昨日は東京勉強会でした。
私の勉強会は「今その人の課題」と向き合うために必要な事をそれぞれお教えすることと、毎月テーマを決めて心が楽に楽しめるようなお勉強をしてもらっています。
さてさて、昨日の勉強会でも少し触れたけれども、
被害者も加害者もない、無害者になる
これ、本当に口酸っぱく私が伝えることで
特にパートナーとの揉め事のご相談なんかでは、よく話すことです。
誰かのせいにしているうちは、本当に私達は幸せにはなれないんです。
例え、その関係を切ったとしても自分のその思考を改めなければ、幸せなれない。
誰かのせいにしたい気持ちは否定しないし、よーーーくわかるんだけど、それが真実。
旦那が〇〇嫁が〇〇、親が子供が、職場が、世間が、と「他者」のせいにしてしまうと、即座に私たちは「被害者」になります。
そして、その他者を「加害者」にします。
これは本当に多いんです。私は悪口って別にただの感想なので聞くのは嫌いじゃないんですけど、この、相手のせいにして被害者加害者に振り分けようとする人がいるとアラームが鳴りますね(笑)待てよっと。
だから裁判は、最後の最後でやることだと思ってます。
ちなみに「被害者」のメリットて何だと思います?
これ本当に早く気づくと良いのだけど
誰からも責められず、みんなの同情をかうことができること。
「あなたは何も悪くない。悪いのはあいつだもんね。」とみんな慰めてくれるやん?それはそれは甘い蜜なのよ。(私はやらないよ)
でもさ、「加害者」になると、みんなから責められ、なんか、え?こちらが悪いの!?ってなことで味方を失うんよね。
裁判はそれの最たるもの。
「暴力された側はみんなに慰めてもらえるけれど、暴力した方は一人で孤独」みたいな。どちらにしろ焼け野原しか残りません。戦だしね。
ほんま、聞いてるとみんながみんな、私は悪くないと、私は正しいもんと言ってきます。
(気持ちはわかるよー)
で、「謝れ」「あなたのせいでこうなったんだ」「償え」って、攻撃しあって(それに気づかず)正しいことだと思っちゃうんだよ。
でもな?
被害者が「自分が正しいもん」って正論で被害者を攻撃したらさ?単に「被害者」が「加害者」に、「加害者」が「被害者」に変わっただけやねん。
もう、それやめませんか?楽しくないよね?幸せじゃないよ?正論で打ち負かした後の、残った先は焼け野原よ?
本当に悲しいことなんだけど、こうやってどちらかが正しさを主張して相手を攻撃した瞬間から、その関係性って壊れる方向に向かうんだよね。
そして、みんな、知ってるよね?
誰かを攻撃したとき、とても気持ちが悪いこと。これね、罪悪感が影響してるんよ。
自分も気持ち悪いしね、相手も周りもそんな攻撃する人といたくないしね、そんなことわかってるのに人って心が痛むと、やっちゃうんだよね。
被害者=加害者=罪悪感だからね
だから、私は、もう、その被害者やめよう?加害者やめよ
罪悪感手放そう
辛かったんだよね
悲しかったんだよね
その話をしよ?
分かち合おう?
加害者も被害者もやめて、愛の話しよう?
幸せになろう!?って話します。
被害者と加害者をやめる
じゃあ、どうしたら「あいつのせい」にせずに「無害者」になれるのか、、
ひとつめは、「許し」ですね。
(簡単じゃないのはわかるからお手伝いします)
相手がなぜ、そのようなことをしてしまうのか?を理解し、許していくの。
これは夫婦や親子など、特に近い関係性で重要な方法です。なんせ、一生のご縁になるものだもんね(離婚は簡単だけど子供さん大切でしょう)
相手の痛みを理解して、受け入れて、自分の中に愛を育てる(これが許しのプロセスです)
かなりエネルギーがいる作業だから
※長いと年単位でサポートします。
ここは、よほど勇気とか、誰かへの愛が必要だったりする(子供さんのために頑張って向き合う人が多いですね)ね。
ふたつめは、自分軸です。
問題が起きるすべては「自作自演」自らの認知であることを受け入れ、「この問題は自らのどんな心が引き起こしたのだろう?」と見ていく。
この視点、とっても大事。
というか、うちはこればっかり言われますよ。
誰かのせいにしているうちは、自分の内面から目を背けることが出来るけど、それだと問題は、どこかで繰り返されるから。
私はあなたに幸せになってほしいの。
自分を嫌ってるからDVされるんだな、とか
パートナーが粗末にしてくるのは自分が自己評価低いからやなぁとか。
俺って思ってることの半分もちゃんと気持ちを話せないからだなぁとか、自分のことも良い悪いで裁かないで見てって欲しい所なんです。
まとめ
てなことで、無害者というのは、被害者でも加害者でもない相手と自分を尊重し、「相互依存」の自分軸の状態です。
これは本当に手にすると心地よいのーー
パートナーシップも仕事もノーストレスで愛の世界が拡がります。
めっちゃお勧めです。
良いか悪いか。正しいか、間違っているか
ではなく、何が幸せか?自分が何をどうしたいのか?を自分で選んで、自己愛と大切な人への愛、そのために行動できるって幸せです。
私は正しさの争いを好みません。
お互いが傷つけあうことを十分に知っているから。
さ、一緒に優しい世界にいきませんか。