1月21日 記:合田
 METAL通りにある避難所を訪問
 
中国系インドネシア人が多く住む地域の集会場にアチェからの避難民が集まってます。
 ここでは、アチェ出身のメダン在住者がコーディネーター役になり、メダンの財界、仏教会の有力者、および周辺の地域住民と共に支援組織を作っています。
 全体で7000人の避難民のうち子供たちは1700人おり、その内500人(幼稚園~高校生)はメダンの学校に受け入れてもらっています。残りの子供たちはまだ受け入れ先がなく、学校を新設することも必要だと思いました。また、現在の受け入れ先の学校までは車で20分ほどの場所にあり、1台の車で何度も往復しながら通っています。
 避難所の一部は屋根がありますが、ほとんどはビニールシートを屋根にしています。扇風機すら回っておらず(あるけど電気が引けてないのでしょう)、非常に暑かったです。もちろん冬の日本から来た我々ほどには暑いと思わないでしょうが・・。
 
1月22日 記:合田
 アチェから避難してきた子供達がいる学校を訪問

 メダンの財界・仏教界の方々およびマレーシアのジョホールバルからのお坊さんと一緒に学校を訪問しました。
 家や肉親を無くしたりしているのに、子供たちは結構元気に見えてこちらの方が安心させられました。学校に通ったりみんなと一緒にいることでかなり精神的なダメージはやわらげられているのだと思います。小学生から中学生までいる学校で、みんな助け合っており本当にすごいなと思いました。
 
 その後昨日のMETALの避難所を訪問

 大人たちのうち100人が先遣隊としてアチェに戻り、これからの生活を立て直す準備を始めたとのこと さすがにまだ戻るには早すぎるのでは?と思うのですが・・ いずれアチェに本格的にここの人々が戻り始めると、結構な支援が必要となると思われます。

人民日報の記者や浄水施設を作りに行ったドイツ人などからアチェの様子を聞きましたが、本当に完全に破壊されており、復興には相当な時間と労力を要するだろうとのことでした。現地に入るには貨物輸送機に乗るしかないのですが、現地に入っても泊まる場所(ホテルなど)はいっぱいで一部屋に6~7人で寝ている状態だそうです。私たちは彼らのようなエンジニアでも医者でも記者でもないので、アチェに行っても苦労して迷惑を掛けるだけなので、数ヶ月たってから現地には行くつもりです。今は、アチェから安全なメダンに避難して来た人々や、これから避難してくる人々が落ち着いてこれからの生活の再建ができるための手助けをするのが今出来る役割だと思っています。