【ヒルナンデス】鈴木福君の旅コーナー【古事記ゆかりの地】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 12日、日テレ系の「ヒルナンデス!」を見てみたら、鈴木福君の「家族と離れ 飛行機に乗って1人旅」だった。今回は北陽の虻川美穂子さんが同行しており、2人旅だった。

 福君たちは仁徳天皇陵を参拝していた(http://www.ntv.co.jp/hirunan/thursday/2017/01/)。

 このコーナー、前にも見た覚えがあって、昨年11月放送の霧島神宮を訪れるという回だった(http://www.ntv.co.jp/hirunan/thursday/2016/11/)。

 霧島神宮は邇邇芸命(瓊瓊杵尊、ににぎのみこと)を祀っており、天孫降臨の解説があった。大山津見神(おおやまつみのかみ)が娘の木花之佐久夜毘売(木花咲耶姫、このはなさくやびめ)と石長比売(いわながひめ)を邇邇芸命に嫁がそうとしたところ、邇邇芸命が石長比売を実家に返してしまい、以来、邇邇芸命にも寿命が与えられてしまったという話が、イラストを使って面白おかしく語られていた。

 地上波のお昼の番組で、有名子役が出演して、天皇や神話に関する内容を扱うんだなぁと、感心した。

 ただし、解説には物足りない点もあった。

 天孫降臨を解説するのであれば、その血筋が第125代天皇である今上陛下にまで繋がっていることも述べてほしいところだが、確かそこまでは踏み込んでいなかった(霧島神宮のHPには書いてある。http://www.kirishimajingu.or.jp/contents/goyuisho.html)。

 第16代仁徳天皇の「民のかまど」の解説にしても、税を3年間免除したと言うだけで、なぜそうしたのかの説明もなく、また、予備知識のない人があのイラストを見たら、税を免除しても仁徳天皇は問題なく豊かな生活を送ることができたという印象を抱いたであろう。

 とは言え、今上陛下の譲位(退位)が迫る中、古事記ゆかりの地を訪ね、古事記や天皇への関心を高める番組は好ましいと言えよう(http://www.sankei.com/politics/news/170110/plt1701100002-n1.html)。

 

 

竹田恒泰 「古事記完全講義」 (学研パブリッシング、2013年) 414~418ページ

 

第十六代 仁徳天皇

 

(中略)

 

◆聖帝の世

 

国民のために三年間、徴税をストップ

 仁徳天皇のお子様は、次々と天皇に即位します。太后の石之日売命(いわのひめのみこと)が生んだお子様が第十七代、第十八代、第十九代の天皇になります。

 ご事蹟が細かく書かれています。特に治水ですね。川を掘ったり、堤防をつくったりという大規模な工事が行われて、今も残っています。これによって大阪平野が豊かな耕作地になったということですよ。ですから大王として水を治める、ということがとても重要だったことがわかります。

 そして、有名な逸話が書かれています。

 宮から四方の国土を見渡したとき、本来なら煮炊きをする煙が立ち昇っていなくてはいけないのに、全然煙が立っていない。ということは人々は食べるものもないんじゃないか。煮炊きする燃料もないんじゃないか? これは大変だ! ということで、三年間、税金を止めるんですね。半年か一年でもいいんじゃないかと思いますが、三年間です。思いきったことをしますね。

 今、内閣総理大臣が「国民が苦しんでいる。よし、税金を三年間止める!」ってできますかね?(笑) まぁ無理でしょうね。もちろんそれは天皇の暮らしも直撃するわけです。

 で、どうなったかというと、宮殿は壊れ邦題、衣食住にも困る有様で、雨漏りを器で受けながら、寝る場所を探して回るほどだったようです。で、三年たったのでしょう。国中に炊煙が満ちて、「おお、人民が豊かになっている!」と思し召して、ようやく税金を復活させる。これによって百姓は栄えて苦しまなくなったという。

 本当にすばらしい政治が行われた、ということで、「聖帝(ひじりのみかど)」と呼ばれるようになりました。模範となるべき立派な天皇はほかにもいたでしょうが、「聖帝」といったら仁徳天皇だけをさします。

 ちなみに私、高津宮(たかつのみや)に行ってみたんですよ。行くと「え? ここですか?」って感じですよ。目の前にビルが建ってて何にも見えないの(笑)。でも、いちおう仁徳天皇の気持ちになってみて、見える気になって「うんうん。民が栄えた」って。こうやってビルで遮断されているのも民が栄えている証拠だと思って、ちょっとだけ仁徳天皇の気持ちになって眺めてみた次第です。

 

後世の天皇の模範となった仁徳天皇

 税金を止めた話ですが、『日本書紀』にはもう少し詳しく書いてあります。

 仁徳天皇がボソッとつぶやいたそうです。「天が君を立てたのは百姓(おおみたから)のためである」と。

 それが事実かどうか。太古の話ですから、それは嘘だ、本当だ、って言い合っても仕方がない。少なくとも、正史である『日本書紀』、国家が編纂した正式な歴史書に書かれていることです。

