元旦 夕食後にFinal Storyを読んでいると、帰省した子供が横でピアノ(電子ですが)を弾いていた。
そして「母さん」と呼ばれれば、テリィを想像するのですが、それは昔からあった日常の場面。
昨夜、家族で親友宅の正月会にお招きを受けた。
彼女のご両親がアメリカに住んでいた時の話になり、それがミシガン州であったいう。
え?ミシガン州?よりによってミシガン州か。![]()
その話は過去に何度も聞いていたというのに、その市がミシガン州に属しているとは思いもしなかったから(単に地理が苦手か
)、ミシガンと聞いただけでキャンディを思い出し、なんというタイミングであろうと驚いた。
さすがに年始早々にあれこれ質問するわけにもいかず、でも郊外にあったその場所が緑豊かな素晴らしいところであったと聞いて、そのことだけで訪れたこともないその場所に想いを馳せた。
何かに夢中になるということは、今まで気にも留めなかったことを意識して捕らわれるものなのだと年始から考えさせられた2025年。
あまり捕らわれすぎるのはよくないとわかっていても、元旦からFinalstoryに手を付け後半のパートから最後までを読んでしまった。
読むたびに自分の想像が少しづつ明確になっていくこの小説。
恐らく繰り返し読むことでしか形にならないのだとつくづく思う。
ブログ主のような漫画トラウマ族には、小説の世界だけを考えておくのもありかもしれない。
未完成なこの小説、読者は想像ないし妄想しないと楽しめない。
あとがきで敢えてそのようにした理由も書かれているけれど、想像の世界を広げてほしいという原作者のメッセージを、ブログ主は勝手に
「人類補完計画」ならぬ「キャンディ補完計画」、(オタク過ぎる
)
または、名木田先生からの
「みんなで赤毛のアンになろう作戦」(アンのように想像膨らませて楽しもうという意味)
などと一人考えている。![]()
長年のファンなら2次小説を書いたり読んだり、想像/妄想はとまらない・・・というかとめられない・・・ ![]()
(本当は明確に描かれていたならいいんだけれど・・・
)
赤毛のアン好きのブログ主は、アンとギルバートのような2人が、それぞれ天職と呼べる仕事を持ちお互いを尊重しながら生きていると前向きに妄想した正月でございました。
という訳で今年はキャンディ誕生50周年?
ファイナルストーリーが復刊されることを願っております。
赤毛のアンも今年アニメがリメイクされるのだそう。
個人的には高畑勲先生の演出にぐっときた昭和のアンがいいのですが、これもベルばら同様、どんな感じで描かれるのか楽しみです。
正月から勝手なひとりごとにお付き合いいただいありがとうござました。
本年もよろしくお願いいたします。![]()