貨物輸送今昔 30 混合貨物列車 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

本日も、貨物輸送今昔にお付き合いください。
思うままに書いていますので、話があっちに行ったりこっちに行ったりになりますがご了承ください。

今回は、貨車の話ばかりでは飽きてくると思いましたので、混合列車の話をさせていただこうと思います。

混合列車とは?
読んで字のごとく、貨物と旅客の混合輸送という意味で、国鉄の資料を参照しますと混合列車の他に、準混合列車なるものが存在していました。

 

混合列車・・・・旅客列車に貨物が付く場合?
準混合列車・・・貨物列車に客車が着く場合?

と言うことのようですが、明確な区別無かったようです。
ただ、当時の資料を参照しますと、客車列車の分類で、混合列車、貨物列車の分類で準混合列車と書かれていました。

混合列車なり、準混合列車が設定された理由としては、貨物列車だけ走らせるほどの貨物が無いことから合理化の一環として計画されたのですが、昭和30年代になると、駅で積み替えて運ぶのであれば、直接トラックで産地から運ぶ方が積卸の費用などを考えると安くなることから地方ローカル線を中心に混合列車なり、準混合列車も減っていきました。
国鉄としても混合列車は廃止に方向に向かうとしていましたが、結構遅い時期まで混合列車は存在していたようです。

旅客列車もそうですが大都市になるほど長い編成になっていかにも列車というイメージになりますが田舎に行けば車両の編成も短くなり、1両でも持て余すそんな状況になっており、この傾向は昭和30年代でも変わりはありませんでした。

ローカル線での貨物輸送については国鉄としても悩ましい問題であったようで、古くは、気動車貨車(キワ90という貨車なのか気動車なのかよくわからない車両が試作されました。
弊ブログにもまとめてあるのですが、

なんとも珍妙な気動車貨車、キワ90
当初の計画では、ワム者2両程度を牽引させる計画だったそうで、妻線に配置されました。

 


しかし、DNH17エンジン160PS1台では貨車2両程度でも牽引が厳しかったそうです。
さらに悪いことに、キワ90には運転台後ろが荷台になっていたのですが、積めば荷物の積み下ろしに手間取り、積まないと軽すぎて走らないという矛盾があったそうです。

さて、このキワ90は、ローカル線の改善を意識して結果的に失敗した例ですが、一般には客車列車の最後尾に貨車が連結されたり1・2両の場合は車掌車を省略していました。

ただ、古い鉄道の趣味誌などを見ていますと、日中線(赤字83線にも指定された路線でしたが、貨物輸送は比較的活発だったようで、旅客列車と貨物の混合列車でしたが、貨物の方がメインだったという記述が見られます。
実際に、日中線の場合、熱塩駅から更に奥に熱塩温泉があるのですが、湯治客なども含めてバスで直接行ってしまうため、列車の利用者はごくわずかであったと言われています。

現在も津軽鉄道では、ストーブ列車を走らせていますが、むしろ観光目的となった感がありますが、国鉄時代のローカル線では結構ポピュラーで、木次線などでも混合列車では貨車にスチームが通せないため、だるまストーブが室内に設置されていました。

結局は混合列車というのは、合理化の一環で行われたもので、昭和40年代には結構ありましたが、貨物も乗客も一緒では効率が悪いので、結局ローカル区間の貨物輸送はトラックに取って代わられてしまいました。

ただ、ここに来て宅配便などの荷物を路線バスが輸送すると言うことで、これまた時代は巡ると言うべきでしょうか。
混合輸送が見直されつつ有るといえます。

明日は、貨物輸送とは若干異なるのですが荷物輸送についてお話してみたいと思います。

画像は、昭和59年北海道で見られた混合列車、荷物車2両+客車+コンテナ+2両という模型みたいな編成ですね。