【百田尚樹】売り逃げる力【日本国紀】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 昨年11月23日、私は百田尚樹氏の「日本国紀」(幻冬舎、2018年)に対する批判的な意見を紹介した(「【百田尚樹】炎上の日本史【日本国紀】」https://amba.to/2W2UToy)。

 同書は保守を自認する人が「日本通史の決定版」として受け容れるのに相応しいものだとは思えない。

 とはいえ、三橋貴明と異なり、百田氏はデタラメな反安倍言説を撒き散らすことはしないだろう。

 今まで通り報道バラエティー番組で発言したり小説やエッセーを出す分にはさほど害はないと思われ、これ以上同書に疑義を呈する記事を書く必要はないと考えていた。

 「ゴブリンスレイヤー」の「ゴブリンの方が問題だ」ではないが、「三橋貴明の方が問題だ」「TPP亡国論の方が問題だ」というのが私の見方だ(https://bit.ly/2QA241P)。

 

 

 

 

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 しかし、他にいくつかの百田氏に対する批判を見、そして、百田氏の下のツイートを見て気が変わった。

 …と、昨年内にこの記事の執筆に着手したわけだが、その後なかなか時間を取れず、放置状態になっていた。

 お蔵入りにしようかとも思ったが、記事を書くといすさんに宣言した手前、旧聞に属するが、書き上げようと思う(https://bit.ly/2HEo3l8)。

 いすさんはツイッターで保守系に蔓延るアンチ竹中平蔵や「俺たちの麻生」の欺瞞を追及している。見てみてほしい(https://bit.ly/2WtSfaW)。

 

 

 

 

 

 

 このツイートを見て、私は百田氏の作家の良心を疑った

 というのは、「日本国紀」は誤りが指摘され、膨大な訂正が行われることが既に発表されていたのである。発表したのは編集を務めた有本香氏だが、作者である百田氏が知らないはずがない。

 同書は原稿用紙換算で800枚超だが、700枚超の訂正があるというのだから、ほぼ全体的に訂正されるのである(現に記述が変更されている箇所あり。https://bit.ly/30OIJyrhttps://bit.ly/2MdHq92https://bit.ly/2wq0eHchttps://bit.ly/2JHKYyd)。

 つまり、寝子さんのこの暗記作業のかなりの部分が無駄になるのである。

 にもかかわらず、百田氏はこんなツイートをするのである。

 作者から直接に「感激」を伝えられて喜ばない愛読者などいないだろう。寝子さんはますますこの作業に励んだに違いない。

 良心のある言論人ならば、内容に誤りがあり改訂版が近日中に出ることを告げてこの作業を一旦中断するよう言うか、それが難しいならば、黙っていればよいだろう。

 こんなツイートをして、リコールが決まった商品の継続利用を勧めるようなものではないか。

 一体どういう神経をしてるのか。詐欺的ですらある。

 百田氏が食うにも困る売れない作家であれば、こんなツイートをすることにも目くじらは立てまい。

 しかし、百田氏は人気作家であり、本書も既に数十万部を売る大ヒット作になっていたのである。

 百田氏の良識を疑う。

 商売っ気が強すぎ、人品の卑しさを感じる。

 なお、内容が不正確な本を出して改訂版を出してまた儲けるのかという批判を恐れるのであれば、出版社の公式サイトで訂正箇所を公表すればよいと思うが、そういうことはしていないようである(28日時点。https://bit.ly/2DQ7ySd)。

 

 

 

 

「百田氏発言とその書き起こし」 論壇net2018年11月20日

https://bit.ly/2ziGUxt

 

(2018年11月20日放送の「虎ノ門ニュース」の百田発言文字起こし部分)

「一番腹立ったのは、百田のこの本は、Wikipediaからパクってコピペしとると。これが腹立ってね。僕ね、この本書くのに、どれだけ資料揃えたかと、山のように資料揃えた。そんなかにはねWikipediaもそりゃあるよ。そりゃWikipediaから引用したもんとか、借りたもんとかある。でもねそんなもんはこの本の中の零点何パーセントなんですよ。これ原稿用紙でだいたい800枚くらい以上なんですけど、まぁWikipediaから借りたものなんていうのは原稿用紙なおすと、まぁ1ページ分か、せいぜい2ページあるかないか。……そう、それをね、もうネット上で、これも、これも、これもって、でもね、それもね、大半が、それ「歴史的事実」やし、誰書いても一緒の話や。」

