国鉄貨物輸送今昔 10 特急貨物列車の話 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

本日も、貨物列車今昔にお付き合いください。

本日は、「特急貨物列車」についてお話したいと思います。

貨物列車には、普通列車に相当する「車扱貨物」と呼ばれる列車の他に急行貨物、快速列車に相当する「地域間急行」といった種別もありましたが、一番の華は、特急貨物列車でしょう。

 

当時の鉄道輸送事情とは、どんなものだったのでしょうか。

昭和30年の神武景気、岩戸景気、更に特急貨物が誕生する背景となった時期はいざなぎ景気の真っ盛りで、輸送量は右肩がりに上昇を示す反面、水俣病などに代表される公害病がクローズアップされたのもこの時代でした。

道路に目を向けると、昭和20年代に酷評された道路は、その整備が進み、昭和37年には、高速道路が一部開通(名神高速)、その後順次延伸され本格的な自動車による高速輸送の到来を告げようとしていました。
実際、中距離輸送にあっては昭和39年をピークに鉄道による貨物輸送は減少傾向に入ることが予測されていましたし、実際にはその後車扱い貨物は大幅にその取扱量を減らすなど国鉄における貨物輸送は抜本的な改善が求められる時代に入ってきました。

 

 

国鉄線昭和45年7月 から引用


特に車扱い輸送の場合はヤード系輸送と呼ばれる、途中駅での連結・解結を基準とした輸送方式は、駅での荷役が発着駅と到着駅でも行われるため、時間も経費もかかることから、多くの荷主が簡単な包装だけで送れるトラックに移行するのは必然といえました。
さらに、ヤード系輸送の場合ある程度荷物が集約する必要があるため、集約されるまで保留される場合があり到着日時が明確化できないという問題もありました。

 

そんな中、昭和34年から運転を始めたコンテナ専用列車は好評で、途中で連結開放をしない直通輸送列車(以下「ヤードパス」と略す)の輸送量は増加傾向にありました。
そこで、本格的な自動車による貨物輸送に対抗するため。そして、さらなる大幅な時間短縮を目的とした、特急貨物列車が計画されました。

昭和40年に汎用の貨物車(ワキ10000)が試作され、良好な成績を収めたことから、昭和41年10月のダイヤ改正で本格的な特急貨物列車が計画、運転が開始されました。

 

この特急貨物列車の中には、ヤードパス列車としての特徴を生かした鮮魚専用貨物。

九州で水揚された魚介類を東京築地の市場に届けるべく冷蔵車だけで編成された列車もありました。

東京築地着は、「とびうお」、大阪市場向けは「ぎんりん」という名称まで与えられて、当時の国鉄のこの特急貨物にかける意気込みが伝わってくる列車でした。
なお、この特急貨物をけん引するために特に開発されたのが、ブルトレ牽引で有名なEF66形電気機関車でした。

 

若い人はブルートレインを牽引した機関車というイメージの方が大きいでしょう。

高速貨物列車の先頭に立つべく誕生したEF66は、東京から下関の間を颯爽と走り抜けていたのでした。

明日は、このEF66形機関車のお話をさせていただこうと思います。

画像は特記事項以外はすべてwikipediaから引用しています。