ブログネタ:今年は豆まきする? 参加中節分の由来には数々あるようだが、今日はしま爺事典に載っている由来を紹介しよう。
まずその前に、節分について説明したい。
節分とは字の如く、季節の分かれ目である。
日本などの温帯地方には、だいたい4つの季節があるから、節分も4つある。
つまり、立春、立夏、立秋、立冬の、それぞれ前日が節分と呼ばれる日だ。
節分というと立春前のことだけを指すように思いがちだが、本当は違うのである。
節分のうち特に立春前が重要視されるようになったのは、比較的簡単に想像できる。
長い冬が去り、やっとうららかな日差しを楽しめる季節を感じることへの期待だろう。
しかし一方で、この時期は秋に貯えていた食糧が底をつき、厳しい日々が続いたであろうことは容易に想像できる。
また、空気が乾燥し風邪にもかかりやすい。
春近しとはいえ、急に寒くなり、血管がプツンとなりやすい時期でもある。
病気は、邪気によりもたらされると考えていたろう。
だから、邪気を払うまじないや儀式が必要になる。
これが豆まきだ。
ではなぜ大豆なのか?
それは、節分でいう鬼とは人間のことだからである。
食糧を求めて山から降りてきた人などに、豆を投げ与えて、これをあげますから、どうかそれ以上悪さはしないでくださいね。
そんなことから豆まきが始まったのだろう。
つまり、豆まきとは、食糧を与える代わりに安全を約束してくださいな、ということなのである。
だから、鬼は外、福は内になるわけだ。
話は変わるが、大豆はいつごろから日本にあったのだろうか。
古事記にも最初の方に大豆の話が出てくるので、少なくとも1500年前には、日本で栽培されていた可能性がある。
ただし、通称・魏志倭人伝の倭に産する植物の中には、それを見つけられない。
仮に魏志倭人伝の記述が日本の様子を正しく示していたと仮定し、かつ大豆がなかったとするならば、日本で大豆が栽培されるようになってから、まだ2000年未満であろう。
ちなみに古事記では、大豆は女神の尻から、日本書紀では女陰から生えたことになっている。
なんとも楽しい話であることだ。
この文の前後、またその話の主人公である須佐之男命の風貌からみて、大豆は朝鮮半島経由で渡来した可能性がたいへん高い。
そう言えば、節分に限らず年がら年中、お金をばらまいているものがあったような。
あれも、豆まきの仲間なのかなあ。
それにはしちゃ、内に福が来ませんな。