多珂神社(福島県南相馬市) | 碧風的備忘録

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多珂神社(たかじんじゃ)

 
福島県南相馬市原町区高に鎮座。
延喜式内名神大社。旧社格は郷社のちに県社。
御祭神は伊邪名岐大神。『奥相志』によれば多賀荒御魂命を祀る。
別名『鷹大明神』と呼ばれる。
 

由緒によれば、景行天皇40年(110年)に、景行天皇の皇子である
日本武尊が東夷征討の勅命を受けて陸奥国へとやってきて
各地を転戦していた。日本武尊が太田川のほとりに軍を進めた際、
戦勝祈願のために多珂大神を勧請したのがはじまりという。
 
現在の鎮座地の北西にある古内地区には『大明神河原』という場所があり、
『奥相志』によれば、勧請当時は大明神河原の南にある
玉形山という高台の畑がある場所に鎮座していたという。
(しかし、神社の跡地だったために作物が実らず、
延享5年頃からは荒野になったとのこと)
 
仲哀天皇7年(198年)2月、暴風雨によって社殿が大破し、
同年9月に芦野平(現在の城ノ内地区)に遷座された。
その後はしばらく、小さな社殿で祀られていた。
 
康暦2年(1380年)には藤原吉守が鰐口(金属製の鐘のような仏具)を
寄進しており、御本殿内陣に掛けられているという。
承応4年には社殿を修繕しており、相馬忠胤公が御用材を寄進した。
 
元禄年間に、相馬昌胤公が帰依する吉田神道の神殿である
『養真殿』を城内に造営した。
その際、故あって『白符の鷹』といわれる鷹の彫刻を作成し、
厨子に収めて多珂神社へ奉納したという。
(宮司さんのお話では、『白符の鷹像』は現在も御本殿内陣に
納められているとの話です。が、実物を見たことがある人は先代宮司と
総代長さんなど極々限られた方々のみだそうです。
話では、光の反射により、羽根が白く見える鷹の木像と聞いたとのこと。)
享保9年(1724年)には昌胤公が一石九斗余りを神田として寄進された。
 
明治6年(1873年)には郷社に列し、昭和19年(1944年)には県社に昇格した。
 
多珂神社は『延喜式神名帳』において、
特に霊験がある神を祀り、国家的緊急事態のときに
祭祀を行う神社に与えられる称号である
『延喜式内名神大社』の地位にある神社として記載されており、
全国に鎮座する多賀神社系の御社で唯一の延喜式内名神大社です。
 
多珂神社は、古来より願望成就・延命長寿・家内安全
安産祈願・海上安全・大漁満足の御神徳があるとして崇敬されているが、
日本武尊が東征の際に戦勝祈願のために勧請した神社ということもあり、
現在は選挙での必勝祈願に参拝する崇敬者も多いのだとか。
 

というわけで、『酉年っぽい神社に行ってみ~ましょ~!!』第二弾です。
今回は、南相馬市原町区の延喜式内名神大社・多珂神社です。
 
多珂神社第一鳥居。磐城太田駅から南東の線路沿いに
あります。遠くからでも分かるくらい大きな鳥居です。
 
境内南側の駐車場から伸びる表参道と多珂神社第二鳥居・扁額。
鳥居の扁額にも【延喜式内 多珂神社】の文字があります。
 
正月の多珂神社境内。左側の赤い社殿は八坂稲荷神社。
 
多珂神社拝殿(祭典時)。
入母屋造の拝殿。横から見ると向拝部分が長い優美な造りです。
 
一間社流造・脇障子付きの御本殿。
彫刻が美しい御本殿で、脇障子には龍や鷹の彫刻があります。
 

ここからの写真は、宮司さんに許可を得て
御案内のもと、参拝した際に撮影させていただいたものです。
【郷社 多珂神社】の扁額と獅子頭。
正月2日には拝殿前などで獅子舞が奉納されます。
その際、夕方まではこのように獅子頭が神前に飾られています。
 
拝殿内部には多くの絵馬や額が奉納されています。
 
【つがいの鶺鴒と伊邪那岐命・伊邪那美命】
日本書紀に書かれている
つがいの鶺鴒(セキレイ)が頭や尾を振る様子を見て、
伊邪那岐命と伊邪那美命が子作り(神生み)の方法を学んだという話を
元にした絵です。
 
