リンダ・ロンシュタットの自伝を読み終えて その弐 | Music and others

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リンダ・ロンシュタットLinda Ronstadt)による初の自伝、『Simple Dreams, A Musical Memoir』、全20章の中で印象深かった内容に付き、触れてみたいと思います。  本当は是非とも多くの方に読んで頂きたいのですが、翻訳版は出ていないので仕方ありません。
 
リンダ自身は、音楽面において同じ枠には留まらずに、70年代からのカントリー・ロック、70年後期から80年代前半にかけての王道ロック、そして、がらりと趣向を変えてフルバンドをバックにしたスタンダード・ポップス、さらにはスペイン語で歌うメキシカン・ミュージックと続き、それぞれに成功を収めて来ました。 
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また、大きな成功とは行きませんでしたが、80年代初めからブロードウェイ・ミュージカルに挑戦しています。 その延長上で、オペラにもトライしますがこちらは公演にまで漕ぎ着けることは出来ませんでした。
 
合間には、レコーディングは終えていたものの、正式なリリースに漕ぎ着けることが出来なかった、歌姫3名による素晴らしい共演集、『トリオ』(Trio)の発表を実現させて、大ヒットと高い評価を収めました。 このアルバム、リアル・タイムではなく後追いで聴きましたが、脱帽ものでした。 名前を連ねただけではない、本気度が窺える内容の濃い楽曲の連続でした、今でもたまに聴くと我を忘れてしまう瞬間があります。
 
このアルバムに関するブログがこちらになります。
    2017年8月 完璧な3人組とは? 『Trio』(↓↑
 
  2017年8月 5年遅れのリリース 『Trio Ⅱ』(↓↑
 
 
80年代初頭、リンダのあくなき探究心が向かった先はアメリカン・スタンダード・ポップスの再解釈によるがアルバムの制作だったのです。 組む相手は、古くからの知人でもあり、アトランティック・レコーズの伝説的なプロデューサーであるジェリー・ウェクスラーJerry Wexler)その人でした。 
 
いわゆる、”Great American Songbook”の制作を目指していたのですが、アレンジやエンジニアリングにおいて全て主導権を持って臨む彼のやり方に違和感を持ち続けたまま数曲のレコーディングを終えます。 結果的に、このプロジェクトは陽の目を見ることなく中止となり、親しかったジェリー・ウェクスラー夫妻との関係は修復できないほどに壊れてしまいました。
 
リンダ自身は、自分が理想と考える楽曲のアレンジと余りにも違う内容を提示されたにも拘らず、最初は従いますが、戸惑いを隠せず、それが徐々に巨大化し抗し難いレベルにまでなってしまったようです。 ただ、ピーター・アッシャーもレコーディング内容を聴いて同調したようですが。
 
仕切り直しとして制作したアメリカン・スタンダード曲集、3部作、『What's New』、『Lush Life』、『For Sentimental Reasons』は、ネルソン・リドルNelson Riddle)をアレンジャーに迎えて制作します。 高齢だったネルソン・リドルの健康状態が悪くならなければ、次のアルバムも制作されていたように思います。
 
文字通りで、第16章は『Nelson Riddle』と云う個人名になっています。 他に同様に人名を冠しているのは、8章『Emmylou』、9章『Peter Asher』くらいしかありません。
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私自身は、峠を過ぎた多くのアーティストがこぞって取り組む”Great American Songbook”と云う流れは好きではありませんし、評価もしません。 フルバンドをバックに良く知られたスタンダード曲をそれぞれの解釈で歌う、悪くはないのでしょうが、何か物足りなさを感じてしまいます。
 
 
一方、この時期にレコーディング&ミキシング・エンジニアーとして、ジョージ・マッセンバーグGeorge Massenburg)に出会っています。 これ以降のアルバム、82年リリース『Get Closer』以降のエンジニアリングにおいては、全てジョージに全幅の信頼を寄せるようになります。 途中からは、プロデューサーも兼任するようになりましたね。
 
 
90年代に入ると、元の王道路線に戻りつつも、ニュー・エイジ風味をまぶしてみたりと、少し迷いがみられました。 その後は、ロック・クラシックを子守唄にアレンジしたアルバムをレコーディングしています。 この頃の作品は、正直殆ど聴いた記憶がありませんでした。
 
