【津田大介】あいちトリエンナーレの大問題【大村秀章】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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流行に浮かされずに独り立ち止まり、素朴に真っ直ぐに物事を観てみたい。
そういう想いのブログです。

 「あいちトリエンナーレ2019」(以下、「あいトリ2019」という。)が意外なかたちで注目を浴びてしまっている。

 周知の通り、「表現の不自由展・その後」である。概要は同企画HPにおいて公開されている(https://bit.ly/2Z5cxF2)。

 開幕初日の1日、慰安婦問題を象徴する少女像の展示が報道された。この時点では、この展示が問題になるにしても、ここまでの大問題に発展するとは私は想像していなかった(https://bit.ly/2YTyITe)。

 しかし、その翌日である2日、河村たかし・名古屋市長が大村秀章・愛知県知事に展示中止を求め、5日、大村知事が「『検閲』ととられても仕方ない」とこれに反発し、地方の政局に発展してきたhttps://bit.ly/317uDrlhttps://bit.ly/2MHGNTY)。大村知事と河村市長は盟友関係と思われがちだろうし、就任当初はそうだったのだろうが、河村市長が進める名古屋城天守閣の木造復元を巡ってだったか、いつからか盟友関係は解消されているらしい(2月の愛知県知事選挙で減税日本は大村知事に推薦を出していない。https://bit.ly/2MRu01b。平成27年の県知事選では減税日本は推薦を出していた。https://amba.to/2TLdmBX)。また、河村市長は名古屋城天守閣の問題を放り出して衆議院議員返り咲きを狙っているという見方もある。大村知事がムキになって不合理な反発を示す様に驚いた人もいるだろうが、おそらくこういう政治的背景が関係していると思われる。

 昭和天皇の御真影(写真)を燃やす映像など他の問題作品の展示も発覚し、さらには文化庁の助成事業であり(https://amba.to/2Z0T4cDhttps://amba.to/2H6VlIQhttps://bit.ly/2Z7dv3v)、吉村洋文・大阪府知事も絡んできて(https://bit.ly/2N5pcFp)、全国的な大問題になってしまった。ちなみに、4月の統一地方選挙および7月の参議院議員選挙で減税日本と日本維新の会は協力関係にあり、こういうことも吉村知事が大村知事を批判し、大村知事が反発を示した政治的背景となっているのではないかと思う(https://bit.ly/2yNsBjO。2月の県知事選で、日本維新の会は減税日本と同様に大村知事に推薦を出していない。https://bit.ly/2MRu01b)。

 のみならず、マスメディアが昭和天皇写真焼却作品について伝えることに消極的だ(https://amba.to/31pq7Vg)。先月の参院選で「NHKから国民を守る党」が躍進して政党要件を獲得したことに見られるように(https://bit.ly/2MdL5D6)、国民の間でマスメディア不信が高まってきており、こういう報道姿勢も相まって、ネット利用者の間で炎上する事態になっている。

 3日、同展示は脅迫ファックスのため安全上の問題が生じて中止となった。被疑者は7日に逮捕された(https://bit.ly/2MhRP2A)。

 「あいトリ2019」の芸術監督は、どういうわけか芸術とはかけ離れた「左系運動家」の津田大介https://bit.ly/2HbUSFp)。彼は金髪豚野郎・金豚で知られ、慰安婦問題の火付け役である朝日新聞の論壇委員を務める(https://bit.ly/2KuIsL4https://bit.ly/2H0L7K3。ちなみに「あいトリ2019」には公益財団法人朝日新聞文化財団も助成している。)。朝日新聞が反日捏造宣伝をしても国家権力によって取りつぶされることもないこと自体が、わが国の表現の自由が保障され過ぎていることの証左だと思うのだが、「表現の不自由展・その後」とは一体どの口が言うのかという気はする。

 東浩紀との対談動画で、津田は、天皇・日本を貶める意欲が窺える発言をしている(https://bit.ly/33jUE8C)。悪質な確信犯ということだ。「あいトリ2019」という公的な「国内最大規模の国際芸術祭」を反日極左の政治宣伝の舞台として利用した格好だ(https://bit.ly/2N82exl)。おそらく、展示中止になって「日本は表現の自由がないことが示された」と表明するところまで計画通りだっただろう。現に津田はそういう声明文を出している(https://bit.ly/2N4bpPy)。私としては、津田は、作品にカッとなった過激な右派が作品を損壊することを望んでいたのではないかとすら思う。逆に特に強い抗議もなく展示中止とならなかったならば、「国民の心は天皇から離れている。天皇制を廃止せよ。」などと反天皇の政治宣伝に利用する肚だったのではないか。

