松下通信を支えた50人:ひとつの疑問 | 松下通信を支えた50人
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松下通信を支えた50人:ひとつの疑問


200912月某日4

「原田さん、話をお聞きしていて、どうしても一つわからないことがあります。」

原田が、松下通信を支えた50人の一人として川田隆資の話を終えた時、中松氏が突然切り出した。

「私は日経新聞の要請を受けて松下通信の歴史を振り返ろうと原田さんにお会いしました。これまで原田さんの話をお聞きし、何人かの松下通信のOBにもお会いし、そして自分なりに松下通信の過去の記事を調べてみました。その結果、松下通信ほどの素晴らしい会社はそんなに見当たらないということがわかってきました。松下通信は、間違いなく松下グループの技術をリードし、産業分野での市場をリードしていました。そんな松下通信を“破壊と創造”という名目のもとに、なぜ解体してしまう必要があったのでしょうか。中村社長は、なぜ本社改革を後回しにして松下通信や九州松下といった元気のいい子会社にメスを入れる必要があったのでしょうか。どう考えても理解できないおかしな話です。」

「そうです。今振り返ればその通りです。以前、鈴木記者からも同じような質問を受けたことがあります。」
原田は、中松氏の疑問に大いに賛同した。自分の思いに近づいてくれたことでうれしくなった。しかし、同時に二人が同じような思いでは先に進む上で支障をきたす、との思いも浮かび別な切り口で説明した。

「日経新聞から“松下の中村改革”という本が出ていますが、この中にはこの点に関しての記載はありません。いろんな考え方があると思いますが、中村社長がなぜ松下通信を解体したのかは直接お聞きしたわけではないのでわかりません。出来れば知りたいのは、あの時、中村社長はご自身の果たすべき役割をどう判断されていたのか松下グループの課題をどう捉えておられたのか、そしてご自身が松下通信という会社にどういう思いを持っておられたのか、という3点です。」

「そうですか。いま中村元社長にお会いしてお聞きしたとしても説明いただくことは難しいでしょう。松下通信の解体を進めた背景の考え方がよくわからないという点がわかっただけでもとりあえず納得です。松下通信の歴史を調べる上での一つの課題としましょう。これは私の宿題にして下さい。」
中松氏はにっこり笑ってそう答えた。

「この点はこれから考えるべき大きなポイントにするということで、今日はこの辺で終りにしましょう。次は来年になりますが、また松下通信を支えた50人の話に戻りましょう。川田隆資社長の次は、もう一度遡って役員クラスから続けさせていただきたいと思います。」

二人は翌年の日程を打ち合わせ、お互いに年の瀬の挨拶をして別れた。

 

2週間後に続く

 

 

 


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