おそらく、多珂神社を勧請した日本武尊が熊襲建(クマソタケル)を誅伐する絵。
 
鷹の絵。古来から『鷹大明神』とも称された多珂神社。
お話しによれば、多珂神社を篤く崇敬する人には
神社の鎮守の杜のまわりを飛び回る鷹が見えたりするんだとか。
 
明治38年、日露戦争での旅順攻略記念に
多珂神社へ奉納された【国家鎮護】の祈願額。
 

幣殿内部・御本殿の御扉前には、正月三が日のみ
吉田神道の祈祷に用いられる八角形の護摩壇が安置されます。
 
多珂神社の吉田神道の護摩壇。
『ノデッポウ』と呼ばれる木を護摩木として燃やし、神札などの授与品を
炎で清めながら御祈祷を行うそうです。
ノデッポウが燃える際に火の粉が飛んで授与品に焦げが付くのですが、
崇敬者からは「それがとてもありがたいのだ」として尊ばれているのだそうです。
 
幣殿上部には、花や鳥・人物などが色鮮やかに描かれています。
 
なお、多珂神社の御神体について、『奥相志』において
「神体龕居顕拝を許さず(御神体も厨子も拝見を拒まれている)」とあります。
一時期、相馬昌胤公が奉納した『白符の鷹像』が御神体であると
された時期があったようですが、これは誤りだとされています。
 
ただし、参考までにですが、相馬藩の社家長である田代左京進邦信が
文政3年に郡内の式内社を比定する際に、多珂神社の棟札と
「御正体の神鏡」を拝検したという記述があります。
 

境内社としては、八坂稲荷神社・雷神社・青麻大権現
子牛田山津見神社・金毘羅神社石碑があります。
 
八坂稲荷神社。社殿は旧御本殿を流用したもの。
八坂神社は「牛頭天王社」という名前で、城ノ内地区に鎮座していた。
『奥相志』によれば、御神体の長さは七寸とのこと。
稲荷神社は多珂神社の末社で、多珂神社の南東の御稲荷地区に
鎮座していたものを八坂神社へ合祀したという。
 
雷神社。古くは城ノ内地区にあった常久寺の境内に鎮座していた。
『奥相志』によれば、御神体の長さは七寸とのこと。
 
雷神社の後ろに鎮座する青麻大権現の石碑。
青麻神社は仙台市宮城野区岩切に鎮座する中風封じの御神徳で有名な神社。
御祭神は天之御中主神・天照大御神・月読尊・常陸坊海尊です。
 
子牛田山津見神社の小祠と金毘羅神社の石碑。
子牛田山津見神社は安産成就の神ということで
美里町に鎮座する小牛田山神社(祭神:木花佐久夜比賣命)からの勧請かと。
 
金毘羅神社は『こんぴらさん』としても有名な金刀比羅宮からの
御分霊をお祀りした石碑。御祭神は大物主神で、
主に海上安全・大漁祈願の神社とされています。
 
その他に、七福神の石像が境内にあり、
御本殿後方の木の下には神仏習合時代の仏像が安置されています。
社殿西側の七福神の石像。
 
御本殿裏の仏像。如意輪観音でしょうかね。
 

多珂神社の御朱印ですが、基本的に祭典のときに授与されています。
多珂神社の例大祭は4月18日で、10月18日に秋祭りが行われます。
 
正月三が日ですと、宮司さんによれば2日の午後がおすすめとのこと。
元日と2日午前は諸祭典のために対応できない可能性が高いそう。
いずれにせよ、拝受を希望される場合は
電話で社務所へ事前連絡してからのほうがいいかと思います。
御朱印には【延喜式内名神大社 多珂神社】の墨書。
氏子さんは、多珂神社の『延喜式内名神大社』の社格を
とてもとても誇りにされ、大切に思われているんだそうです。
 
御朱印の他に、大小の交通安全御守や破魔矢などの授与品もあります。
神札は相馬地方独特の『箱札』となっています。
職人により手仕事で作られているという、木箱のような神札です。
多珂神社の箱札。巨大な箱札は選挙の時や船用に使われるそうです。
箱の中には「神様の依代となるもの」が納められているとのこと。
 
行方郡内に鎮座する延喜式内社の筆頭である多珂神社。
全国でも珍しい伊邪那岐大神の荒御魂をお祀りする神社です。
神様の活動的で勇猛な一面とされる荒御魂ですが、
多珂神社に流れる神気や空気はとても穏やかなものだと感じます。
崇敬者の一人として、是非、多珂神社を参拝していただければ嬉しく思います。
 

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