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私にとって最も印象深い彼女の作品と言えば、89年リリースの『Cry Like a Rainstorm, Howl Like the Wind』になります。 リンダがこのアルバム制作に至った最も大きな動機はジミー・ウェブJimmy Webb)の作品をカヴァーしたいという想いだったようです。
 
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□   " Still Within the Sound of My Voice"  by Linda Ronstadt 

 

 
曰く、「As a songwriter, Jimmy Webb kills me.  His songs are difficult.」と云うことです。 
 
 
比較する意図で名前を出したのが、天才ブライアン・ウィルスンBrian Wilson)その人でした。 ブライアンの作る美しいヴォーカル・サウンドには、簡単に乗るような言葉を選んではおらず、不安定な魅力を生むような歌詞を当てている・・・・・と。リンダは、ブライアン作の楽曲を90年代に入りカヴァーしています、王道の”Don't Talk (Put Your Head on My Shoulder)”と”In My Room”です。
 
 
 
□   " Adios "  by Linda Ronstadt with Brian Wilson 

 

 

 
 
 
 
この曲のハーモニー・ヴォーカル・パートをブライアンに委ねた時のことが詳しく書かれています。 3声のパートをユニゾンで5トラックの多重コーラスにすることをブライアンが考え出して取り組んだ際に、余りにも複雑すぎて自分でどうすべきか分からなくなってしまい、自分に小言を言い始めて中断した。
 
曰く、少しの間ピアノで練習すると・・・・・。 ピアノでこの曲、”Adios”のパートを弾くかと思いきや、凄い音量で関係のないブギウギ調の曲を全く違うキーで演奏し始めるのです。 数分後にピアノから離れて、元のマイクロフォンの前に戻り、何のためらいもなく元のパートを完璧に歌いこなしたそうです。
 
そうです、これが天才、ブライアン・ウィルスンの日常なんですね・・・・・恐るべし人です。 このエピソードを知ってから、”Adios”を聴くとその光景が目に浮かんできそうです。 また、この曲のオーケストラ・アレンジメントをジミー・ウェッブに依頼したところ、快く引き受けてくれたそうです。
 
 
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そして、もう一つこのアルバムを特別なものしているのはエアロン・ネヴィルAeron Neville)のヨーデル・ヴォイスです。 ネヴィルズ自体がミュージシャンズ・ミュージシャンとして西海岸では広く知られていました。
 
□   " Arianne"  by The Neville Brothers with Linda Ronstadt 

 

 

 
リンダが初めてネヴィル・ブラザース(The Neville Brothers)の公演を生で観たのは、1984年にニューオリンズにてネルソン・リドルを伴って出演したイベント、ワールド・フェアでの公演日の夜でした。 自身のステージが終わってから、ネヴィルズのライヴに出かけた際に、エアロンに呼ばれてステージに上がり、一緒に最もお気に入りの曲、”Arianne”を歌ったのです。 この日の経験がアイデアとなり、アルバムCry Like a Rainstorm, Howl Like the Wind』が制作されたのです。
 
 
 
 
4曲も取り上げるほど、評価しているソング・ライターですが、私は殆ど思い入れがありません。 山下達郎氏を介してその凄さを少しばかり再認識したくらいですからね・・・・・。
 
一度、きちんと聴いてブログにアップしたいと思います。
 
□  " All I Know "  by Jimmy Webb with Linda Ronstadt

 

 

 
 
 
ネヴィルズとエアロン好きの私にとっては、本ブログでも多くのことを書きとめていますので、よろしければ読んでみてください。
 
2013年11月 Warm Your Heart』 - Aaron Neville ↓↑
 
2017年3月 Aaron Neville 『Apache』 ↓↑
 
2013年2月 アーロン・ネヴィル 祈りを歌に込めてー『My True Story』 ↓↑
 
2013年3月 アーロン・ネヴィル 祈りを歌に込めて II - 『I've been Changed』 ↓↑
 
2013年6月 初めてのネヴィルズ体験ー青山CAYにて ↓↑