弱かったり、障害があったりして働けない方もいる。介護と育児が重なっている人もいるし、旦那さんやお姑さんが企業で働く事を許してくれない人もいる。

それならば、そういう状況でもなにかしら、自分で自由に使えるお金を稼いでもらえるように、内職で制作を担ってもらうような事が出来たらいいな..。
漠然と、そんな事を思いながら、まずは自分がちゃんと仕事のレベルで運営できるショップをつくるにはどうすればいいのか、考え始めました。

ながーーーーーーーーくなったので、次に続きます。