全然関係ないけどセブンジャーニーって響きが格好いい。




***


バイト先に一人の常連がいた。彼女はバイト内で「先生」というあだ名をつけて呼ばれていた。由来は知らない。私が来た時にはもう先生と呼ばれていた。私はそれに順じただけだ。

先生は好き嫌いが多かった。いつもメニューで頭を悩ませていた。なかなか決まらない時は、私も一緒に迷った。これにします?ダメ。あれにします?ダメ。長時間悩んでは、厨房の奥で待機している店長をやきもきさせるのが彼女はとても得意だった。

先生は初老の女性だった。耳が遠く、時には大声で何回も繰り返さなければならなかったが、私が何か言う度に、にこやかに微笑んでくれた。あの年齢の女性というのは、どうしてあんなにも穏やかに微笑むことが出来るのだろうか。私は彼女が微笑む度に、己の祖母を思い出した。

私の祖母は、その娘である私の母と仲が悪かった。母は祖母を己の母だと思ったことが無く、祖母は母を己が娘だと思ったことが無いらしい。私は子を産んだことはないが、血肉をわけた母娘がどうしてそんなに互いに冷たい態度を取れるのか、全く理解が出来ない。母と私の関係がすこぶる良好である事は、私がその関係に理解の及ばない原因の一つかもしれない。

私は祖母が好きだった。幼少の頃から成長した今も、ずっと己の祖母だと思って生きてきた。私は些か人間関係に鈍感なところがあり、母が胸の内を私にぽろりと零すまで、冷たい関係に気付きもしなかった。不和を悟ってしまった母も、その時は大層衝撃を受けただろうが、私も母の零した言葉に少なからず衝撃を受けた。

祖母は決して温和ではなかったが、朗らかに笑う人だった。祖母はどんな気持ちで私に微笑いかけてくれていたのだろう。どんなに血が繋がっていても、私は祖母にとって心の他人の娘だ。祖母は私を孫として見ていてくれていたのだろうか。

私は先生を見送る時、ありがとうございましたと頭を下げながら、血の繋がりが心の繋がりではないことを思い出すのだった。



30 minutes / 800 words


***


先生と祖母の微笑みを良く似ていると思うのは、きっと、一歩引いたところから贈られる笑みだからなのですよ。