りーちゃんの親は、マミとダディである。当たり前のことですね。すみません。
これまでにも何度か書かせていただいたが、マミとダディは、りーちゃんの親になって、いろいろと世界観が変わったところがある。
りーちゃん誕生以前と決定的に違うのは、ダウン症の人々についての認識だろう。もちろん存在は知っていたし、なんとなくどういう病気なのかは理解していたつもりだった。しかしかかわる場面が圧倒的に少なすぎて、実情を何も知らなかったと言って良い。
りーちゃんを授かってからは、町中でダウン症の人々を見かけると、知らず知らず応援してしまっている自分たちがいる。一人でバスに乗っていたり、歩道を歩いていたりする方を見かけると、せめて目が届く範囲までは何事もないか見守りたい、という気持ちになって目が離せない。そして同時に、一人でできるようになってすごいな、と尊敬の念も抱いているのである。
そんな思いを持って日常的に生活しているマミとダディなので、ごくまれにではあるが、余計なことをしてしまうこともある。
それはもう何年も前のこと。ダディが何らかの事情で早めに帰宅することになり、まだ日中の時間帯に最寄り駅に帰ってきた。改札口はかなり広く、ラッシュ時でなくても人が多いのだが、一人のダウン症の女性が立っているのが目に入った。ダディはついつい、注視しながら歩くスピードもゆっくりになっていた。
ダウン症の方々は年齢不詳で、大人になっても小学生から「何年生?」と尋ねられることも多いが、その方は恐らく高校生~20代前半くらいだっただろうか。改札に入るのかなと思ったが、動きがない。だんだんと不安になるダディ。もしかして定期券をなくしたり、次に行く場所がわからなくなったりして、困っているのではないかと、瞬時に様々な思いが頭を巡った。
もう少し様子を見てみようと、2~3分間くらいだったか、立ち止まって見続けたのだが、やっぱり立ち尽くすばかりで動きがない。これはもう、何かトラブル発生で困っているに違いない!声をかけて助け舟を出そう!そう思ったダディは、その方に近寄って、なるべく失礼にならないように声をかけた。
「あの、おねえさん、なにか困っていないですか。大丈夫ですか。」わかりやすいようにゆっくり、はっきり伝えたその瞬間だった。ダディと同年代くらいの夫人がすぐに近づいてきて言われた。「大丈夫です。今、電車の練習をしているんです。」
「あー、そうでしたか!すみませんでした!」と言うのがやっとで、すぐさま退散したダディ。いやいや、確かにそんな練習をすることもあるでしょうなぁ、余計な邪魔をしてしまったなぁ、と反省しながら帰路についたのである。
りーちゃんは今のところ、一人でバスや電車に乗れるようになることは、かなり難しいだろう。それでも社会で生活していくために、何か別なことで練習が必要になる日が来ると思う。
ダウン症の方々は、生きていくために様々な練習や訓練が必要になりますね。皆さん、頑張ってください。陰ながら応援しております。