 大村知事は「表現の不自由展・その後」の内容を6月中旬に知り、展示方法の変更を津田に要望したが、「それだったらこの企画を止める」と津田に突っぱねられたそうだ(https://youtu.be/VADLhRbNdXc?t=1275https://bit.ly/33yyLCG)。同展示は脅迫によって中止になったわけだが、津田自身も「俺のやりたいようにさせなかったら「あいトリ2019」を台無しにしてやる」という自爆テロじみた脅迫をしているのではないかと思えた。

 そもそもなぜ津田が芸術監督になり、この度の展示に到ってしまったのか。愛知県は検証委員会を設置したが、きちんと検証されてほしい(https://bit.ly/2OY3aXJ)。誰がどのように責任を取るのか。芸術に造詣があるわけではない津田をわざわざ推して大問題を起こしたわけだから、何らかの責任問題は発生するだろう。少なくとも津田を芸術監督に推薦した者は次回の「あいちトリエンナーレ」の人選から外してほしい。

 大村知事はどう責任を取るのか。辞任に到るか否かはわからないが、今後、自民党としても大村知事を擁護できないだろう。擁護すれば、ただでさえ消費税再増税で逆風が吹いているのに、さらに逆風が強まることになる。それで来たるべき衆院選を戦えるのか。特に愛知県は「民主党王国」であり、元から自民党には厳しい地域だ。

 自民党は、次の県知事選で大村知事を推薦することはできないと思う。とすれば、大村知事は政界引退すらあり得るのではないか。それくらいの大失態となっていると思う。

 とはいえ、自民党とて大村知事に代わる県知事候補を準備していないはずで、そこに弱みがあると思う。県知事選と衆院選の先後関係の問題はあるが、私としては、前参議院議員の薬師寺道代氏あたりが妥当なのではないかと思う。

 

 

 

 13日、私は、切れ味鋭い経済ブログでお馴染みの血祭謙之介さんと共に「あいトリ2019」を見に行った。

 血祭さんのブログを是非見てほしい。最近は明石順平「アベノミクスによろしく」批判の連作を投稿している(https://amba.to/2Mn7FZJ)。

 血祭さんに教えてもらって知ったが、大村知事が「あいトリ2019」に関するツイートを消し、その中に津田とダブル裏ピースをしている写真があり、これは韓国人が日本人を侮辱する「豚足ピース」だという見方をする人がいるとのことである。

 これは穿った見方をしすぎというか、「あいトリ2019」を知らなすぎる。

 下の写真を見てもらえばわかるが、「あいトリ2019」のロゴに、左右を向いた段組の矢印がある。これを模したポーズに過ぎないと見るべきだろう。

 また、「あいトリ2019」実行委員会会長の大村知事が芸術監督の津田と写真を撮ること自体は問題ないだろう。

 豚足云々は批判すること自体が目的化した言いがかりだと思う。

 

 

 

 

 

 

 「表現の不自由展・その後」は「国際現代美術展」エリアなので、現代美術を見ることになった。

 正直、よくわからん作品が多い…。特に映像作品…。ぶっちゃけ、夕食で訪れたサイゼリアに飾ってあった古典的な西洋画の方が芸術性がわかりやすいw

 看板作品になっているピエロのマネキン作品もあった。マネキンはよくできており、撮影スポットになっていた。

 シルクスクリーンを重ね合わせた立体作品は圧巻。写真では伝わらないと思うので、ぜひ足を運んで現物を見てほしい。

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、「あいちトリエンナーレ」は今まで公式ガイドブックが存在したのに、どういうわけか今回はなかった。新聞のような無料の案内が配布されているのみである。

 なぜ今回は出していないのだろう。

 配布されている案内には、中止になった展示も掲載されていた。表現の自由のない独裁国家では存在そのものがなかったことにされるんだろうな…。

 「表現の不自由展・その後」という展示をしてもなお津田が生きておられるということも、わが国が寛容な国である証左であろう。「2代前じゃん」などと言って金日成の写真を燃やす作品を発表して、果たして北朝鮮で生きていられるだろうか(https://bit.ly/33jUE8C)。

 

 

 

 

 

 

