国鉄旅客輸送今昔 37 両国駅今昔 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

皆様こんばんは、本日は総武線の中間駅
両国駅のお話をさせていただこうと思います。
昨今は房総方面は自動車の利用が増えて特急列車自体も減車と言った話も聞こえてきますが、昭和40年代頃までは海水浴客のための臨時列車が多数増発され、ここ両国駅も大変賑わったと言われています。
特に、昭和47年に房総両線が電化されるまでは気動車で運用されており、夏期には車両が不足してオハ61等の客車を全国からかき集めて臨時準急とか、キハ17による臨時準急など、およそ今から考えればクレームの嵐になりそうな車両が走っていたものでした。
当時の記録を見ると昭和39年、国鉄線の記事によれば、300%の乗車率と書かれています。
 

画像はwikipediaから


そこで、今回は、千葉方面の玄関口の駅である、両国駅にスポットを当ててみたいと思います。
現在は支線扱いとなり、普通電車しか停車しない駅になってしまいました。

昔は、両国駅の地平ホームがあって、そこから旅客列車が発着しており、この改札付近には多くの力士の絵が昔は飾られていて壮観だった記憶があるのですが、今は地平ホーム自体が使用されていないため店舗に?転用されておりちょっとびっくりします。

あの、多くの絵はどこかで保管されているのでしょうか。

元々は、千葉県方面への鉄道を建設した総武鉄道という私鉄が1904年4月5日(明治37年)に開業させた駅で、その後国有化されて現在の総武線になりました。

総武線が電化されて東京まで延長されるまでは一部列車が新宿に乗り入れることはあっても基本的には両国駅を出発することが一般的であり、佐倉機関区のC57等も両国で給水・給炭を受けていました。

当時の時刻表をいくつかアップしてみたいと思います。
1枚目は、昭和38年の時刻表から

 


2枚目は、昭和45年の時刻表から
多くの優等列車が新宿始発になっているとはいえ、総武本線の列車でも両国始発があります。
もちろん、房総線の列車も両国発着の列車がありますね。

 

 

 

最後は、昭和61年の時刻表から、両国駅は無かったことにされています。苦笑

いまでは、単なる通過駅になってしまった両国駅ですが。
全盛期の両国駅を模型かCGで再現してみたいですね。