 でも、本当に仁徳天皇がその言葉を発せられたか。本当に三年間、税金を止めたのか。これはむしろどっちでもいいんです。そんなことよりも、もっと大事なことがあります。それは、それ以降の歴代の天皇が、仁徳天皇の政治を理想的な政治として何百年も模範にし続けたこと。これは事実であります。これはとても重たいことなんです。

 歴代の天皇は、国民が苦しんでいると「自分がどんなに苦労してもしょうがない。国民のためだ!」といって、自分の命を捧げだすようなことを何度もくり返してきました。

 特に、いちばんわかりやすいところでいえば、昨年の東日本大震災ですよ(※)。このときの天皇皇后両陛下が被災地をご訪問になった。その姿、テレビでご覧になりましたでしょう、皆さん。色がピンクになっているわけじゃないんですけど、ハートが飛んでる感じに見えませんでしたか? もう両陛下からほとばしる愛情。それを受ける被災者の方々が無限の愛を受け止めて、癒されて、みんなで涙を流して、「来てくれて、ありがとうございました!」と言っていらした。

 私も被災地を訪問してインタビューしたんです。「両陛下がいらしていかがでしたか?」って。そしたら思い出すだけでみんな泣いちゃうんですよ。「陛下がいらしてくださったおかげで、初めて生きる望みをつないだ」って人もいました。今まで「家族全員死んで、自分だけ生き残っちゃって。なんで自分だけ生き残ったのか。できれば死んでしまいたい」とか、「仕事をどうしたらいいのか」とか、いろんな悩みで押し潰されそうになった人もたくさんいたそうです。でも、そういった人々が、両陛下のお見舞いを受けて、初めて生きる望みを抱き「よし、がんばろう!」って思ったっていうんですね。

 だって、菅総理が行くと罵声が浴びせられるんですよ(笑)。なんですかね、あれ。菅さんだって、チャラチャラヘラヘラ行ったわけじゃない。それなりに、申しわけなさそうに接してましたよ。でも、いろいろ言われるんですよ。「へー、もう帰っちゃうんですか?」とか、「早く帰れ!」とか。「じゃあ、いつ帰ればいいんだ!」って思ったでしょう(笑)。

 これは菅さんがどうのこうのというよりも、やはりしょせん他人事なんですよ。他人を見舞っているんですよ、事実。でも、天皇皇后両陛下は他人を見舞ってる感じはしなかった。ぜんぶ身内を見舞っている真剣さでしたよ。

 

親が子を愛するように国民を愛し続けている天皇

 だって、天皇にとって、国民って我が子同然です。

 今は国民といっていますが、帝国憲法下では「臣民」といいました。そして、昔は天皇の「赤子(せきし)」って言っていた。私たち日本国民一人一人は、天皇からしたら、自分の子供みたいに大切なんです。ですから、歴代天皇は「国民の幸せ」を祈る。これを二千年続けてきました。天皇が自分のことを祈ったことはないんです。おびただしい祈りを捧げていらっしゃいますけれども、天皇の祈りというのは、常に国民のためです。国民一人一人の幸せを祈っていらっしゃるわけです。

 だから両陛下は、国民が被災したら、心配で心配で、居ても立ってもいられない。すぐに行って、「大丈夫ですか?」「元気にしていますか?」「何か不自由はないですか?」と声をかけてあげたい、と思し召されるんですね。

 天皇と国民との関係をわかりやすく例えたら、親子の関係がいちばんしっくりくるんです。親子の関係って計算がありません。親がなぜ子供を愛するか。理由はありません。子供はなぜ親を慕うか、理由はないんです。親は子供を愛し、子は親を慕う。もう掛け値なしの、純粋なごく自然なことなんですね。天皇が国民を愛するのに理由なんかないんです。天皇だから国民を愛するんです。国民の父母として、最大限の愛情を注ぐわけです。だからこそ、何かあったら、命をかけてでも国民を守っていきたい、というものすごい思いがあるわけですよ。

 この姿勢は、歴代天皇がずっと継承してきたことです。その気持ちを体現するのは、現両陛下が始めたわけではなくて、これは昭和天皇からお引き継ぎになった。ただ、愛情の表現法はそれぞれ時代に合った形があると思うんですよ。昭和天皇だって、先帝からお引き継ぎになって、神代の時代から、国民を愛するということは、ずっと続いているんです。その原点が仁徳天皇なんですね。」

 

※ この講義は平成24年(2012)に開催された。この年は古事記編纂から1300年目である(8ページ)。

 

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 ところで、近年、除夜の鐘を「騒音」扱い人がいるそうだ(http://ameblo.jp/akiran1969/entry-12232238167.html)。

 苦情に屈した寺もあるそうだ。

 地元や日本文化への愛着があれば、除夜の鐘は騒音として差し止める対象ではなく、未来へと継承していこうと考えるものではなかろうか。

 鈴木福君はというと、

「ぼくが赤ちゃんの頃から
初詣は長野県伊那市の
ひいおばあちゃんの家の近くのお寺で
除夜の鐘をついてから
歩いて近くの神社へ行きます。

「紅白歌合戦に出場した年は
紅白本番の後に
東京で除夜の鐘をつきに
行きました(笑)」

とのことである(http://ameblo.jp/suzuki--fuku/entry-12236876231.html)。

 福君にはこれからも健やかに育ってほしい。