 いよいよ皆さんお待ちかねの「表現の不自由展・その後」。

 広々とした部屋が真っ暗になっていた。展示物は無い。

 展示が減った分、ちょっと料金を安くしてほしい(^^;

 現地に行って気が付いたのだが、「表現の不自由展・その後」以外にも公開が中止になっている展示があった。

 「表現の不自由展・その後」の中止に抗議するため、作者が展示中止を求めたとのことである(https://bit.ly/2OTrLwLhttps://bit.ly/2Z2wE6I。CIRの展示中止の理由は「調整中」とのこと。https://bit.ly/2KByreW)。

 

 

 

 

 

 

 「表現の不自由展・その後」を巡る問題点は多岐にわたる。

 産経ニュースの記事がよくまとまっていたので引用する。

 

 

 

「不自由展、作品に「不快」批判 天皇肖像燃やす表現 来場者「悪意に満ちていた」 愛知の芸術祭、企画展中止」 産経ニュース2019年8月10日

https://bit.ly/2KqhDrg

 

「 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題で、同展の異様さが改めて浮き彫りとなっている。元慰安婦を象徴する少女像などに加え、昭和天皇の肖像を燃やすような動画が展示されていたためだ。「表現の自由」をめぐる議論が活発化する中、特定の政治性を帯びた侮辱や冒涜(ぼうとく)、ヘイト(憎悪)とも受け取られかねない作品に批判が相次いでいる。

 

■「焼かれるべき絵」

 

 問題の動画は、先の大戦を連想させる映像や音声が流れる中、コラージュ画に使われた昭和天皇の肖像を大写しにして、ガスバーナーで燃やしていく-という内容。燃え残りの灰を足で踏みつぶすシーンもある。
 企画展が中止となる前日の3日、動画を流すモニターの前には人だかりができ、来場者が顔をしかめたり、スマートフォンで撮影したりする姿もみられた。
 説明書きなどによると、昭和61年、富山県立近代美術館(当時)に展示された昭和天皇の写真と女性のヌード写真などを合成したコラージュ画が県議会で「不快」と批判され、美術館は作品を売却するとともに図録を焼却処分した。それが今回、燃やすシーンを挿入した理由とみられる。
 モニターの近くには「焼かれるべき絵」とのタイトルで、昭和天皇とみられる軍服姿の、顔の部分が剥落した銅版画も掲げられていた。
 来場した名古屋市の会社員男性は「結局、昭和天皇の戦争責任を問いたいのだろう。悪意に満ちていて気分が悪かった」と吐露。愛知県春日井市の自営業男性は「いくら表現の自由があるとはいえ、天皇の肖像を焼くような動画を行政が支援するイベントで見せるのは行き過ぎ」と話した。
 実行委員会の事務局には、少女像と同様に抗議のメールや電話が殺到した。」

 

https://bit.ly/33jUE8C

 

■「2代前じゃん」

 

 展示を問題視する声に対し、実行委の会長でもある愛知県の大村秀章知事は「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが極めて濃厚ではないか」と批判。抗議声明を出した各団体も、「憲法21条2項が禁じている『検閲』にもつながる」(日本ペンクラブ)など、憲法21条を理由にした内容が目立った。
 憲法21条は1項で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。一方、12条は憲法が国民に保障する自由と権利について、「これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と記す。
 表現の自由が無制限ではないとの判例もある。最高裁第3小法廷は昭和59年12月、「憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認する」としており、その後の裁判でも引用されている。
 芸術祭の芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介氏は開催前の4月、インターネット番組の対談で「(不自由展は)一番やばい企画になるんですよ。おそらく政治的には」と言及。天皇の展示について「2代前じゃん」「人々の記憶も『2代前だし、歴史上の人物かな』というようなとらえ方でできるかもしれない」などと語っていた。昭和天皇を指しているとみられる。
 産経新聞は企画展の意図について津田氏に取材を申し込んだが、同氏は「(芸術祭実行委事務局の)広報を通していただくことになっている」と回答。10日午後までに広報担当から返答はなかった。」

 

https://bit.ly/2YBYPho

 

■「日本へのヘイト」

 

