ホライズン で聞いた話 そして 体験した話
アメイジンググレイスのブログ-教会イラスト

宮本富江


 東京ホライズンチャペルが誕生したのは、1991年でした。


平野先生が本郷で礼拝していた人達と「東京ホライズンチャペル」

と呼んでいたら、なんと教会が生まれてしまった、とのことです。



 先生は月1718万円程の家を借りて、祈祷会から始め、3年で30人くらいの教会になればよいと、いのちのことば社の多胡会長に不動産の業者を紹介してもらった。


「よい家がみつかりました」行って見ると玉川学園の高台にあって、アメリカンな家で、リビングも広々。


気に入ったが、家賃は35万円。「話が違うじゃないか」「平野先生、あなたの信仰はどこにあるのですか」。


先生は悔しくて、夜、眠れずに天井を見つめていると、「からの器を持ってきなさい」と主のことばがあったのだそうです。



 本郷の集会で、「向こう岸に渡ろう」とメッセージをしたら、家を契約するのに十分な金額が一週間で集まってしまった。


そして玉川学園の礼拝は、919月に8名で開始されたのですが、毎日曜、また平日も、救われる人や受洗者があり、あっという間に60名を超え、92112日に町田のPOPビルへ、936月に南町田へと引越しをしたのでした。


横浜ホライズンの塩島先生はこの頃、熱心に学び奉仕されていた。



 教会ができる頃、平野先生はよく夢を見たそうです。


家の敷居の下から、ポツリ、ポツリ、水がしたたり落ちる。


少し行くとくるぶしくらいの深さになり、膝のあたり、腰のあたりまで深くなり、やがて泳げるようになる。


その流れが行くところにお魚がいっぱい。エゼキエル47章の幻で、礼拝をするところから、聖霊の水滴が流れ出る。礼拝を一回一回大切にすると、やがて大きな聖霊の流れになり、人々が集まるのだ。



 本郷で礼拝していたグループは事情が変わり「出て行ってください」と言われ、あちこち探した。


銀座教会は、ギター禁止と言われたそうです。9


42月朋友ビル、8月に鷹匠ビル、955月塗装会館と渋谷で3回場所を変えた。


音響機材等、いつもたくさん運んで礼拝した。


でも、「子供は連れてこないでくれ」「そんなの教会じゃないよ、どうしよう」。


礼拝に若林から自転車で来ていた小柄な紳士が「よかったらうちの倉庫を使ってください」お茶の丸幸の代表取締役であった今坂さんでした。


倉庫を片付けて、エレベーターを取り払ってくださり、ほかにも色々備えてくださったのです。



3階の明るいスペースで50人程が礼拝でき、2階では教会学校をしたり、お茶を飲んだり。


199732日、三軒茶屋(住所は若林3丁目)で礼拝開始。


 今坂さんは、さらに、町田の会堂購入に当たり、大活躍されました。




 私は、JTJのテープで91年に平野先生に出会いました。


「この人は主を体験している」。わかりやすく、面白かった。


1994年秋のスクーリングが平野先生でした。


当時、私は自分の教会と衝突していましたが、ローマ書の講義で色々謎が解けました。


巡り巡って19995月頃、木曜礼拝、すぐに英語の礼拝、日本語の礼拝に参加しました。


それまで体験してきた礼拝に比べ、軽くて、まぶしいように明るく、こんなのでいいのかしら。でも神は光…やがて、私も喜びと光に染まり始めました。


平野先生の語る信仰のことばが侵略してきたのです。


年末に主人と転入会した時、丸幸ビルの鍵を渡され、「家庭集会を教会でやりなさい」、バイブルティータイムが開始できました。

 

町田は98年に会堂を購入、2001年にバイブルカレッジが始まりました。


インターナショナルスクールも行われました。


 三茶の礼拝から、北川姉の種まきで埼玉ホライズンが生まれ、やがて名古屋に飛びました。


千葉ホライズンも三茶に来ていた方々から生まれました。


西岡先生、奥津先生、勝田先生など、元気に奉仕されました。


ほかにも個性的な兄弟姉妹がたくさん。



 ある時期、おにぎりづくりに取組みました。


ファミリー・カウンセリングの荒木さんのオフィスで日曜日の夕方礼拝があり、そばの新宿中央公園で石橋兄と奥津兄がホームレス伝道を始めたのです。


奥津先生の努力で大発展したため、月曜日に変わり、その後も井村姉など新宿に通っておにぎりをつくりました。


私も月曜日の夕方、約300人の方々と礼拝し、食べ物を配り、祈りました。


そこから礼拝に来られ、洗礼を受けた方々もいらっしゃいました。




 会堂は、今坂さんの好意で無料だったのですが、お茶の丸幸の経営陣の交替があり、いつまでも甘えてはいけないと、礼拝する場所を探し始めました。


納得できる所がみつからない。高田馬場に移ることになりましたが、実現せず、丸幸さんに家賃を払いながら、さらに探していました。


会堂を探し始めた頃、私は「イエス様、会堂がみつかったら、フルタイムで教会オフィスの奉仕をします」と勝手に祈りました。



 2006年春、今の世田谷チャペルが見つかりました。


古い、いかめしいビルでしたが、HBCの神学生や、カルバリーチャペルから来て下さった奉仕者が、ハンマーをふるい、高い足場に登り、がれきを運び、ペンキを塗りました。


勿論、業者の工事もありましたが。そして、2006917日にコンクリートむき出しの床の上で最初の礼拝をささげ、1015日に献堂礼拝となったのです。


さらに、20074月、午前7時の礼拝が始まり、20084月、塩崎夫妻によってシャイン・キッズ保育園が始まりました。そして、受洗や、転入会、引っ越しなどで多くの兄弟姉妹が加わっています。





この教会で礼拝がさらに大切にされ、御霊の水滴が大きな流れになりますように。