まだ目が覚めやらぬ時間に娘から
「今そちらに向かっている」
というLINEが入りました、どうやら孫の腕が抜けた(脱臼)ようです。

「思いがけず、感慨深い朝になったな」

突然の展開を染々とそう感じました…

子育てをしている間の自分は30年近く、柔整師として働いて来ました。

子供の頃は教師になりたかったのですが、その理由は単に学校が好きだったからでした。
教える側になればずっと学校に関わって人生を歩めるということと、教師には転任がありますからそれもとても魅力的に映ったのです。
元来物事に飽きっぽいことを自覚していた自分には、数年で任地が変わることも転職のように感じたからです。

そんな自分が柔整師という仕事に出会い、一気に惹かれていったのは高校二年生の春でした。
柔道部の活動で肩を痛め整骨院というところに受診に行ったのです、当時はまだその存在も知らなかった頃です。
そこで出会った患者さんに野球で肘を痛めた方がおりました。
その方の
「大学病院で、もう野球を続けるのは難しいと言われたんですが…」
という言葉に対してその院の柔整師の先生が
「そんなことはないと思うよ、半年ぐらいかけるつもりなら大丈夫じゃないかな」
そう答えたのです。

この場面に遭遇したことは田舎者の自分にとってすごく衝撃的でした、医療の世界ではお医者さんが最高峰だと信じて揺るがないものだと思っていたからです。 
その医者がダメだというものを…
失礼ながら少々野暮ったい白衣を着た、この老人が治せるというのか。
すぐに整骨院というのはどのような資格を持って開業するのか、その資格はどう取得するのかを調べた記憶があります。 

そして運良く柔整師という資格を取得し修行に入り、初めて自分の治療院を持ったのはその10年後頃です。
それから50歳に近くなるまで、柔整師として生計をたてて来ました。

柔整師としての仕事は大好きでした。

こんな自分が…
飽きたと思うこともなく続けることが出来る職業に出会えたことは、本当に奇跡に近いと思います。

ですが、自宅兼整骨院を家事で消失したのを機に治療家というお仕事を退きました。
子育てに目処が付きはじめていたので、また借金をしてまで医療機械を揃え開業することをしませんでした。    

それが…娘とはいえ、
大事な息子のことで、柔整師としての自分の経験を頼りにされる日が来たのです。

感慨深いですね…


もう治療家として再出発することはないでしょうし、人様の子であれば例えこの肘内障(肘関節亜脱臼)も触らないかも知れません。

娘には「今度外れたら近くの整骨院に行くことだ」とアドバイスして返しました。

少しでも早く施術をした方がいいのは当然ですし、開業している現役の柔整師のお株を奪うようなこともしてはいけませんからね。

後輩諸君、今回は見逃してくれたまえ。

吾輩の可愛い孫であったからにして…




はい、左様なり♪