 物議を醸した今回の「不自由展」。厳しい見方を示す識者は少なくない。
 昭和天皇の展示について麗澤大の八木秀次教授(憲法学)は、「わが国の『国民統合の象徴』である天皇の人格を汚す内容だったのは明らか。表現の自由は『公共の福祉』の制約を受けるというのが通説で、公序良俗に反する展示であれば当然、問題がある」と指摘。津田氏については「初めから展示が問題になりそうだと予想しており、“炎上商法”の手法だ」と批判した。
 ジャーナリストの門田隆将氏は「私自身も見たが、展示は明らかに日本に対するヘイトだった。自由は崇高なものであり、民主主義社会において最も大切だ。しかし、だからこそ節度と常識を必要とする。今回の展示に節度と常識があったとは思えない」と語った。

 

 

■公金8億円投入、検証委設置へ

 

 国内最大規模の国際芸術祭で、4回目を迎えたあいちトリエンナーレ(10月14日まで)には、愛知県を中心に多額の公金が投入されている。今回は県が約6億円、名古屋市が約2億円を負担。文化庁の補助金対象事業にも採択され、約7800万円が補助予定額となっているが、国は県の交付申請を改めて精査する意向を示している。

 トリエンナーレは3年に1度開かれる国際美術展を意味する。日本でトリエンナーレ形式で開かれているイベントとして、新潟県で平成12年から始まった「大地の芸術祭 越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレ」や、横浜市で13年にスタートした「横浜トリエンナーレ」が知られる。
 愛知県では、19年の県知事選で、3期目を目指した神田真秋氏が新たな文化芸術を創造・発信する国際的な芸術祭開催を掲げて当選。20年に県を中心に実行委員会が設立され、準備が進んだ。
 財源については、20年9月の県議会で、県が「基本的には県の一般財源でやっていきたい」と説明。前回(28年)の芸術祭は、名古屋市と合わせ10億円を超える費用が公金で賄われた。23年に初当選した大村秀章知事も、積極的に芸術祭をバックアップしている。
 芸術監督は、7人の学識経験者で構成する芸術監督選考委員会が選考。今回は29年7月にジャーナリスト、津田大介氏の就任が決まった。「社会情勢を踏まえた明確なコンセプトを打ち出せる」「ITに造詣が深く、国内外に強くアピールできる」などが理由という。
 愛知県は9日、企画展中止などについて検証する委員会を設置すると表明。16日に初会議を開き、11月末までに報告書をまとめる。」

 

 

 

 私が取り上げたい論点は、

①検閲

②表現の自由の制約

③政治的表現と芸術の混同

④異なる立場の相手にも同じことが言えるか

⑤人選

⑥御代替り

である。

 

 

 

① 検閲

 

 大村知事は「表現の不自由展・その後」の展示中止要請について「検閲」の問題だとする。

 日本ペンクラブや日本文化政策学会といった団体といった団体も「検閲」の語を用いて展示中止に対して抗議している(https://bit.ly/33jUE8Chttps://bit.ly/2YVgfoF)。

 「検閲」という言葉が原義を離れて一人歩きし、「展示中止を求める人は過激なんだろうな。」という印象操作が行われている格好だ。

 日本国憲法21条2項の「検閲」の判例上の定義を確認する。

 

 

 

最高裁判所大法廷昭和59年12月12日判決(札幌税関事件)

 

「憲法二一条二項にいう「検閲」とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである。」

 

 

 

 「発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること」が要件になっている。

 つまり、「表現の不自由展・その後」は、いったん発表された以上、「検閲」の問題にはなり得ないのである。

 常識的に考えてみると、行政権が展示会を開くに当たり、どの作品が当該展示会に相応しいかを事前に審査し、不適当だと認めるものの発表を控えたとして、「検閲」に該当して違憲だ、行政権は作品の展示を拒絶することはできない、というのはいかにもおかしい。展示会が滅茶苦茶になってしまう。

 「禁止する」の意味の問題である。「あいトリ2019」に発表できなくても、別の場で発表することは禁止されていないわけで、「検閲」には該当しないものと考えられる。

 例えば、教科書検定は、教科書として不合格でも一般図書として発行することは妨げていないことから「検閲」に該当せず合憲とされている(最高裁判所第三小法廷平成9年8月29日判決(第三次家永教科書訴訟))。

 15日から「あいち・平和のための戦争展」という左派の戦争に関する展示会が開かれているが、こういう場に「表現の不自由展・その後」の作品を展示することは禁止されていないのである(https://bit.ly/2He8gsT)。

