突然ですが、人は自分の年齢をどのような時に感じるのだろうか。

 

年に一度の誕生日には1つ歳を取ったことは認識すると思うが、誕生日以上に、年齢を重ねたことを実感するタイミングがあると思う。例えば学校に通っているうちは、卒業式、入学式など環境が大きく変わるタイミング。あるいは10歳、20歳、30歳といった区切りの良い年齢を迎える時。そして、子を持つ親となったら、子の成長の節目節目で親としての自身の年齢を強く感じることがあるのではないだろうか。

 

われわれ夫婦もお兄ちゃんの時はそうだった。小、中、高等学校への入学、あるいは卒業、10歳、15歳という節目の年齢、さらには今までできなかったことができるようになった時など、子の成長を実感しながら、自分も歳を取ったと感じてきたのである。お兄ちゃんが高校に入学し寮に入るときは、子の成長を感じるとともに、こっちも歳をとったのだなぁと特に実感した。おそらくこうしたことは、どの親も感じることなのだろう。

 

ところがりーちゃんの親としての立場は、少し異なる。りーちゃんは成長がゆっくりだし、部分的にはほとんど成長していないと思えることもあるので、ずっと同じような年齢にとどまっていると誤認識してしまうことがある。そうすると、親のわれわれも自分の年齢が変わっていないような、妙な誤認識をしてしまう時があるのだ。

 

例えばお兄ちゃんの時は、オムツが取れた時に、「これからはドラッグストアでオムツを買わなくて良いんだな」とか「外出時にオムツを持ち歩かなくて良くなった」(←これはオムツが取れてからだいぶ後のことだけど)などと思うことで、お兄ちゃんの成長を感じ、こちらも歳を重ねたと感じることがあった。

 

しかしりーちゃんの場合、いまだにオムツは取れていない。そのためいまだにオムツバッグ(オムツだけでなくビニール袋やおしりナップが入っている)を持ち歩いているし、替えのズボンや靴下も外出の必需品である。オムツに関しては、親としてやることがずっと変わらないので、子の成長を実感しずらく、親自身の加齢も実感しずらい、という気がする。

 

なんとも矛盾していると我ながら思うのだが、お兄ちゃんに接している時とりーちゃんに接している時とで、親自身の年齢の認識も違ってしまっている気がするのである。なので、りーちゃんと一緒にいる時は若いころと変わらないようなつもりになってしまう。

 

なんだかよくわからない話だし、うまく伝えられているか全く自信がないのですが・・・。りーちゃんと接していると、こちらが気をつけていないと、いつの間にこんなに歳を取ったのだろう、と思う日がいつか来るようで、ちょっと怖いのです。