楠部弥一の贋作を

購入する人を見て思うのは

手を出す人の調査不足。

 

少し調べれば

ニセモノだと判るのに

何処を見ればニセモノだって

気付けるのか

それを判っていないから

安い贋作に引っ掛かってしまう。

 

陶芸家作品の場合

作者の印か掻き銘で

先ず真贋の当りを

付けなくてはならない。

楠部弥一作『茶碗』識箱

同上・箱及び箱書

同上・茶碗の裏面

 

さて

何が問題なのかと言うと

裏面に見える作者印です。

 

御茶碗の大きさに対する

印の比率。

この印です。

 

デカい!

デカ過ぎる!

 

では

ホンモノの作者印はというと・・・

ホンモノの裏面。

同・印の部分

ホンモノは高台内に

小さくちょこんと押されています。

京都らしい雅さが有ります。

 

小さくてカワイイですよね。

 

ちなみに

こんな印も有ります。

『弥』の一文字の印

『弥一』の二文字の印

 

共に兎置物に押されていた

印の部分です。

 

楠部弥一氏は

小さな印をさりげなく

でもしっかりと押します。

 

氏の御茶碗の場合

華やかな御茶碗だと

取引金額も高いのですが

地味なシブい御茶碗だと

ホンモノでも

割と手頃な金額で買う事も出来ます。

 

色絵の華やかなニセモノを買うか

シブいホンモノを買うか。

 

同じ金額だったら

どっちを選びますか?

 

結論から言えば

気に入っていれば

どっちだって問題は有りません。

 

有るのは

将来の価値的な問題だけですから。

 

それと

ニセモノを買った事を

気付いた時の悔しさと気恥ずかしさ・・・!

 

自身の没後なら

家族に恥をかかせて

その事を笑い話にされる位でしょうか。