松下通信を支えた50人:中尾大 | 松下通信を支えた50人

松下通信を支えた50人:中尾大


20102月某日1

今日は来客予約が2名入っていた。一人はR.O.D社の池田部長、もう一人はいつもの作家中松氏だった。


先に池田氏がやってきた。R.O.D社はこの時期付き合いが少なくなっていて池田氏は初めての来社だった。精悍な顔つきで、営業部長への就任挨拶ということで簡単な自己紹介をいただいた。前職はカメラハウジングメーカーのミカミ社の営業で、訳あって転職しR.O.D社の営業を任されたということだった。話を聞いていて、R.O.D社は貴重な人材を受け入れ、この人の働き次第では大きく伸びるはずとの印象を持った。そしてその後、予想通りR.O.D社が大きく飛躍したのは彼の貢献が大きかったと思っている。

池田氏が帰ってすぐに中松氏はやって来た。原田は、松下通信を支えた50人の一人して、今日は通信事業を牽引した中尾大の話をすることにした。

松下通信の通信事業は、いわゆる有線通信の分野を担当していて、無線・自動車・AVシステムの3本柱には入らないものの重要な事業分野であることには変わりはなかった。1981年から取締役3年、常務取締役2年、専務取締役2年を務めた中尾大はこの通信事業を担当していた。

「中尾大はビジネスホン、ホームテレホン、インターホンのそれぞれの事業を育てて一流の事業に仕上げることで松下通信の発展に大きく貢献しました。特にビジネスホンはシステム化の視点を重視し、その後のPBX開発や大規模交換機システムの開発へと広がっていきました。当時松下グループ内では九州松下電器との社内競合が激しくなり、社内で勝てねば他社には勝てぬと揶揄された時代でもありました。」

原田はさらに中尾氏の人となりについても中松氏に説明した。

「中尾氏は厳しいながらも温厚な人柄で素晴らしい人格者でした。人と話をする時はいつも微笑みを忘れず、下の者の緊張を解きほぐしてくれました。ほほに大きなアザがありましたが、それさえ愛嬌と思わせる心の豊かな役員でした。」

松下通信にはいろんな役員がおられたのですね、と中松氏はつぶやいた。


 

2週間後に続く

 

 


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