おはようございます。
昨日は良いお天気でした。
ワタクシは二度目の風邪が未だ治らず、それがうつった奥さんも同様の症状。
なので昨日から今日にかけて予定していたオホーツク海・常呂沖でのカレイ釣りは来週に順延となりました。
で、
ワタクシ達はコゴミ採りとウド探し、タラの芽探しへと近場に出掛けたわけです。
お天気が良かったからね♪
車は阿寒町の街中まで来ました。
いつもならばこのまま太い右側の道路を直進して阿寒湖へ向かいますが、今回は雄別炭鉱なのでセブンイレブンの手前から左折。

舌辛川の流れ。
魚は居るんだろうか?
背後からヒグマが出てきそうなロケーションなので、これでは竿が振れそうもありません。

雄別炭鉱の記念碑。
ワタクシは地元民ではないけれども、
炭鉱関係者だけで15000人もの人間が住んでいた阿寒町雄別の街が、今は居抜きのまんまのゴーストタウンと化している様が、
先人達のおかげで今のワタクシ達の便利な生活があるのだと、感謝に絶えません。
雄別炭鉱はかの有名な宜保愛子さんも「こんなところには居られない」と恐れおののいた心霊スポットなのだとか。
ワタクシ達は今回の目的があくまでも道端から見える範囲内での山菜採りなので、決して雄別炭鉱跡地の散策ではないことをここに申し上げておきます。
仮に霊が居たとしても、
それを茶化すとか冷やかすという気持ちは一切無く、日本の繁栄の一助になられた方々に対する尊敬の念だけに尽きます。

雄別にある半分以上がゴーストタウン化した街並みを抜けると、そこにはゲートがあります。
冬場は除雪がないためこのゲートは閉まるとのこと。

道なりにダートを進むと、大きな煙突が見えてきました。
太くてデカい!!
高さは40~50mくらいでしょうか。

ここでフキを見つけたので一旦車から降ります。
空はご覧の通りの青空。
素晴らしい青さです。

舌辛川はこのダートに添って流れていますが、
どうもおかしい。
いや、川の見た目がね。
対岸は護岸されていますが、あれは勿論古い時代の施工。
そして川の中には段々の流れが5箇所くらいあるのですが、どれも良く見ると石積みの段差なのです。
いわゆる自然が作り上げた段差ではなく、人の手によるもの。
おそらくコレは、炭鉱関係者達が釣りをするために釣りやすいポイントをあえて作ったのか、
それとも川の中で水遊びをするために作ったのか、
そのいずれかだと思います。
それにしても石積みの施工技術が実に綺麗なのです。

これは雄別鉄道の橋げたではなく、おそらくトロッコなどの軽量なものの通り道では?
余りにも橋げたの太さが華奢過ぎます。

上流に向かって左側から流れ込む沢。
そこに架かる軌道の橋は、レンガを石積みしたイギリス式タイプ。
これも歴史的建造物です。

川の中央部に敷かれたブロックは、おそらく対岸に渡るための足場かと。
ということは、
対岸にも何かしらの施設があるのでしょうか。

山の斜面にだけ咲く紫色の花。
何故か平地には咲かず、斜面だけなのです。
これも不思議。

水はチョロチョロしか流れていませんが、
一枚岩盤の滝。
見事な一枚岩です。

これがその紫色の花。
名前は…別にどうでも良い(笑)
人が住まなくても、こうして山の中に彩りがあるということ。
それはもしかすると、
これこそが「自然」な成り行きなのかもしれませんね。

肝心のコゴミはどれも伸びてしまっていて、
もう、5月15日の採取では遅い!!ということが判明しました。
なのでこれから別の地域へ移動します。
ほれ、
目的はあくまでも山菜採りなのですからね。

帰り際にまた目にした石積みの橋。
見事です。
これが1923年に炭鉱の操業が開始され、前年の坑内爆発事故をきっかけに翌1970年に閉山されるまで続いた雄別炭鉱の歴史。
1923年といえば大正12年ですから、随分長い歴史だと思います。
しかし、きっと入植した頃はいつまでも永遠に石炭採掘が続くものだと思われていたでしょうが、
それにとって代わる石油なるものが海外から輸入されることによって、北海道各地にあった炭鉱は次々と閉山に追い込まれていきます。
今現在、ワタクシの自宅のすぐ側にも釧路コールマインという釧路海底炭田の会社がありますが、
こちらは現役稼働の真っ最中。
間もなくここには採掘された石炭による火力発電所も完成する予定です。
1970年に閉山を余儀なくされた雄別炭鉱と、
今も現役で稼働する釧路コールマイン。
不思議なものです。

西陽が照らす沢の流れ。
その両側を護岸したコンクリート技術は大正時代のもの。
そう考えただけでも、先人に対しての尊敬の念が湧いてきませんか?
だから、ここは廃墟と云われていても怖くは感じないのです。






