マミとダディはりーちゃんのことを話題にすることが多い。「りーちゃんっておもしろいよね」「飽きないよね」「かわいいよね(←親バカすみません)」などなど、りーちゃんのことをネタに語り合う日々だ。
健常児を育てる親であれば、子はいつか家を出ていくというパターンが多いだろう。我が家もお兄ちゃんについてはそうなると思われる。子どもがいなくなり、夫婦だけになった家庭は、うまく行くケースも多いだろうが、熟年離婚に至るなど不仲が露呈するケースも少なくない。
その点、我が家はりーちゃんが結婚をしたり就職をして独り立ちしたりすることは、想定していない。親がりーちゃんの面倒を見られなくなる前に、グループホームなどの施設に入ってほしい、という希望はあるが、健常児が大人になって家を出る場合とは異なるケースと言える。
なのでおそらく、グループホームに入った後もりーちゃんにしばしば会いに行くだろうし、夫婦間でりーちゃんの話題が尽きることもないだろうと思う。家にりーちゃんがいなくなればそれはそれで寂しいだろうが、りーちゃんの存在が接着剤となって、夫婦の協力関係がなくなることはないだろうな、と思っている。
もっと近い将来や現在のことで言えば、りーちゃんは今も幼児のような性格なので、親との距離が近い。一般的に、中学1年生ともなれば、母はともかく父のことは遠ざけるようになる年頃ではないだろうか。しかしりーちゃんはダディに対してもベッタリだし、夜もマミよりダディと一緒に寝ることが多い。
「普通なら、パパきらーい、とか言われてもおかしくない年頃だよなあ」などとダディは言いつつ、りーちゃんにベッタリされて目じりを下げている。嫌いとは言われないまでも、一般的には、親と一緒に出掛けることが徐々に減っていく年頃ではあるだろう。りーちゃんの場合は1人で、あるいはお友達と外出することは難しいので、これからもずっと、親と一緒に外出することになると思う。
マミもダディも、ずっと幼児を子育てしているような感覚でいる。オムツのことなど大変なこともあるのだが、何となく、親としてありがたいなぁという気持ちでいるのだ。普通だったら数年間で過ぎ去ってしまう、かわいい幼児期が、りーちゃんの場合はずっと続いているからだ。
もちろん、親亡きあとのりーちゃんがどうなるのか、それに向けてどのような準備をしたら良いのか、不安はいろいろとある。でもやっぱり、楽しいことや嬉しいことのほうが多いし、これからも楽しい家族生活になるんじゃないかなと、思えてしまう。楽観的すぎるでしょうかねぇ・・・。
障害児の娘を持ってみて、想像もしなかったような幸せや喜びを得られることを知った。人として、親として、何が幸せなんだろうか。りーちゃんの存在に、いろいろと考えさせられます。