ブログネタ:大人と子供、どっちが残酷? 参加中これは、比べるべきものではありません。
子どもが残酷なことをしているなあと思えることがあったのなら、それは大人の目で見ているからであり、多くの場合、子ども自身は“残酷”という意識をもってしている行動ではないからです。
つまり、ある程度の年になれば、“ああ、これはいけない”とか、“これを言ったりしたりしたらまずいな”とわかります。
それでもそれをしたなら、それは残酷でしょう。
しかし、何ら悪気なく行ったなら、それは残酷と言えるでしょうか。
そんな例を挙げます。
これは、私自身どう考えていいのか、未だに分かりません。
かなり有名なインドシナ、ポルポト政権時代を描いた“The Killing Fields”というピリッツァー賞受賞、アカデミー賞でも助演男優賞を得た映画があります。
後に、この助演男優賞を受けた元医師が、アメリカで不審死を遂げていることでも有名な、身の毛もよだつような映画です。
この映画の中に、こんなシーンが出てきます。
元国の高官だったらしい親が、まだ10歳くらいの我が娘の為を思い、敵国紙幣である米ドルを渡し、国外に逃がそうとします。
が、クメール・ルージュの教育をされた娘にとり、この男(娘にとっては、実の親も、1人の労働者でしかない)は、掟破りの極悪人でしかありませんでした。
すぐに、近くにいた上官に報告します。
上官は、命乞いする男の頭に、容赦なく鉛の玉を埋め込むわけです。
この間、1分足らず。
娘は“正しいことをした”と、むしろ誇らしくさえ見えます。
そう、この娘にとっては、それが正しいことなのです。
いかにも、残酷なこのシーン。
いつまでも、私の頭から抜けることはないでしょう。
しかし、クメール・ルージュに限らず、今や大国になった国でも、五十歩百歩にたようなことがあったでしょう。
こうしたことには触れずに、日本の真珠湾や南京なにがしばかりを騒ぎたてるのは、ずいぶんと自分勝手だなあ。
まあ、そう思ったりもするわけですよ。
ずいぶんと反発もあるでしょうね。
しかし、あと少し歴史を学んだらいかがでしょうか。
真珠湾の時のチャーチルの喜び、南京虐殺と言われる数の10倍どころか、100倍もの虐殺?
香港は、なぜ Hong Kong なのか。
私は理系で歴史音痴でしたが、それくらいはうわべだけでも知っていまっせ。