モンクある?

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前編からの続き。

与那を通過し、いよいよ普久川の登りに入った。
昨年の経験から、ここを登り切った時点で第二集団あたりに入ってなければ完走はできないと考えていた。
今年は、与那までのペースが速くなかったせいもあってか、登り始めても足攣りの兆しはない。
プリンスとは抜いたり抜かれたり。
このまま同じ集団でゴールまで行けたらいいな。
しかし、プリンスの口から、
「落車のせいでインナーに入らない」
と、悲痛な声が漏れた。
まだ全行程の三分の一しか進んでいない。
しかも、ここからが登りの本番なのだ。
それでもアウターで元気よく登っていく。

一方、自分は山岳賞ポイント手前から攣り始めた。
この日、準備してきたメイタンの2RUN(ツゥラン)を背中から取り出して飲もうとするが、あれ、あれ、なかなか取り出せないぞ。
そんなことしているうちにプリンスを含む集団から離れてしまった。
「しまった~!」
大人数だったのでこれから先のアップダウンを共にするには最高の集団だったのに。

普久川ダムを過ぎた丁字路を左折する頃には集団は50メートル近い差に拡がってしまった。
後方を確認すると直ぐ後ろに2人がいた。
ワタシに追いついた一人が、
「回して追いましょう!」
もちろんだ。
ここは自分にとって勝負どころだ。
しかし、この3人は上手くローテーションが回らなかった。
一人が速すぎるのだ。
「あらら、先に行っちゃった…」

しばらく二人で進んでいると後方から願ってもない大集団が追いついてきた。
何があってもこの集団から離れないようにしよう。
下りは速いが登りはそれほどでもない自分にはちょうどいいペースだ。

記憶がもはや定かではないが100km付近だったろうか。
前方に見覚えのあるジャージの選手が見えてきた。
プリンスだ。
アウターだけでよくぞここまで頑張ってきたものだ。
集団に飲み込まれる際に、
「あきらめずに最後まで頑張ろう。」
と声をかけた。
しかし、この先、200m近い標高差を一気にかけ上がる厳しい登り。
さらに、二回目の与那の登り、そして気が遠くなる後半のアップダウンが待っているのだ。
さぞかし無念だろう。

集団に踏みとどまって辺戸の登りを越えることができた。
ここから先、与那入口までの20kmは平坦で追い風効果もあり、50km/h前後のハイペースで進む。
ちょっと気を抜くと切れてしまいそうだ。
昨年、この付近を通過した時の集団では先頭交代に加わることができた。
しかし、今年は先頭交代に加わることさえもできないハイペースな集団だった。
ということは、去年よりはるか前方に位置しているんだろうな。
これはいけるかもしれないと希望が湧いてきた。

依然として大きな集団のまま二回目の与那入口を通過。
再び登りに入ったが、一回目よりも調子がいいと感じた。
この時点でゴールまで、すでに100kmを切っている。
ふと、9月に出場した下北半島ロングライドを思い出した。
大間崎からゴールまでの距離とほぼ同じ。
あの時はあっという間に過ぎてしまったじゃないか。
あと少し我慢すればゴールだと勇気も湧いてきた。
アップダウンは比較にならないほどこっちが厳しいのだが。

二度目の補給と2RUN(ツゥラン)の摂取も上手くいった。
集団の前のほうの位置で山岳を越えて後半のアップダウンへ。
昨年、止められた宮城の関門(160km地点)が近づいてきた。
ステムに貼っておいた関門制限時刻(12時40分)を確認する。
「(あれ、思ったより余裕がないぞ)」

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長い坂をみんなゼイゼイいいながら登っていると、
集団の中で一際余裕のありそうな若い選手が言葉を発した。
「この集団は完走しましたね♪」
ゼッケンを見ると420番台。
ということは、昨年は相当上位に入った選手だ。
この集団にいることは意外だったが、実力者が自信を持ってそう言うんだから間違いないんだろう。
やった!
今年は完走できるんだ、とうれしくなった。
が、しかし、
「ギリギリやろ」
と言葉を返す選手もいた。

いよいよ、宮城の関門を通過。
時計を見ると12時34分。
「(え~!6分しか余裕ないんだ)」

みんなも時間的に余裕がないことに気付いたのか、登りで集団から抜けていく選手も現れ始めた。
それでも相変わらず大きな集団は一体となって進む。
先にスタートしていた140km、100kmクラスの選手を吸収、そして追い抜いていく。
さらには、先行していた同じ210kmクラスの大きい集団をも吸収してますます集団が大きくなった。
画像は170km付近。
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185km地点の安部の関門を13時15分に通過。
10分の余裕だ。
これは行けるぞ!

工事中のためレース直前にコース変更となった汀間地区を通過。
道路が狭く民家の軒先みたいなところを他のクラスも加わった大集団が進む。
今思えば、この辺からペースが落ちたのだろう。
羽地ダムへの最後の登りに差し掛かった時点でサイコンをこわごわと時計モードに変える。
時計は完走が難しい時間を指していた。
標高差100mの登り。
ペースが上がりついに集団がバラバラとなった。
そして、脚が攣り始め一人となってしまった。
最初のピークを越えて下り始めると同じ集団にいた二人と合流することができた。
しかし、川上の関門閉鎖まであと数分しかない。
三人で下りを頑張る。
「この調子で三人で回していけば前の集団に追いついて、いい順位でゴールできるね。」
と一人が口に出した。
彼は時計を見ていなかったのだろう。
「いや、もう無理だよ。」
と返した。
前方に赤い旗を振っている関門審判員が見えた。
「いや~あと1分!惜しかったね~」
と声をかけてくれたが、自分の時計では2分半ぐらいはオーバーしていた。

チップを外して自走で帰る。
交差点の信号機はまだ作動していないが、すでにコース上はおびただしい数の自動車が走行している。
その脇をすり抜けながらゴールまで戻った。
雨の匂い、潮の香り、風のにおい、そして熱気が醸す匂い、これぞ沖縄のレースだった。

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