家族葬について思うこと
No.19
この度、初めて親戚が家族葬を選択し、いろんな事を感じました
なんと言っても、新聞のおくやみ欄で葬儀終了、、を知った時は衝撃が走りました!
しかも、姉妹である義母も知らされてなかったらしいのですが、すぐに連絡をして取り急ぎ、お参りは行けました
訃報を聞いてすぐに思ったことは
家族葬とは、その名の通り一切を受け付けずに家族のみで執り行うことなんだ、、っと同時に、本人の意向なのだろうなぁ、、と (結果、本人の意向でした)
私が思ってた家族葬は、せめて本人の兄妹(姉や弟)には伝え参列してもらう、または、予め親戚から了承を得た上で家族のみの葬儀をしているのだろうと思ってたので、その驚きは大きかった
コロナ禍の中、仕事を持つ子供家族に気を使ったのもあるだろうし、最近、家族葬が増えてきたこともあってそうしたのか、?
結果
義母から聞いた話しから色々と調べてみると、どうも家族葬ではなく「直葬」を選択したっぽかったのですが、この場合、お通夜、告別式をしないそうです
まあ、叔母さんらしいといえば、そうなんだけど、、
でも、親戚や近所付き合いを、ご自身が積極的にされてた印象があったので、正直、残された人達には、お参りが出来ないと心残りになるんじゃないかと思いました
とはいえ、本人の意向により家族が決めたことでしょ? と言われればそれまで
ただ私達が、時代についていけてないだけなのだろうか? という考えもよぎる
でも、それは、引っ越しでお別れするのとは違って、一生のお別れである
それに、お葬式って亡くなった方だけのものではないように、私は思うのです(葬儀後、住職のお説教でもよく聞くフレーズですよね)
残された方が、きちんとお別れをして心の整理をするための場でもあるはず
そうなると、この言い方には賛否両論あるかと思いますが、本人と家族の「エゴ」になりかねないのです、、
生前、お世話になった方たちへのお礼を、遺族が代わってする、というのも含まれているのではないでしょうか?(これもお説教で聞いたことがある、、)
まあこれは、日本独特の文化ではあるのかもしれないが、、
全く、人と関わりを持たないで生きてこられた方なら、一般葬儀(家族葬もこれに該当し、通夜、告別式から納骨までを執り行う)をしない選択もあり得るかもしれないが、それでも、宗教心のある私からすると、魂が逝くべきところへ導いて貰うための大切な儀式でもあると思うのです。
それ故、世界でも古くから行われてきた儀式なのだと、、
死んだら何も分からない、、と言う人もいらっしゃると思いますが、では、何故、お墓やお寺、教会、お経や教えなどがあり、はたまた幽霊なんてものが見える人までいるのでしょうか?
私自身もそういうのは見えないけど、自分が見えないものは信じない、、というのはどこか都合の良い解釈に聞こえてしまう
何故、お墓や仏壇、教会、神社や神棚に手を合わせ、見えないものにお願い事をしたり、懺悔したりするのでしょうか?
人間が勝手に作った思想なのでしょうか?
目に見えないものは信じないけど、ただそこにあるから?
自分の心の中で故人に話しかけるのも目に見えないことだし、見えないから正直に話しかけられる
そして、誓いをたてたり、弱音を吐いたり、心の拠り所にもなる
最近は共同墓地なんてのもあるけど、そういった意味では、ご先祖様のお墓が実は重要だったりもする
そんなこの世は、目に見えないことだらけ
人の心も、自分の心も、動物や植物、世の中の生きとし生けるもの全て、地球🌏すらも生命の営みをしている存在だけど、見えない部分や解明されない事がたくさんある(ちょっと壮大過ぎたかな? でもそう思う、、)
所詮、この果てしない宇宙の中の1つの星にいる人間が理解出来る範囲なんて、きっとちっぽけなものなのでしょう
現在の科学では立証は出来ないが、紛れもない事実がある❗️、、ってことも世の中にはたくさんあるはず(非科学的なこと以外でも、、っていうか、例えば某大学で研究中だか立証できてない、、ってことも非科学的というのでは?)
なんでもかんでも一緒にしないで! って声が聞こえてきそう、、、
昨今、未確認飛行物体が肯定され始めた時代、様々な見えない事象が立証される日も、そう遠くはないんじゃないかなぁと、これを書きながら思いました
そもそもが、この広い宇宙で、地球の人間だけが知的な生き物であるはずもなく、もっと進んだ知能をもった生命体がいても全然おかしくないし、そう考えるのが普通だと私は常々思ってます
なんだか、話しが脱線し過ぎて、ただの 都市伝説好き にしか聞こえないでしょうが、実は子育てをする上でも重宝する言葉があり、「誰も見てないと思っても、お天道様(神様、ご先祖様)は見てるんだよ❗️」 と、効果的な使い方も出来るんですよ
それで縛り過ぎても、全く嘘がつけなくなるので、徐々に 嘘も方便 を教えたりする必要はあるけど、、
話しを元に戻して、、
ネットで調べた葬儀屋さんの見解だと、本来の「家族葬」は身近な親族、知人だけで、一般的な葬儀(お通夜から告別式までして最後は納骨)をすることらしいですが、今回は直葬のようだった為、式自体なかったのに、「葬儀終了」と新聞に明記されていました
そうなると、私自身も改めてお参りにも行きづらくなりました。
他も調べると、お参りは基本断られ、出来たとしても香典は受け取って貰えない(香典返しも用意しないため) なんてこともあり、それに関するトラブルもあるそうです
また、葬儀をしない選択をし、故人の子供に兄弟などがいる場合、家族の中でも考えが一致しなかったり、故人の親戚とその後の関係にもヒビが入る可能性も考えられるとのこと
さすがに、新聞に載せたのにも関わらず、お参りも断られ、香典等も一切受け取らないというケースがあるとするならば、キツイ言い方になるけど、故人と遺族の身勝手さが現れてる?と感じてしまう
お花だったり💐、心ばかりの物もダメとなると、相手の気持ちを踏みにじることにもなる場合があるのでは?
香典だって、故人の為にお線香や何かお供え物を私達に代わってお願いします、という意味もあると思います
それとも、そういった考え方は、逆にこちらの自己満足で、わがままなのでしょうか?
だとしても、古い考えなのかもしれないが、やはり私には一方的に感じるかなぁ
他にも調べると、お寺や戒名、納骨に関してなど、もっと複雑な問題がはらんでいるようですよ、、
今回の件で、義母たち、他親族で話し合った結果、「お迎えがきた時は普通の葬儀で良いよね?」 ということに収まりました
追記ですが、、
病気で亡くなると、故人の容姿も変わる為、「棺の姿を見て欲しくない」という要望も、もしかしたらあると思いますが、それこそ故人や遺族の意向を尊重できるのではないでしょうか?(すみません、調べてないので不明ですが、出来ないのも逆に変だと思います、、)
色んな事情があるかと思いますが、これはあくまでも私個人の見解ですので、何卒ご承知おきを
それでは、脱線が多かったですが
私の家族葬について思うことは以上です
誰かの参考になれば幸いです