 

 

 

 百田氏は、「日本国紀」執筆のきっかけについてこう述べている。

 

 

 

 

百田尚樹、有本香 「『日本国紀』を語り尽くす」 (Hanada2019年1月号、飛鳥新社) 82,83ページ

 

百田 『日本国紀』を書こうと思ったきっかけは、昨年のケント・ギルバートさんとの対談なんです。テーマは多岐にわたったのですが、歴史教育の話になったので、以前から日本の歴史教育がどんどん酷くなっていると感じていた私は、ケントさんにアメリカの歴史教育について訊いてみました。

 すると、ケントさんが「アメリカの歴史教科書で学ぶと、子供たちはみんなアメリカが好きになります。そして、アメリカに生まれたことを誰もが誇りに思います」とおっしゃったんです。それを聞いて私は「ああいいなあ。本来、歴史教育とはそういうもんやな」と羨ましく感じ、と同時に、「どうして日本にはそうした日本史の本がないんだろうか」と残念に思いました。その時、「そうか、なければ自分で書けばいいんだ」と気づいたのです。

有本 最近、日本では歴史関連の書籍が数多く出版されていますが、一冊で通史というものは少ないですよね。

百田 教科書会社が出版しているものぐらいしかありません。しかも、それを読めば日本に生まれたことに感謝し、日本人であることに誇りが持てるような日本史の本は皆無です。

 もちろん、負の歴史はどの国にもあります。ですが、それは子供たちが成長し、様々な知識を得たうえで学べばよいことです。何も知らない無垢な子供たちに、いきなり負の歴史を教える必要はない。いや、現代の学校教育は、むしろ負の歴史ばかりを教え込んでいる。酷いのは、そのなかに捏造の歴史まであることです。

 そんな歪んだ歴史ではなく、子供たちを含め、読んだ人、誰もが日本が好きになる、日本人であることを誇りに思う、日本に生まれてよかったと感じてもらえる日本通史を書こうと思いました。

 その時、偶然お仕事をご一緒していた有本さんに、「今度、こんな日本史の本を書こうと思っているんやけど」と――その時はまだ「こんな本書けたらええな……」ぐらいにしか思っていなかったんですが――ボソッと言ったんです。すると、有本さんが「それは書きなさい!」とおっしゃった。

有本 「書きなさい!」なんて命令口調で言っていませんよ(笑)。読者の誤解を招くようなミスリードはやめてください(笑)。「是非、書いてください」と申し上げたんです。

百田 優秀な編集者でもおられる有本さんがバックアップしてくれるなら、こんなに力強いことはありません。それなら書けそうだと思い、去年から準備をして、今年の年明けから本格的に執筆に取り掛かりました。完成まで約一年、二千時間以上を費やし、書いていて苦しかったことも多かったのですが、全体を通して非常に楽しい仕事でした。

 六十二歳になって、改めて日本史を勉強し直しました。これまで読んだ日本史関連の本も改めて全て読み返し、新たに膨大な資料も徹底的に読み込みました。小学館と集英社から出ている『学習まんが 日本の歴史』まで全巻読みましたね。」

 

 

 

 

 

 これを見て、百田氏の事実誤認や自惚れは甚だしいと思ったし、執筆にかけた期間も短いように思った。

 百田氏の歴史本の出版状況についての認識は、「日本に誇りを持てる歴史本は存在しない」というものである。

 しかし、百田氏は「新しい歴史教科書」応援団に加わっていたではないか。これは日本に誇りを持てる教科書だということで応援したのではないのか。

 わが国の歴史教育に問題意識を持ち、漫画を含めて「膨大な資料」を読み込んだと言う割に、自分が応援した教科書がなかったことになるとは一体どういうことか。

 また、百田氏は故・渡部昇一氏との対談本「ゼロ戦と日本刀 美しさに潜む「失敗の本質」」(PHP研究所、2013年)を出している。

 渡部氏は保守論壇の重鎮であり、歴史本を何冊も出している。そのことを百田氏が知らないはずはない。ちなみに、渡部氏は育鵬社の歴史教科書「新しい日本の歴史」の副読本として通史一冊本「決定版・日本史」(育鵬社、平成23年)を出している。渡部氏の遺作「渡部昇一の少年日本史」(致知出版社、平成29年)も通史一冊本であり、百田氏の「日本国紀」執筆の「きっかけ」より前に出版されているはずだ。