 ②で述べる内容と関連するが、「発表を禁止」していない以上、事前に審査をしても「検閲」には該当しないものと考える。

 本件に限らず、「放送アーカイブ構想」を巡っても、「事後検閲」という言葉すら見られるが(https://bit.ly/2OOHNrX)、語義矛盾であり、言葉遊びや印象操作の類いである。

 こういう言葉を使う側にこそ欺瞞性が感じられる。「日本国憲法を守れ」という立場の者がこの憲法にない概念を勝手に創作するのを見ると不思議なものがある。

 大村知事は、本件に全く関係のない「検閲」という言葉を用い、左翼に対し日本叩きの棍棒を与えてしまった。真に罪深いと思う。

 

 

 

② 表現の自由の制約

 

 「検閲」に該当しなければ表現の自由は制約し放題かといえば、そういうわけではない。

 あくまで表現の自由は保障されるのが原則である(日本国憲法21条1項)。ただし、表現の自由とて絶対無制約ではなく、公共の福祉による制約があり得る(ネット上で日本国憲法12条を引く人も見られたが、同法13条を引くのが一般的。)。

 また、行政権が人権制約をする場合には、法律(または条例)の根拠を要するのが実務上の原則である(法律による行政の原理、法律の留保、侵害留保説。宇賀克也「行政法概説Ⅰ 第2版」(有斐閣、2006年)24~31ページ)。

 「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である天皇陛下(日本国憲法1条)の写真を焼くなんて非常識極まりない、そんな表現が自由にできてよいわけがない、排除されて当然だ、という意見には共感するところがあるが、そういう表現でも制約には法的根拠が必要である。

 では、大村知事は6月時点で「表現の不自由展・その後」の内容を知ったわけだが、その内容を事前に審査して公開しないことができる法的根拠があったのだろうか、という疑問が生じてくる。

 話がややこしくなって申し訳ないが、そもそも、人権制約を論じる場面なのだろうか。

 人権問題は、公権力と国民とが対立する場面で生じるのが典型である。では、「表現の不自由展・その後」の事前審査・排除はどうかといえば、「あいちトリエンナーレ2019実行委員会」と「表現の不自由展実行委員会」との契約関係の問題に帰するであろう(https://bit.ly/2N4bpPy)。「あいちトリエンナーレ2019実行委員会」が作品の使用権限を取得するにあたり、「あいトリ2019」における公開を義務づける特約がなければ、事前に審査して最初から非公開にすることも適法となろう(名古屋高等裁判所金沢支部平成12年2月16日判決(昭和天皇コラージュ事件)参照。https://bit.ly/2TAmdpS。作品購入にあたり公開義務付けの特約などが存在しないことが認定されている。)。

 仮に非公開自体は適法だとしても、当該作品は「あいトリ2019」の場に相応しくなく公開すべきではないものだと、誰が判断するのだろうか。「あいちトリエンナーレ2019実行委員会」会長の大村知事が独断で行ってよいとは考えにくいと思う。同会の合議・多数決で判断するのか。とすれば、大村知事は6月時点で「表現の不自由展・その後」の内容を知ったわけだが、会議に諮ったのか、会議に諮ることなくこのような反社会的な展示を漫然と許したのか、という責任問題が出てくるのではないかと思う。

 常識的に考えて、公金が投じられる以上、政治的中立性が要求されているはずだ、と思う人も多いだろう。私もそう思っていた。しかし、そういう法的根拠が意外と見つからない。「あいトリ2019」の財源を規定する文化振興基金条例は単に「あいちトリエンナーレの開催及びその開催の目的に資する活動に対する支援」のために支出できるとするのみであり、政治的中立性を求めていない(https://bit.ly/2OPFwNa)。他方、参考までに、あいちトリエンナーレの財源にはなっていないが、愛知県文化活動事業費補助金では、「政治的…意図を有する事業」は補助事業から除かれている(https://bit.ly/2Mc02FC)。

 そこで、「あいトリ2019」の募集要項を見ても、「舞台芸術公募プログラム」には「政治的宣伝意図を有するもの、…は募集対象外とします。」という記述を見つけることができるものの(https://bit.ly/2TozaTr)、「表現の不自由展・その後」が属する現代美術については募集要項そのものが私が調べた限りでは見つからなかった。現代美術については政治色が強いことを理由として作品を排除する規定が存在しないのかもしれない。

