子供のころ、空き地の土管で遊ばなかった?

 

 

土管パスタ リガトーニ

 

 

店主は、昭和39年の生まれだ。

このころ、日本はまさに、高度経済成長の真っ只中。東海道新幹線開通、東京オリンピック開催など、日本の経済発展を象徴するできごとが目白押しの時代である。

 

 

物心がついた頃、店主は生家の杉並区下井草の戸建てに住んでいた。

いまでこそ、どうやら『杉並』は高級ブランドになっているようだが、当時は西武新宿線の線路っぱたにはキャベツ畑が広がり、モンシロチョウチョがひらひらと舞うのどかな村であった(いまでも村っぽい風情はあるが…)。

 

▲いつの間にか『杉並ナンバー』というのができていてびっくり。本来は『練馬ナンバー』だ

 

 

当家は、長州が出所である。

こうみえて十代ほど系譜を遡ることができ、はじまりは瀬戸内海の海賊で、その後、陸に上がって塩田を始めたらしい。曽祖父の代では山口県防府市で多数の小作者を雇う大地主に成長して、地元ではかなりの有力者だったそうだ。すごいな。

 

ところが、戦後の農地改革で一気に没落してしまう。

しかし、隠し財産でもあったのか、その後も引き続き裕福だったようで、祖父の代で上京し、杉並区にささやかな土地建物を構えた、というわけだ。

 

 

▲防府市は江戸時代から日本有数の塩田地帯だったそうだね(三田尻塩田)

 

 

いまいま『経済格差』が社会問題として取り沙汰されているが、振り返れば、店主が幼少の頃も、十分『格差』はあったと思う。

…というか、現代とくらべて、日本全体が物質的にはるかに貧しかった。為替が固定相場で、360円/ドルの時代だ。

 

先述のとおり、当家はこの時代としては比較的裕福で、家は総二階の戸建て。築年も新しく、猫の額さながらとはいえ庭もあり、カーポートには赤い『カローラ1100』が鎮座していたが、壁を挟んだ隣は、日当たりの極度に悪い狭小な木造の集合住宅で、そこに住む子供達は、すえた臭いのするボロを纏って遊んでいた。

 

 

▲現代レベルで見ると軽自動車よりもはるかに居住性の低いカローラ1100

 

 

幼稚園や小学校の友人たちの家庭も経済状況はまちまちで、仲のよかった女の子の家は、畑の間に建てられた、木造平屋のバラックのような家だったと記憶する。

また、とある日、たまたま空き地で遊んでいた同年代の子の家に上がらせてもらったのだが、6畳一間くらいの空間に家族4人(だったか)で住んでいると聞いて、衝撃を受けたりもした。

 

幼少の脳みそに、貧富の差の理由を理解するキャパはない。少なくとも、自分にはなかった。

思えば、ずいぶんと失礼な発言をしてしまったかもしれない。反省しきりである。

 

 

…で、土管の話でしたよね。

 

 

▲あの頃は、下井草にもあちこちに土管を積んだ空き地があったもんだ

 

 

いまどきの若い方々(80年代以降に生まれた人)は、『土管(どかん)』なんて知らないでしょ。

 

主にコンクリートでできた巨大な管で、地中に埋めて、下水管になるものですよ。

いまでこそ、日本の下水道普及率は約80%(北海道は90%超)だが、店主が誕生した昭和39年は、まだ7%台に過ぎなかった

便所は汲み取りで、生活排水はそのまま側溝を経由して、どぶ川に流れていた、ということだ(恐怖)。

 

当時、どのような施策があったのかわからないが、昭和40年を期に、普及率の角度が急上昇する。

都市部を中心に、全国各地で下水道の整備が急ピッチで進められていったのだ。

 

…そこで大量に必要となるのが『土管』だ。

 

 

▲こうして土管を地中に埋めていったわけですなあ

 

 

たぶん、ものすごい需要だったのだろう。じゃんじゃん作ってどんどん運んでも足りなかったに違いない。

運んだ土管は、まだ方々に点在していた空き地に積み上げられ、工事の進捗に合わせてストックされていたのだ。

 

…そんなわけで、わが下井草村にも、あちこちに土管の積まれた空き地があって、そこは子供達の絶好の遊び場になっていた、ということなんですよ。

 

 

▲ドラえもんやオバQ、おそ松くんにもひんぱんに登場する『土管』

 

 

まあ、今回は、『牛肉ラグーソースのリガトーニ』を盛り付けていて、つい土管を思い出して記事にしたわけだ。

リガトーニもソースと和えててんこ盛りにするよりは、こうして、土管っぽく積み上げるてあげると、それとなく雰囲気があっていいでしょう?

 

ちょっとめんどうだけど、ぜひ、ご家庭でも試してみてくださいね。

 

 

では、また次回に…。

 

 

▲おすすめはディチェコ No.24なんだけど、どうやら国内欠品らしい。バリラじゃちょっと短いんだよなー