 百田氏は、渡部氏の本は日本に誇りを持てるものではないと認識しているのだろうか。

 他に、リブログ元の記事でも述べたが、百田氏は「虎ノ門ニュース」で竹田恒泰氏や西村幸祐氏と共演している。通史本ではないが、彼らも歴史・神話本を出している。彼らの本も日本に誇りが持てないものなのか。

 言論を共にしてきた者たちの業績をなかったことにして、自分だけが偉大な事業に挑む英雄かの如き振る舞いは、自惚れが過ぎ、不誠実ではないか。

 思い上がりが甚だしい。

 「日本国紀」執筆に取り組むうちに、「自分しかこの偉業に挑戦する者はいない」と、自己暗示にかかってしまったのではないかと疑う。

 ていうか、有本氏は百田氏のこの認識をただしてこなかったのだろうか。彼女の神経もよくわからないところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「日本国紀」批判が起きた当初、私は不思議に思った。

 百田氏は歴史に造詣があるわけではなく、今までの言論活動からして、同書は保守言論界で従来通用してきた歴史認識を下敷きにしているのだろう、と推測していたからだ。

 ところが、実際はそうではなく、大変驚いた。

 百田氏は「完成まで約一年」と言うが、彼の認識では日本に誇りを持てる歴史本は存在しないことになっているわけで、従来の言説を下敷きにしていないとすると、出版までに要した期間が短すぎると思う。

 この間、百田氏は「日本国紀」に専念するのではなく、「逃げる力」(PHP研究所、2018年)と「クラシック 天才たちの到達点」(PHP研究所、2018年)という日本史と関連が薄そうな本を出している。「虎ノ門ニュース」にも出続けていた(https://bit.ly/2wkpyP5)。放送時間の長さもさることながら、予習や待ち時間を考えると、かなりの時間を取られただろう。

 百田氏が一から「日本通史の決定版」を書くにはあまりに期間が短いのではないか。

 やはり井沢元彦氏の「逆説の日本史」あたりを下敷きにしたのだろう(https://bit.ly/2VSt0dRhttps://bit.ly/2zkxSQv)。

 「『日本国紀』に書かれていることはすべて事実」。

 この短期間の研究でこう豪語できてしまう百田氏は、歴史書を書く資質に問題ありだと思う(期間の問題でもないが)。

 出版してすぐに膨大な訂正箇所が判明したことから、事実なのは事実の確認不足ということだろう。

 有本氏が上記対談で「『日本国紀』現象」の要因の1つに「御世替わりというタイミング」を挙げているが(98ページ)、このタイミングで発売するという商売上の都合が優先され、日程から推測するに、「日本通史の決定版」からほど遠い未完成の内容でも出してしまえ、百田の名前なら売れる、ということだったのではないか。

 「本当のこと」「自分たちは何者なのか」(同ページ)を知りたい人たちに対して誠実だとは思えない。

 「売れた者勝ち」という開き直りすら感じる(https://bit.ly/2Ic80dB)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 百田氏は、「永遠の0」(講談社、2009年)で知られ、英霊を尊崇し、靖國神社も重んじている。

 百田氏は、「日本国紀」を書き上げ、靖國神社を参拝し、同書を献本したとのことだ。

 憲法9条改正も求めており、百田氏を保守として認識する人は多いと思う。

 しかし、国史を纏め、神社を参拝し、献本するなら、近代に創建された靖國神社より、歴史が古くて天皇や神話と縁の深い神社の方が相応しいのではないか。

 私は少々違和感をおぼえた。

 

 

 

 

 

 

