今日も少しだけ思うことを思うままに書かせていただこうと思います。

たまたま昔のblogを読み返していると、懐かしい人の名前がでてきたのでした。

かれこれ15年以上前ですので、そのお子さんもすっかり大きくなっているというか、今は20代の若者なのでしょう。

何れにしても時代の流れは残酷なものです。

 

そこで、進学塾の話を書いていたのですが、大手進学塾では結局は子供に寄り添っての授業が出来ていないと言ったことが書かれていました。

そして、そうした事例は現在もさほど変わっていないなぁと思うわけですね。

結局、進学塾とか、子供の早期教育と言って煽ってはいるけれど、結局は自分たちの金儲けだけになっているのではないかと思ってしまうわけです。

 

本来の教育というあり方が、忘れられているというか、以前にも書きましたが。

国富という観点からすれば、これはもう大問題です。

子供の教育というのは偏差値の高い学校に子供を入れることだけが目的ではありません。

偏差値偏重ではなく、自ら考える癖を付ける能力を引き出すのが親の役目であり、教育の目的なのです。

 

知識を詰め込んでも、それを連結して応用できなければそれは意味をなしません。

その行動の目的は何か、その行動により得られるメリットは何か、更には、トヨタの「カイゼン」では有りませんが、もっと良くならないか、もっと楽できないか、もっと簡単な方法はないか・・・等々、あらゆることに対して疑問点を持ち続けられるかと言うことが重要になってくるわけです。


知識偏重では頭でっかちになってしまいます。

何故そうなるのか、その本質を見極めることが重要になってくるわけです。

逆に、本質を見極める力を付ければ、さらに色々な問題が見えてくるし、そ野崎にある問題点も手に取るように見えるようになる。

そんな気がするのです。