こんにちは!


 

 

☆☆自分で決めたこと何をやっても大成功!

自分を優先すればするほど 

まわりもHappy さっこ です!☆☆

 

 

 

題名の通り、今回は過去の暗黒期を振り返っています。 

 

 

わたしは人生で3度、ひきこもり時期がありました。

 

中学時代、

大学時代、

結婚後、

 

 

それぞれどんな状況、心の状態だったか、そこからどう復活したかを綴ります。

 

 

ひきこもり暗黒期① 中学時代~心因反応~はこちらから

 


 

ちょっぴり暗くて悲しいかな。

お付き合いください。

 

 

★★★★★★

 

ひきこもり暗黒期②~大学時代 統合失調症~

 

 

 

中学時代のひきこもりから一転、高校3年間はとっても元気にめちゃくちゃ楽しく過ぎた。友達にも恵まれ、文武両道、成績優秀だった。(自分で言ってる💦)

 

 

そのおかげで、大学は東北の大学に推薦で入学することができた。

 

 

わたしは関東に住んでいるので、春から、はれて一人暮らしの女子大生となった。

 

 

 

広大なキャンパス。

開放感ある学内で、友と出会い、授業だけでなく、サークル、バイト、遊び ととにかく毎日すっごく楽しかった。

 

 

周りも一人暮らしの子が多くて、仲良し5人組でいつも誰かの家に行ってご飯食をたべていた。

 

 

成人している先輩もいて、なんか大人になった気分。 飲み会も頻繁に行われて、寝る間も惜しんで遊んでいた。

 

 

最初は勢いもあって、何でもかんでも意欲的に取り組んでいたが、夏休みが明けたころから、気分が乗らないことが増えた。

 

 

 友達といるときはとても楽しく過ごせる。

でも、家に帰ってくるととたんに寂しくなる。

 

 

 このままでいいのだろか、と不安になる。

そして誰かに会いたくなり、友達を呼ぶとまた元気になり、一人になると不安になる。

 

 

友達の前でも「つらいよ」と出せればよかったのだろうけど、当時はそれができなかった。

 

 

元気なイメージのある私はそんなマイナスなこと言えなかった。

 

 

 

 

当時は、夏前からアルバイトも始めていて、居酒屋のバイトだった。

 

接客が苦手だから、キッチンの洗い場で募集しているところを見つけ働きだした。洗い物が早いと親方に認めてもらい、楽しくやっていたが、そのうちホールにも出るように言われた。

 

 

私は接客が苦手だから嫌だったが、断れなかった。

 

 

 

案の定、接客がうまくできない。「今日のおすすめの肴は○○です」とお客様に言えない。オーダーも聞いてメモしてもわからない。

わりと繁盛する店だったから、宴会などが入るとすごく忙しく、深夜まで働いた。

 

 

 

授業も、「自分で選んだ大学なんだから」と欠かさず出て(当時は「代返」と言って、出席簿を他の人に書いてもらって授業を休む人がたくさんいた)いた。

 

 

 

「みんながんばっているんだから、自分も頑張らなきゃ」

 

と、ずっと走り続けた。

 

 

週末はサークル活動、バイト、そのうち 朝の新聞配達のバイトも始めた。

 

 

 

どんどん痩せていく私を、母は心配して何度か「バイトやめなさい」と言ってきたけど、

わたしは店長に「やめさせて」と言えなかった。

 

 

 

そう、私は、断れない人だった。

 

 

自分ができないことも、できないって言えなくて、キャパオーバーだった。

 

 

 

次第に、やるべきこと、優先順位がわからなくなり、あれもこれもやらなければ、となっていった。

 

 

 

授業を休んだり、バイトやサークルを休むこともできなかった。

 

 

他の人は良い具合に力をぬいていたみたいだけど、

わたしには断る理由がなくて、しんどくても休めなかった。

 

 

 

食事もおろそかになっていった。一人暮らし、お金が欲しい。きりつめるのは食費。

品数の少ない食卓。一人で食べるのは味気ない。

 

 

次第に食生活の乱れ、睡眠不足、情緒不安定などが重なり、親が迎えに来て強制的に実家へ戻ることに。

 

 

ここでも「母さん助けて」が言えず、親がストップかけるまで必死に動こうとしていた。

 

 

 

 

実家に戻るも、外に出られない。

 

 

 

「私は元気に東北の大学に進んだ。そんな私が今、ここ(地元)をうろうろしていたら周りにどんなこと言われるかわからない」

 

と、他人の目を気にして、動けなかった。

 

