最初は半年と言う契約だった仕事は、半年ごとに更新が幸いなことに行われ、メンバーは何度も変わりながら、更に途中から拠点が神戸から大阪に変わり、それまでのレガシーだけの部署からレガシーと光電話(VoIP)の部署と一緒になった反面、レガシー部門は大幅に縮小された人員で対応する形となりました。

私たち派遣社員は引き続きレガシーの部分を扱うこととなり、光電話の部門へ交流するということは無かったわけですが、夜勤の時間などでは比較的時間に余裕がありますので、情報セキュリティの過去問などをこっそり?解いたりしていたものでした。

情報セキュリティに関しては、最初の外資系の精油会社でガチガチのセキュリティを経験してきただけに、日本のセキュリティはまだまだ甘いなぁと感じたことも何度かありました。

まぁ、それはともかくとして、自分としては常に意識していることがありました、それは私自身はIT系の技術者としては後発でありまだまだ基礎力も劣っていること、そして、年齢的にも50を超えていますので、プロパーよりも年上になってしまうということで、いつ首を宣告されてもよい状態に置かれていたわけで、実際に58歳をもって契約更新は為されずに、そのまま退職することとなりました。

個人的には最新の情報機器などを見たり知ったりすることができる最前線だけに、居座らせて欲しかったのですが、そういうわけにもいきませんでした。

薄々感じてはいたものの、プロパーガ私より年下の人ばかりとなった時点で、もう間もなくだなぁと思いはありましたので、さほど大きなショックはないものの、先ほど書いた通り、最新機器などに触れないのはちょっと辛いなぁと感じたものでした。

こうして、5年近く仕事をした職場を離れることとなったわけですが、「飛ぶ鳥後を濁さず」の諺よろしく、お世話になった方々にメールでご挨拶をし、最後はローッカの鍵を返し、IDカードも返納して職場を去ったわけですが、最後の日は泊り明けだったように記憶しています。

日勤ではなく、夜勤明け、朝の光を受けて、仕事を終えたことで、これから更に発展していく自分を重ね合わせることができたような気分になったものです。

そして、郵政時代の退職時のような、厄介者を早く追い出そうというオーラ満載の疎外感(実際に、辞令を渡されたら、早く出て行けとばかりに追い立てれて、最後の挨拶すらさせて貰えなかったわけで、正直なんと心が寂しい職場なんだと思ったものでした、昨今の郵政特に郵便事業の衰退を見ていると、従業員を大事にしない職場だから当然だよなぁと思ってしまうことが多々あります。)もなく本当にお世話になった皆様にお礼を言いながら退出出来たのはありがたいことでした。本来であれば、食事の調理員さんや清掃の皆様にもお礼を言うべきところでしょうが、セキュリティの関係もあり契約が終わったものがウロウロとするのは当然のことながら問題となるので、多少の心残りはありましたが、心の中でお世話になりましたと呟きながら、職場を後にしたのでした。

足掛け5年の派遣業務は終わりを告げるのですが、残念ながら次の職場が決まらず、しばらく失業保険を貰いながら充電することとなったのでした。

基本的な業務はPSTNと呼ばれる公衆回線網の保守のため、Linuxやwindows Server SQLと言った技術に触れることはできませんでしたが、なかなか経験できないことをさせていただいたことは、自分にとっても非常に良い経験になったと感じたものでした。そうした意味では、本当にレアな経験を色々とさせてもらったことを心より感謝しております。