昨日、我が家の仏壇にこの展覧会に行けた事への御礼をしようと、ろうそくに火を灯したら、灯火が一瞬、なぜかいつもより長~く縦に伸びたのです。

不思議な事だと思って、ご本尊の阿弥陀如来像を見たら、微笑んでいるように見えました。

 

さて、前回の記事では、音声ガイドで聞いたストーリーの記憶を元に、法然は父を殺され、出家しても勉学に身が入らずにいたと書きましたが、

浄土宗の公式サイト法然上人の生涯を読んだら少し違いました。

才能を見出され…とか、能力の高さを認められ…とありますね。

まあ、その宗派の開祖ですから、人間としての心の葛藤は書かないものでしょうけど、私は9歳の男の子には重すぎる事件に、割り切れない思いや心の葛藤があった方が自然な気がしています。

また母親の方も、そうして失った夫の形見としての息子を、当時は女人禁制だった比叡山に送り出す時、今生の別れと察して歌を詠んでいます。

 

「形見とて はかなき親の留めてし この別れさえ またいかにせん」

訳:形見として亡くなった父親が残したこの子とまで別れねばならないとは。この上どうすればよいというのか

 

そんな辛さも乗り越えて法然は仏教を学び、財力が無い人でも難しいお経の文字が読めなくても、誰もが救われるように阿弥陀如来を信じ念仏を唱える教えを人々に説きましたが、法然の教えを誤って理解し、他の宗派を悪く言う者が現れたこともあり、他の宗派の寺院と摩擦が生じ、元久元年(1204年)に比叡山延暦寺から念仏の差し止めの申し入れがありました。

この出来事は「元久の法難」と呼ばれます。

 

展覧会では、その、今で言う謝罪文、始末書みたいな大勢の弟子たちの連名で書かれた文書が展示してありました。

たぶん七箇条制誠(しちかじょうせいかい)と云う名の展示品がそれ。

 

しかしそれでも事態は収まらず、今度は、こともあろうに二人の弟子が、

後鳥羽上皇に仕える侍女を勝手に出家させる事件が発生。

後鳥羽上皇はお怒りになり、建永2年(1207年)二人の弟子は死罪。

法然は土佐(四国)に流されました。この出来事は「建永の法難」と呼ばれます。

 

一応、亡くなる前に戻ってこれたそうなんですけどね。

展覧会では後世に描かれた「法然上人往生図」「法然上人涅槃図」も展示してありました。

お釈迦様の涅槃像に似せて沢山のお弟子さんらが集まって看取っている絵だったようですが、前に人がいた事もあって、あんまりじっくり見てきませんでした。

 

阿弥陀如来像内に納入した小さな紙に書いた念仏なども出ていましたね。

 

どこかで「自力でやらないで、仏様に委ねて」というような文も見かけました。

今時の「自分軸をしっかり持とう」やら「自主自立の精神」とは正反対です。

 

それから普通の木彫り像だと衣服も着ている状態を彫りますが、珍しく着せ替え人形みたいに裸の像を作って、それに布の着物を着せるのもありました。

 

綴織當麻曼荼羅も古いのでほとんど茶色くてよく分からなかったけど、五色糸および由来書も、音声ガイドで五色の糸の説明している時に『いやいやどこが五色だい?』ってくらい茶色の糸の束にしか見えなくて、それでも以前NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で源頼朝が危篤の時に出家の儀式をする場面で五色の糸を引いていたのを見ていたので、音声ガイドの意味が分かって良かったなぁと思ったり。

 

あと、鑑賞した日に宗像大社から送っていただいたお守りを持って行っていたんですが、展示品の中に、その昔、宗像大社に大陸から伝わり保管していて、のちにお寺に納められたという折り畳めるお経本みたいなのもあって奇遇に思いました。

 

他に徳川家康の坐像とか、晩年の家康が毎日筆写した念仏もありました。

 

祐天寺の本尊である祐天上人坐像も表情がリアルに生き生きと彫られていて、

その祐天上人筆による六字名号「南無阿弥陀佛」の書は、今の勘亭流文字にも似たような独特のレタリングセンスで、斬新なアートでした。

 

それからチラシやポスターなどにも使われている国宝 阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)は実物が見られて嬉しかったです。

周りの表装の色が明るい朱色、オレンジ色っぽくて意外でした。

ほぼ正方形の画面を斜めに雲に乗った阿弥陀如来さまらがお迎えに降りてくる図ですが、正方形を斜めに二つに分ける構図は、1枚の静止画でもって、あの世とこの世を表わすのに必然だと画家は直感的に感じたのではないだろうか?と私はそんな風に思いました。

 

今度、NHK「チコちゃんに叱られる」の番組でも関連の話題が取り上げられるみたいです。5月24日放映とかポスターが出ていました。

 

 

 

それから京都・知恩院から八天像…のうち4体だけ展示されているのも、風に衣が流れる動きがあるところが面白かったです。

 

『大蔵経』 東京・増上寺所蔵のも希少なもののようでした。

 

最後に仏涅槃群像(香川・法然寺蔵)は、釈迦入滅の場面を絵ではなく77体の彫像で構成していて、そのうち26体展示してありました。

何とも言い難い。

これまで私は西洋美術展鑑賞もしてきましたが、彫刻でこういうのは無かったと思います。

メインテーマの像が寝ている姿だから?

いいえ、横たわるビーナスの像もあったはず。

でも色香を放つ美の女神と、これから滅する釈迦では違い過ぎる。