 

 

母親には「もう治ったから大学戻る」

 

 

と言ったり、

 

 

「なにもできない。やりたくない」と言ったり、日々感情の大波に揺られながら過ごした。

 

 

 

病院は、精神科を受診。

病名は「統合失調症」

 

当時も今も精神疾患では上位の患者数だ。

 

 

 

具体的な症状などはあんまり記憶にないけど、焦燥感や自責、虚無感などがあった。

 

 

私が入院した精神科は、わりと開放的な病棟で、患者同士が一緒にご飯を食べたり、散歩にでかけたりするのがOKのところだった。

 

 

毎日レクがあって、バレーボールをしたり、買い物ツアーに行ったり、ミーティングの時間があったりと、社会復帰にむけてコミュニケーション訓練ができる環境だった。

 

 

 

にも拘わらず、私はずーっとベッドで寝込んでいた。別に眠くないけど、寝ていた。

 

 

 

頭のどこかで

 

 

「こんなはずじゃない」

 

「こんなところにいる場合じゃない」

 

「私は病気なんかじゃない」

 

 

と思っていたから。

 

 

でもやっぱり人と会うのが怖かったり、一人で外に出られなかったり、公共機関も使えなかったのは、精神状態が良好ではない証だった。

 

 

半年ほど入院し、退院してからも家の中にずっといた。

 

 

ほんとに、日中は見事に家の中でゴロゴロ。

なんもしない。テレビも見ない。

 

 

親が帰ってきたら一緒にご飯を食べ、またゴロゴロ

 

 

夜になり、あたりが暗くなってから親と散歩に出る。

 

 

親は、中学の不登校時代と同じく、私の様子を見守ってくれた。

 

 

気分転換に、『ストレッチやろう』とか 『買い物行こう』とか誘ってくれた。

 

 

仕事が忙しかった両親だが、私の前では務めて明るくふるまっていた。

 

 

対して私はまもなく20歳を迎える大人の入り口。

 

 

 

「まわりの同年代は学校に行っている」

 

「もう仕事している人もいる」

 

「親元から離れて一人で暮らしている人もいる」

 

「友達と遊びまくっている人もいる」

 

 

なのになんで私はこんなことになっているんだろう

 

 

なんで家でこもっているんだろう

 

 

なんでなにもやる気にならないんだろう

 

 

 

こんなはずじゃなかった

 

もっと元気なはずだった

 

大学生活楽しみたかった

 

 

家にいるのに、家のことも何もしない

 

母親仕事で疲れて帰ってくるのに、ご飯作って待っていたりしない

 

 

ただただ寝ている役立たずの私なんてダメだ

 

 

ってずーっと頭の中でぐるぐるしていた。

 

 

 

優しくしてくれる家族に、何もできないくせに強く当たり散らし、

 

 

家族がそっぽを向くようであれば「いないほうがいいんでしょ」と脅迫のような暴言を吐き、

 

とにかくもがき苦しい時期だった。

 

 

 

普通の生活ができない。

 

朝起きて、顔洗って着替えてご飯食べて

出かけて、勉強して、遊んで、

かえってきてゆっくりくつろぐ

 

 

この、当り前のような生活ができなかった。

 

 

 

退院後も月4回の通院やデイケアに通い、少しずつ人とのコミュニケーションも回復していった。

 

 

 

 

どんなタイミングか、ここでも忘れたけど、大学に入る前に高3の春休み期間にアルバイトさせてもらっていた無認可保育園に、再びボランティアとして行かせてもらうことになった。

 

 

最初は1時間もいれば疲れてしまったが、園長が理解ある人で「もう疲れたから帰りな」と声をかけてくれた。

 

 

そして、1時間が2時間、半日、一日 と伸びていき、次第に体力気力もついて、ボランティアからアルバイトになり、再び学校へ行くまでに回復した(学校は東北とは別の短大へ)

 

 

 ★★★★★★

 

 

19歳~22歳くらいまでの、今思えば一番楽しい時期、私は暗黒期、どん底の中にいました。

 

 

 

今でも「みんなと一緒に大学卒業したかったな」と後悔することがあります。

 

 

しかし、幸いに大学時代仲良くしていた5人とはいまだに連絡を取り合い、(コロナの前は)定期的に会えたりもして、仲良くさせてもらっています。

 

 

 

大学を辞めて、引き込もる時期もあったけれど、そのあと保育園のボランティアから学校へいき、今の生活につながっていると思うと、この暗黒期は後悔はしていません。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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