タラといえば、日本では冬の魚である。その証拠に、タラを漢字で書くと「鱈」。
サカナへんに雪と書く。
「ヨーロッパでも、タラはメジャーな魚なんですよ。塩漬けや干物にして、調味料みたいに使うんです」
「へぇ~。日本でタラといえば、たらちりなんかの鍋料理を思い出すけどねぇ」
その日、私がいつものワインバルで注文したのは「タラとじゃがいものブランダード」。
「ブランダード」というのは、南フランスの郷土料理だそうだ。
タラとじゃがいも、牛乳と生クリームにニンニクを加えて、じゃがいもをつぶしながらゆっくりと煮込む。
そして、仕上げにオリーブオイルを合わせて、ペースト状にしている。
それをカリカリに焼いたバゲットにたっぷり塗っていただく。
「タラが、こんなにおしゃれな食べ物になるとはね~!」
ブランダードを食べつつ、白ワインを飲みながら、
スタッフから日本とヨーロッパの食文化の違いをさらに聞く。こういう話は、本当に尽きないと思う。
「よっ!お待たせ~」
入口の自動ドアが開いて、40代と思しき男性が入ってきた。
耳からイヤホンを外しながら、私の隣席にいる女性の隣りに座った。
女性も、40代くらいであろうか。ショートヘアにゆるくパーマをかけた、凛とした感じの人だ。
「大丈夫。待ってないから。何飲む?」
「う~ん、ボクもスパークリングワインにしようかな」
女性がスパークリングワインを飲んでいるのを見て、彼も同じものを注文した。
ほどなくして、スパークリングワインが来ると、2人で軽くグラスを合わせ、乾杯する。
彼の左手にも、彼女の左手にも、指輪はなかった。
友人同士か、恋人同士か、はたまた不倫か…。
私自身、左手の薬指に指輪をはめたことはないので、
同世代くらいの男女がふたりで飲んでいるのを見ると、つい、いろいろ想像してしまう。
ま、自分でいうのも何だが、40代になっても結婚をしていないのには、それなりに理由がある。
だから余計に、そういうカップルを見ると、耳がダンボになってしまう。
しばらくは他愛のない感じで会話が進んでいたふたりだったが、
ワインのボトルが1本空いた頃、ほろ酔いになったらしい彼女が言った。
「あのね、実はちょっと聞いてみたいことがあったの」
「な、なに?」と、ちょっとうろたえる彼。
「あのさ、なんであの時、私にまた会おうと思ったの?」
「え?あの時って?」
「ホラ、初めて会った日。帰ってからすぐ、LINEで『次はいつ会う?』って…。
私、あの時、まだまともに自己紹介してなかったんだよ。
でも、なんでまた会ってくれたんだろうって、ずっと不思議だったの」
「ああ、あの時ね。ん~、なんでだろう…」
彼はちょっと考えてから、彼女に向かってこう答えた。
「直感」
「ち、直感?!」
「そう。直感。なんだか、また会ったらおもしろいかもって、思ったから」
「へぇ~。男の人にも直感って、あるんだね。直感なんて、女の特権だと思ってた」
「男にもあるよ、直感。若い時には、あんまりわかんなかったけど」
「ふ~ん。直感、ねぇ。で?その直感、当たってた?」
「当たってなかったら、今ここでキミと会ってないでしょ!」
「ああ、そうだね~!」
ふたりはフフフと笑い合うと、もう一度グラスを合わせて乾杯した。
ふたりがどこで出会ったのかはわからないが、
なんとなく会話から想像するに、おそらくバーのような場所で隣り合ったのだろう。
会話が盛り上がって、連絡先を交換する、という流れまでは、よくある話だ。
しかし、問題はその先である。
「次」があるかないかは、どちらかの勇気とふたりのタイミングによる。
どちらか一方が「次も会いましょう」と連絡し、具体的な日時が決まらないことには、次はない。
よくある「またお会いしましょう」という社交辞令では、少なくともふたりで会う仲にはなれない。
しかも、お互いに40代くらいとなると、結婚している可能性の方が圧倒的に高い。
どちらか一方が「次」へ進みたいと思っても、
その勇気は、20代の勇気とは比較にならないくらい、「えいっ!」という思い切りが必要なのだ。
隣席のカップルの場合、「次」のチャンスをつくったのは、彼の方らしい。
「また会いたいと思った理由は直感」と彼は言ったが、
そうでなければ、次の一歩を踏み出せなかっただろうと、私は勝手に想像した。
オトナになると、むしろ、考えすぎてはいけない場面がある、と思う。
オトナだからこそ、ノリと勢いが必要なのである。