 百田氏は、英霊や先人は尊崇しているが、天皇は軽んじているのではないか。

 そういう態度が、リブログ元の記事で指摘したような天皇に関して慎重さを欠く記述に現れているのではないか。

 「日本国紀」では、蒙古襲来に際して朝廷は祈るばかりで無能とし、祭祀軽視の論調が見られるとのことだ(https://bit.ly/2Xdx0XR)。

 平和は祈るだけでは実現しないと、憲法9条改正を訴える意図なのだろうが、天皇を貶めるのはいかがなものか。

 果たしてそれは保守なのか。

 石原慎太郎元都知事に通ずるものを感じる。

 石原元都知事も、靖國神社に参拝し、憲法9条も問題視し、保守と見られがちであるが、天皇は軽んじていたはずだ(https://bit.ly/2Xelqfd)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先月末日から今月1日にかけて、先帝陛下から今上陛下への御譲位が執り行われた。

 同時に、皇位継承者の先細りが懸念されている。

 この頃、「Y染色体説」なる皇位継承論が保守系の人の間で広まってきている。

 安倍側近の一人である衛藤晟一参議院議員までこの説を唱えているとか(https://bit.ly/2VRZ6Xs)。

 神武天皇のY染色体を継承してきたことが皇位継承の正統性ということらしい。

 女系天皇阻止が狙いなのだろう。

 百田氏はこの説を「日本国紀」で興味深い説として余談で取り上げ(34ページ)、「虎ノ門ニュース」でも取り上げている。

 

 

 

 

 

 

 分かりやすいと言えば分かりやすい。

 しかし、女性はY染色体を有していないわけで、過去に存在した女性天皇の説明が苦しい。

 別にY染色体云々で皇位継承の正統性が決まってきたわけではなく、後知恵に過ぎない(https://bit.ly/2YPQTok)。

 また、皇位継承を科学の土俵に乗せてしまうと、科学で反論された時に困ったことになる。

 神武天皇から受け継いだY染色体が皇位継承の正統性だとすると、Y染色体が変異したら皇位継承権なし、過去の天皇のDNA鑑定をして現天皇のY染色体と一致しないことが証明されたら皇統断絶、そもそも神武天皇のDNAはどうなっているのか、と、皇位を揺るがせてしまう(https://bit.ly/2HFP8V5)。

 DNA鑑定技術が低かった頃は証明されることはないとしてそういう言説も通ったかもしれないが、今や縄文人のゲノム解析まで完全にでき、生前の顔立ちまでわかるというところまで科学技術が発達しているわけで、白黒決着がついてしまう(https://bit.ly/2MeWrHE)。

 現在、百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録が確実視されているが、仁徳天皇陵を暴いてDNA鑑定しよう、などという話にもなりかねないのではないか(https://bit.ly/2LDpFQd)。

 Y染色体説は皇統を危うくする理屈であり、これを拡散する百田氏や「日本国紀」にもまた危うさを感じる。

 そもそも、神聖な領域に科学を持ち込むのはいかがなものかという気もする。

 なお、DNAは集団の歴史を描くのには有効であるが、個人の由来を探るのには適さないという指摘もある(篠田謙一「新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造」(NHK出版、2019年)218ページ。なお、同225ページを見るに、篠田氏は護憲派と思われる。)。

 

 

 

 「日本国紀」はサヨクが反発していると思われがちだろう。

 しかし、「右側」から反発が起きても然るべきものだ(https://bit.ly/2EAN6Ur)。

 膨大な訂正箇所があり、また、訂正を重ねても、天皇を軽んじていると思しき史観については修正がきくまい。

 日本大好きの寝子さんが頭に叩き込んでいた「日本国紀」はそういう本だ。森永ヒ素ミルク事件さえ頭をよぎる。

 「日本国紀」が、保守を自認する人たちが信頼するに相応しい歴史書だとは私には思えない。

 既に発行部数は65万部(https://bit.ly/2QFs3F7)。

 歴史を扱う同書は「殉愛」と違って損害賠償請求されることもなく、百田氏はこの作品を売りまくり、売り「逃げる」のであろう(https://bit.ly/2JJKIyL)。

 

 

 

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