都内の坂道歩き
坂道が好きです!
まずは#100達成!!
まだまだ都内の気になるところを
勝手気ままに巡ります![]()
vol.24 #162〜#176
文京区本郷
2024/11月
約半年ぶりに坂道巡り再開しました
ここから3クール目に入ります
文京区の坂道まだまだあります
今回は本郷エリアを北から南に
歩いて行きます
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#162 新坂
#164 梨木(なしのき)坂
#165 胸突坂
坂下より
胸突坂を下り切り
再び菊坂を南東方向に歩き
本妙寺坂に向かいました
本妙寺坂下から上ります
#167 炭団(たどん)坂
炭団坂の由来
本郷4丁目
坂名の由来は複数ある
①炭団などを商売にする者が多かった
②切り立った急な坂で
転び落ちて炭団のようになる者がいた など
炭団とは?
炭団とは炭を粉にして丸く固めた
燃料なのだそうです
そもそも「団」は丸いものを
意味するのだとか
#168 東富坂
東富坂の由来(標識見当たらず)
本郷1丁目と4丁目の間
小石川台の「富坂」に対して
白山通りを挟んで向かい合う
本郷台に上る坂を「東富坂」と名づけた
「春日町」交差点を左方向へ
白山通りを少し歩くと
旧東富坂の上り坂です
#169 旧東富坂
旧東富坂の由来
本郷1丁目
トンビがたくさん集まってくることから
「鳶坂」といい「富坂」に変化した
後に北側に新設した坂が「東富坂(=真砂坂)」
となったため この急坂は
「旧東富坂」と呼ばれるようになった
坂上より
旧東富坂中程から東方向へ歩き
突き当たったら右手方向へ
#170 新坂(外紀(げき)坂)
新坂の由来
本郷1丁目
坂上に内藤外記という旗本の大きな屋敷があり
ゲキサカ(外記坂)と呼ばれる
新坂というのは江戸時代からあった
古い坂でその名前の由来は不明
坂下より
下り切った先に東京ドームの屋根が
ドーンと飛び込んできます
再び白山通りに出ます
左方向へしばらく歩きます
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こちらから壱岐坂へ
壱岐(いき)坂の由来
本郷1丁目と2丁目の間
彦坂壱岐守屋敷があったために
この名がついた
坂上より
反対側へ渡り次の金毘羅坂へ
向かいます
正面に見えるのは東京ドームホテル
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道なりに歩き金比羅坂の坂上へ
#172 金比羅坂
坂はT字の下りの方へ続きます
金比羅坂の由来(標識なし)
本郷1丁目
近くの金毘羅宮東京分社に因む
下り切って白山通りに出て左方向へ少し歩き
左手に上る坂が忠弥坂
#173 忠弥坂
忠弥坂の由来
本郷1丁目
坂の上に丸橋忠弥の槍の道場があったので
この名がついた
坂上より
そのまま3分程直進して
右に曲がり建部坂へ
#174 建部(たけべ)坂(初音坂)
建部坂の由来(標識見当たらず)
本郷1丁目と2丁目の間
かつて建部氏の邸地があったため
この呼び名になった
富士見坂の由来(標識なし)
本郷2丁目
江戸時代は周囲に高い建物もなく
坂の西横方向に富士山が見えたのであろう
上り切って右方向へ
やはり富士見坂と平行にのびる
油坂を下って行きます
#176 油坂
油坂の由来(標識見当たらず)
本郷2丁目
坂名の由来は不明
坂下より
順天堂大学の建物の間を通ります
下ったら外堀通りを歩いて
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最寄りのJRお茶の水駅が
今回の終着点の駅となりました
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今回歩いた中にも「富士見坂」がありましたが
その名の通り昔は坂上から
富士山が望めたのでしょうが…
都内に数多く存在する富士見坂
今も富士山が見える坂が
果たしてあるのだろうか?と
考えてしまいました
「胸突坂」も文京区内に3ヶ所あり
今回が3つ目の胸突坂
上るより下りたいと思う坂です
効率良く回るには選んでいられませんが
今回の胸突坂は下りから進入できて
ラッキーでした![]()
今回も頑張って坂道数稼ぎました
もう200という数字も見えて来ました
多分文京区で200坂道到達すると思います
さて200番目の坂道はどこなのか
まだまだ続きます![]()
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カウント対象の自分ルール
都内の坂道であること
案内碑(標柱)のある坂道
であること(基本的には!)








































































