・・つづき。
なんて京都の人は
ホスピタリティー溢れているのでしょう。
「あ~、トレイルを歩いてはるんですね。
でしたら、ここを行かれたらよろしですよ。」
ツーリストが多い土地柄だからか、
私のいでたちを見て 訪ねるとすぐにこんなふうに答えてくれました。
例えば、別の県のある山麓を歩いていたとき、ここがトレイルになっていることを知っている方なんて
観光業関係者か、山好きな移住の方かetc・・ちょっと限られていた感じがします。
そういう私も東海自然歩道が通っている傍で育ちましたが、あまり詳しく認識していなく。
困っている人を見かけたら、京都人を見習おう!と、思いました。
今回、この話の結末は、時間切れでした。
断念した’蹴上(けあげ)’で入った麺屋のご主人とおばあちゃん。
「山経由は無理でも、南禅寺をぬけ哲学の道へ。それで銀閣寺から登ったら大丈夫!」
お帰りはどちらへ?
・・名古屋です。
そしたら、京都駅までバスに乗ったらええですよ。
・・帰りのことまでなんか聞いていないのに
おおきに!!
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
さて、話は戻って
『滑石街道』。
またしても、親切なおじいさんが
「トレイルからは外れるけれど、
この道を行って タバコ屋さんから登り口へ行った方が分かりやすいですよ。」
外れるのねん
もう迷子は嫌よ~~~~ん
と、内心泣きながら とぼとぼ歩いた街道でした。
どっこい
あれから一週間。
猛暑の中を 滝のように汗を流し歩きスリムになったのに
すっかり元に戻った頃。
『滑石街道』界隈は、’忠臣蔵’赤穂四十七士の長 大石内蔵助が敵に「仇討なんぞ忘れたゾ。」と、思わせるため一時居住していた地域だと知りました。内蔵助はここを拠点に主に祇園へ芸者遊びに’うつつを抜かしたフリ’をしていました。
(’滑石’=冬にここを越えた内蔵助も足を滑らせたであろう「大石も滑る」から由来する説があるらしい。)
今年のおびば家お兄ちゃん。
名古屋こども歌舞伎でまさに、その役を演じます。
敵に油断をさせつつ 遊び呆け
しかし鋭い眼力 力強さを表現する 難しい役どころ。
迷子になり、この街道へ導かれたこと
必然的だったのかも。
この先長い道中、もう道に迷うことはありませんでした。
滑石街道から山に戻り
街をみると ここは京都だ!と思わせてくれるトレイルで
暑い!!&時々コバエぶんぶん族 きつかった。街へ下りよう・・何度思ったことでしょう。
序盤で1時間ほど有意義な?時間のロスがありましたが
その後すっとばし、4時間程(含・休憩)で伏見稲荷から蹴上へやってきました。
東山トレイルは山へ再び登りますが
時間がなくなってしまったため、麺やさんに教えてらった道で下を行き、
銀閣寺から大文字火床をめざし登ります。
琵琶湖から京都まで
水道用水の確保と船での交通の充実を図るため明治時代に建設された琵琶湖疏水。
台車に船がのっています。水陸両用車の明治ヴァージョン 夢の跡。
銀閣に辿り着きました 街は37℃。
ヘロヘロもーだめ。。背中のデイバッグ暑い(ペペロンチーノどうして持ってきたんだろう・・)
か、家族のため 最後のひと登り
大文字『大』
向かって右はらいのところを眺め 走り去っていった外国人青年。
無病息災。
おびば家玄関半紙のうえ そっと一握りの
夏のあと。