なぜ多くのメディアは西城秀樹を見過ごしてきたのか

 

――1)「こちら側」メディアの年齢層とジャンルの偏り

 


ヒデキが亡くなってから、多くの報道で「昭和のアイドル」「アクションを取り入れた」とばかり形容されることに違和感を感じていた。さらに音楽評論家の田家秀樹さんがヒデキのことをほとんど知らずに来てしまった、歌謡曲をほとんど聞いていなかった、と仰ることには心底驚いていた。そんな時、こちらの記事を読んで少し糸口がつかめた

おそらく田家さんが仰る「こちら側」の音楽業界はほとんどが男性で、そして年齢層も偏っていたのだと思う。西城秀樹より少し上の人が多いのだろう。1970年代主にフォークに夢中になっていた当時20代前後の人たちにとって、少し年下の、キラキラしたルックスの男が女にちやほやされている、見た目だけだ、という固定観念があったのだと思う。
当時幼児の私にとっては全く知る由もないのだが、今色々な資料を見ながら振り返ってみて想像すると、学生運動の名残のある当時の若者のエネルギーが、メイン(王道)に対するカウンターカルチャー的なものの代表としてフォーク音楽へ熱狂させるものがあったのだと想像する。

一方、そういったフォーク世代以外の、当時の子供から年寄りまでの多くの日本人からすれば、70年代~80年代半ばまでヒデキは押しも押されぬお茶の間の大スターだった。何せ当時はテレビの歌番組ほとんどが40%前後、紅白に至っては70%を超える時代だ。ファンであろうとなかろうと、とにかく多くの日本人が一銭も払わずに毎日のように生演奏の生歌を聞いていたのだ。(「昭和40年男 2019年7月号」参照)
私自身、物心ついた頃、2歳ごろから毎日テレビでいつも、ピンクレディや山口百恵と共に、西城秀樹の歌う姿は見ていた。新御三家とか、アイドルとかよりも、当時の昭和歌謡界、男性では ジュリーと二大スターだという認識の方が強かった。現在40代後半50代前半の売れっ子芸人も子供の頃の思い出として、同様のことを語っている。
>>(太田・上田のトーク

 

 

クイズ番組やトークショー、水泳大会のプールサイドで歌うヒデキ、土曜日の全員集合の記憶は鮮明だ。全員集合はヒデキがゲストで来るのを楽しみにしていたし、ヒデキが登場すると会場から、男子児童の「ヒデキー!」の掛け声がたくさんかかるのをいつも見ていたものだ。
 

 


ドリフの全員集合 パフォーマンス
運動神経は抜群、ドラムの演奏はうまい、コントをやったその舞台の上ですぐに歌を歌う、
生放送、生の舞台で虚飾のないスターの持つ才能がそのままブラウン管を通して伝わってきていた

 


当時の歌番組に出てくる歌手はみな、当然のように歌がうまく、音程が外れることなどありえなかったし、顔をしかめることもなく、歌の世界を体全体で表現していて、歌の世界をブラウン管のこちらにいる子供たちにまで届けてくれていた。
バラエティ番組に出ていてもあくまでも「歌手:西城秀樹」であって、
コントや体操はこのころまではあくまでも付属品だった。 本業は「歌手」だと子供でも理解していた。

80年代、少しずつ歌手がテレビ番組に出なくなってきたのはなぜだか知らなかったが、 西城秀樹はベストテンもトップテンも、夜のヒットスタジオやミュージックフェアなど大人の音楽番組でも生演奏で素晴らしいパフォーマンスを見せてくれていた。
夜のヒットスタジオでは出演回数が演歌歌手2人の次でポップスではトップの190回出場している

 

 

 

 

 

 

 


「夜のヒットスタジオ」
boogie woogie whisky rain
日本人作曲家の曲。どうやってこの曲を探してきたのだろう?
シングルにもアルバムにも未収録。難曲だが名曲である。
華麗なダンスをつけながらも、耳だけで聞いても完璧な歌唱

 

 

 


「ミュージックフェア」
美空ひばりが意識してリードせずにゆだねられる歌手は当時からそう多くなかっただろう。

 

 

 

ザ・ベストテン
小学校高学年になるとクラスのほとんどの子が見ていた。当時のアイドルはたのきん世代。
ヒデキはお兄さんスターだった。

 

 

 

 

 

 

 


ヒットスタジオ 86年世界紅白
ロスから生中継

 

 

 

 

 

 

 

大物外タレがよくスタジオにゲストで来ることも多かった頃も、ヒデキがそこにいれば、 外タレと並んでも恥ずかしくないなと思ったのもよく覚えている。

 

私達団塊ジュニア世代にとっては、ヒデキは「アイドル」ではなくはじめから「大スター」だった。私の同世代の周りの友人も皆、「ヒデキはかっこよくて歌が凄くうまかったよね」と誰もが言うほどだ。 それもそのはず。テレビでスーパースター西城秀樹を見ていた当時の子供たちのヒーローは、王貞治・西城秀樹・仮面ライダーだったのだ。
 

 

 

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そしてそれは見た目だけのものでも、体操が上手いからでもなく、ヒデキのようにかっこよく歌を歌いたいと思ったからだ。
 

