昨日は藤井叡王の失冠に加え、三河湾の地震と心穏やかでない事件が続きました。でも、冷静に考えれば、致命的な問題ではありません。

 

 

 今回は、ダン・ケネディと語る「なぜ広告は失敗するのか」(5)です。では早速続きをどうぞ。

 

 

 彼は完成した製品を広告代理店、マーケティング代理店、PR代理店に持ち込みますが、初めから行き詰まってしまいます。市場が何を望んでいるか、十分に提供されていないニーズは何か、人々の共感を呼ぶのは何か、に本気で注意を向けていなかったからです。そして、実際そのいずれも彼が製品作りにおいて当初意図したものとは異なっていました。同じことが、彼の分野のすべての製品にも当てはまっていました。

 

 さて、そのカイロプラクターは自分が実践すべきだと考える方法で施術計画を作成しました。彼は地域社会に住み、将来自分の患者になりそうな様々なグループに焦点を当てて施術を考えることをしませんでした。彼は物事を白紙の状態から始めるような人ではなかったのです。何年も前、私がカイロプラクティスの分野で広く仕事をしていた時、彼は四方を無地の壁に囲まれた大きな部屋で、何百人もの患者を前にしてこう尋ねました。「皆さんが一番嫌いなことは何ですか?」すると、即座にほぼ満場一致の答えが返ってきました。「医者にかかることです」。つまり、医者に予約を入れ、病院に行き、その後待合室で待たされるのが嫌いだというのです。単に嫌いという以上に彼らは怒りを覚えていました。

 

 そして、その問題は、裕福であればあるほど深刻だったのです。なぜなら、彼らの時間単価が高いからです。彼らが歳を取れば取るほど、その問題は深刻化します。彼らは、待たされるということを、「軽蔑」されることだと見なすからです。その考え方からすれば、裕福でない老人は永遠に待たされても良いのです。待つこと以外に何もすることがない老人ですからね。これは、真面目な話です。私も、今では数ヶ月に2回程、2か所の医療機関にかかっていますが、そこでは「いくらでも待てるでしょう。もう、死ぬこと以外何もすることもないでしょう。何を急いでいるの」という扱いを受けています。本当に頭にきます。

 

 

この先を読みたい方はここから無料メルマガに実名登録してお読みください。登録・解除は簡単です。