忙しくなって、今年のスケジュール帳は、B5版の大きいものに。そういえば、あの人も、毎年この大きさのスケジュール帳を買っては、いろんなことを書き込んでいた。
ふと、引越しすることになり、否応なくあの人の遺品を整理したときのことを思い出す。用がなくなったら、すぐに捨てて、あ”ー、取っておけばよかったと後悔する私とは異なって、何に必要になるかわからないと、会社の書類も溜め込み、果てはファイルだけでも押し入れにも入れるほどに溜め込む始末。全然読んでいない学会誌も、こちらの判断で紙ゴミで捨てようものなら、普段は優しく何も言わないのに、そういうときばかりはなぜ捨てたの?と執拗に言われ、回収業者を探し当てて、取り戻したこともあった。
結局、あの人が逝ってしまい、その処理に半端なく苦労することになるのだけれど、スケジュール帳も、ご多分に漏れず溜め込んでいた。
当時住んでいた横浜は、週1回紙ゴミの回収日があり、それ以外の曜日に、紙ごみを出すことはできなかった。
彼のスケジュール帳を開いて、個人情報を特定するものは、シュレッダーにかけるか燃えるごみに潜ませる、そんな作業をしていたとき。
あんな風に逝ってしまって、スケジュール帳を開いても、グレーの世界しか浮かばなかった。当時の自分の心象風景そのものだったかもしれない。
そのとき、ふと、彼がスケジュール帳の後ろの自由欄に、日記風に日々の出来事を綴っていた箇所が見つかった。
そこにあったのは、当時、自分の部署に新しく入ってきた女性についての記述だった。出来事は何もない。ただ、「おはよう」と言われ、真っ赤な口紅が印象的で、仕事ができると褒められたとかそんなことだった。そして、朝、履いてくるハイヒールのことも書いてあった。
そして、横に、私が一生懸命支えてくれているからと、自制している添え書きがなされていた。
本当に、こんなものを不覚にも遺して逝くなんて、あの人らしい、と複雑な気分になりながらも苦笑してしまった。
そりゃ、私も夫に一途な気持ちがあったかと言えばそうでもなく、ミーハーなところがあったけれども、彼の純粋な気持ちに触れて、真っ赤な口紅とハイヒールに惹かれた彼の感受性に、そういう一面もあったのかと、何かが根底から覆された気がした。
もちろん、相手あってのことなので、日記を見る限り、思いだけで終わってしまい、悲しいことに敬遠されてしまったようだった、、、
真っ赤な口紅。それまで彼を思い出すたび覆っていたグレーの世界に、真っ赤という彩りが、一点、鮮やかに浮かび上がる。まるで彼が生きてきた証のように。
そのとき思った。彼の人生は全くのグレーではなかった。そういう瞬間が、彼にもあったのだと。複雑だったけれども、なんだかほっとしたのを憶えている。彼の人生にも、幸せな瞬間があった。そのスケジュール帳を抱きしめながら声を上げて泣いた。そして、そのページを引き破り、手で細かくちぎって、ゴミ箱に捨てた。
けれども、その一点の赤が、私を掬ってくれたのも確か。私と彼のグレーの世界に、感情の切り込みを入れてくれたのだろうか。そして、彼が抱いた思いも含めて、夫のことを愛おしいと思っている自分がいる。