 

70年代当時、日本の公共の電波を使って「ロック」を歌うことなど不可能だった。
テレビで歌うということは、特別なファンでない人、日本人全世代の一般人に歌を聞いてもらうこと。
一般人の大多数が納得できるだけの歌唱力が大前提として必要だった。

当時の大衆音楽はシャンソンやジャズ、民謡、演歌が主体で、「ロックはカウンターカルチャーの一種で不良のもの」だった。
そんな時代に、10代のヒデキはその天才的な歌唱力で日本歌謡界の重鎮の面々を納得させ、何度も歌唱賞を授与されるほどの歌唱力を認められ、茶の間のすべての世代に説得力を与えた。そしてロック要素を取り入れたオリジナル曲をロック的な歌唱でいくつもヒットさせた実績により、日本におけるロックのジャンルを切り拓いたのだ。

その時のパワーが当時の多くの子供たちを魅了し、80年代後半からのヒデキの後継ともいえるバンドやミュージシャンが大勢誕生した。
ヒデキがJ pop ロック系バンドの源流となったのだ。
当時の子供達、言い換えれば団塊ジュニア前後の世代が、ヒデキのフォロワーとなっている。
 

 


傷だらけのローラのオマージュのBzシングル・ジャケット。
Bzはライブでファン向けに、ヒデキのマネをして見せることがある。



ヒデキの声は音声解説の権威の先生が科学的に分析して、
美空ひばりと同等、とある

 

 

 

 

 

 

 


1997年 西城秀樹に憧れて育った若いロック・アーティスト達によるトリビュート・アルバムが発売された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

X Toshiとの対談。
ヒデキのライブに影響を受けたとも

 

 

 

 

 



80年代後半から、ヒデキチルドレンなアーティストはたくさん出てきていて
97年にトリビュートアルバムが出た影響で、多くのアーティストがヒデキの影響を公言した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Rainbow I surrender のカバー
NHKの夕方のアイドル番組でヒデキ一人でド迫力の洋楽ハードロック歌唱
実は7歳当時に一度見た時衝撃を受けたのを覚えている

 

 

 


ここまでヒデキの影響力の大きさは明らかなのに、メディアの報道でヒデキのプロフィールの紹介となると、デビュー当時のアイドル時代の話と、スタジアムライブの派手なパフォーマンスについての話ばかりだった。
45年以上も前の印象がどうしてここまで長くメディアの報道を左右したのか?
アイドルでデビューした人が40年以上もずっと「アイドル」と呼ばれるだろうか?

その原因の一つは、メディア側の固定観念を覆すほどの世代交代もなかった、つまり、ヒデキチルドレンと同年代の人たちが、メディア側にほとんど入り込めなかったからではないか と私は推察している。
 

 

ヒデキチルドレン主要世代の団塊ジュニア世代は、日本の年代別実人数としては第二次ベビーブーマー世代で団塊世代と人数はほぼ同等数いるが、ちょうど就職氷河期世代である。(>>参照;2018年度年齢別人口統計)
実体験として、団塊ジュニアで氷河期世代の私自身、周囲で文系卒業では希望通りの業種・職種に就けた人がほとんどいなかった。 現在社会問題として表面化している、団塊ジュニア世代が遭遇した氷河期とロストジェネレーション。これと同じことが、おそらく日本の音楽業界、音楽メディア界隈で起こっていた(る)のではないだろうか。

さらに、もう一つ。音楽業界側のメディアにあるジャンルの高い壁。音楽業界そのもの、また音楽メディアに携わる人々が、音楽のジャンルの高い壁を後に作ったからだとも思う。

 

 

 

 

 


みうらじゅんとのトーク
見開きページ




氷室京介も世良公則も矢沢永吉もヒデキが好きだった
しかし「ロックで売るからにはそれを公言しちゃだめだ」と指導された、とある

 

 


ヒデキが茶の間にロックを日本の大衆に広めるまでに高い山を越えた開拓者であるにもかかわらず、 その後ヒデキに憧れてやってきたミュージシャンを「ロック」ジャンルで売るために、ヒデキからの影響を封印した。

結果的に後からやってきたミュージシャンが、その前世代をリスペクトを封印し、高いジャンルの垣根を作ったことになる。
そしてそんなふうに垣根を高くしてしまったジャンルの影響を、音楽系メディアもそのまま受けたのだろう。
聴衆を育てたという意味で、ヒデキが切り拓いたJ pop のロックバンドブームであったはずなのに、その功績が音楽業界のメディアからはあまり語られていない。

ジャンルや年齢層の偏りが「こちら側」音楽業界側に作られたがゆえに、 ヒデキを語る報道は、47年も前の、デビュー当時の鮮烈なイメージが固定化され、いつも同じ切り口になっていたのだと思われる。

なんと不条理な話だろう。元からアイドルのイメージなどない団塊ジュニア世代としては、訃報後の報道は不可思議なことばかりだった。訃報後の報道でアイドルとか新御三家の報道ばかりされるので、昨年からアイドル時代の情報が刷り込まれている現状だ。

 


こちらの記事は、秀樹さんの音源復刻に向けて、 関係者の方々へみていただくための資料まとめレポートです。
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