 3日以降、「表現の不自由展・その後」は展示中止となっている。「ガソリンをまく」という旨の脅迫ファックスにより安全上の問題が生じたためだ(https://bit.ly/33GtFob)。その法的根拠は、あいちトリエンナーレ実行委員会規約16条の「会長は、運営会議の議決事項について、緊急を要するときは、これを専決処分することができる」とのことである(https://bit.ly/2KBrTNg)。

 しかし、脅迫の被疑者は7日に逮捕されている(https://bit.ly/2MhRP2A)。にもかかわらず相変わらず展示を中止しているということは、他にも安全上の問題があるということか。

 いったんは「表現の不自由展・その後」の芸術性や「あいトリ2019」に展示することの適切さを認めたからこそ大村知事はこの企画を排除せずに展示を許したのだろうし、「表現の不自由展・その後」の展示を撤去するのは検閲だ、などと言うのであれば、大村知事は、表現の自由の守護者として、警備を強化して展示を再開すればよいではないか。そして大村知事が「表現の不自由展・その後」の内容を知りながら公金を投じて展示に踏み切った判断が妥当だったかどうか、県民に判断させればよかろう。

 それにしても、津田の「FAXはネット経由で匿名化されていて逮捕困難」とする声明は何だったのだろうか…。反日左翼による自作自演を疑う見方もある。朝日新聞的に言えば、疑惑がないことを証明しなければ「疑惑はますます深まった」ということになる。

 私も確たることは言えないが、法的根拠を考えずに「大村は反日展示を許してけしからん!」と批判しても適切な批判にならないと思われ、以上の指摘をした。「検閲」などという苦し紛れの言い訳をしたために大村知事に対する反感が高まっているが、だからと言って法的根拠を欠く無理な要求をしてよいことにはならない。「止めようと思えば止められたのに止めなかった」のと「止めたくても止められなかった」のでは大違いである。

 そもそも、「表現の不自由展・その後」には外国人も出品しており、外国人に政治的表現の自由は保障されているのかという問題もあるが、割愛する(関心のある人は最高裁判所大法廷昭和53年10月4日判決(マクリーン事件)を調べてほしい。)。

 

 

 

 

 

 

 

③ 政治的表現と芸術の混同

 

 「あいトリ2019」は芸術祭である。

 では、「表現の不自由展・その後」の作品に芸術性があったのか。

 「検閲だ!」などと言って展示中止に抗議している芸術家たちは、あの作品に芸術性を認めているのだろうか。

 芸術か否かの線引きは難しいが、思うに、政治的立場の異なる者にも認めさせる技術があってこそ、芸術なのではないか。

 「あいトリ2019」に展示されていたある写真作品に面白みを感じたものがあった。解説文を読んでみると、日本人はハーフを外国人扱いして、単一民族主義の不寛容な国だ、みたいな政治性を帯びた主張に基づいた作品だった。私の事実認識や政治的立場とは大きくかけ離れているが、そういう私でも楽しむことができたということは、創意工夫があり、芸術性があったということだろう。

 他にも、私が昔から好きだった絵描きのツイッターを見たら、「元号イラネ」という天皇軽視でガッカリしたことがあったが、彼の作品の価値を否定することはないし、人に薦めることもある。芸術という表現が適切かはさておき、実力は認められる。

 「表現の不自由展・その後」は、技術的に拙く、生の政治的主張がほとんどそのまま出てきており、芸術性に乏しかったと思う。政治的立場の異なる者には不快感しかない。

 ズッキーニ料理店に入って、真っ二つに切られたズッキーニが生のまま出てくるようなものである。一応手は加えられているが、そんなものが料理なのか。ズッキーニが嫌いな人にも食べさせる創意工夫が欠けている。

 「展示中止は日本の恥」などという意見もネット上で見かけたが、あんな作品に芸術性を認めて国内最大級の国際芸術祭に大っぴらに展示してしまう方が、わが国の芸術感覚の低さを示すことになり、その方が余程恥なのではないかと思う。日本芸術業界にとってマイナスだろう。

 大村知事は議論喚起のために展示したなどと言っていたと思うが、議論喚起は別に公的な芸術祭である「あいトリ2019」で行う必要はない。

 政治的表現と芸術とを区別して考えないと、「芸術祭で芸術性のない政治的主張も自由にさせろ。」というおかしな話になってしまう。

 むしろ、津田に政治的立場が近いとしても、「なんと馬鹿な真似をしてくれたのだ。国民の皆様に侘びを入れろ。」と突き放した方が、日本芸術業界のためになるのではないか。

 今回のような大問題が起き、日本芸術業界が展示中止を非難するのであれば、行政側としては、二度と同じ問題は繰り返すまいと、事前の審査を厳しくしたり、芸術祭の開催そのものに消極的にもなるだろう。それこそ芸術作品の発表の場の縮減を招く。

 津田が日本芸術業界にとって庇う価値の人間だとは思えない。いいかっこしいの愚か者として断罪した方がよいだろう。

 なお、古い感覚かもしれないが、「親の顔が見てみたい」と思った。津田の父親は元社会党のバリバリの左派で、津田は筋金入りのようだ(https://bit.ly/2HcqQBr)。

 

 

 

<18日追記>

<追記ここまで>

 

 

④ 異なる立場の相手にも同じことが言えるか

 

 仮に、元・在日特権を許さない市民の会の会長である桜井誠が公的資金で運営される芸術祭で嫌韓パフォーマンスを行い、抗議が殺到し、中止に追い込まれたとする。

 私にとっては、「表現の不自由展・その後」の作品より桜井の嫌韓芸の方が技術的に高くて余程芸術性を認めやすい。また、「表現の不自由展・その後」の作者には韓国人がいるが、日本人である桜井の政治的表現の自由の方が要保護性を認めやすいとも考えられる。

 「表現の不自由展・その後」を擁護している人たちは、「表現の不自由展・その後」と同様に桜井の演目を擁護できるのか。むしろ抗議する側ではないのか。

 「あいトリ2019」における「表現の不自由展・その後」を擁護するのであれば、桜井のこういう表現活動も擁護しなければ不公平であろう。

 もしそれはできないというのであれば、「天皇・日本に対するヘイトは良いヘイト」という歪んだ価値観が透けて見える。

 なお、右派の作品も展示して公平を図るべきだったという意見もあるが、私としては、政治性が剥き出しの作品を展示すること自体に反対である。「あいトリ2019」は芸術を鑑賞する場であり、政治対立をする場ではないと思うから。

 

 

 

⑤ 人選

 

 そもそもなぜ芸術からかけ離れた津田大介が「あいトリ2019」の芸術監督に選ばれてしまったのか。

 大村知事は津田に責任を「丸投げ」するかのような発言をしているが(https://bit.ly/2Zb4Wsu)、大村知事も芸術監督選任に関わっており、任命責任は生じるであろう(https://bit.ly/2TCvxcJ(14ページ)、あいちトリエンナーレ実行委員会規約9条(同146ページ))。

 また、他の運営会議委員にも任命責任は生じるだろうし、特に津田を芸術監督に推薦した者は、津田という適格性を欠くおそれの強いことが明白な者をあえて推薦し、そして今回のような大問題が起きたわけで、今後、芸術監督の人選には関わらせてはいけないと考える。

 芸術監督は「あいちトリエンナーレ芸術監督選考委員会」が選考し、同委員会は五十嵐太郎、加須屋明子、建畠晢(委員長)、中井康之、藤川哲、水野みか子、港千尋が務めた(https://bit.ly/33CGeAL)。

 

 

 

⑥ 御代替り

 

 血祭さんに教えてもらって知ったが、津田は、東との対談動画において、令和の祝賀ムードに冷や水を浴びせるという意図を語っていたそうだ。

 もう1つの意図としては、8月15日を視野に入れて、「太平洋戦争」における日本の責任を問う、という意図があろう。「表現の不自由展・その後」には、昭和天皇の写真を燃やす作品の他に、特攻隊員を侮辱する「間抜けな日本人の墓」という作品も展示されていた。

 私が気になったのは、「あいトリ2019」の開催期間は10月14日までなので、期間は重ならないが、10月22日以降の大嘗祭等の「即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式」である(https://bit.ly/3080dF5)。

 新帝即位の重要な儀式の直前まで昭和天皇の写真を焼く展示を続けるというのは、今上陛下の不幸を願うという呪詛を発しているように思えてならない。

 「表現の不自由展・その後」は、展示中止とならなければ、即位礼が近づくにつれ、その異様さがますます際立ったであろう。愛知の恥である。

 

 

 

 

 

 

 

 過激な展示で自ら問題を起こし、非難され、被害者を気取るマッチポンプ

 炎上商法

 津田大介がやっているのはそういうことだ。

 津田の振る舞いは美しいのか。

 「表現の不自由展・その後」の作品は美しいのか。

 審美眼が問われているのだと思う。