こんにちは。Bibakoです。
あ~ぁ、なんで叱られなあかんねん!私っ!
これ、あんたの為にやったのにぃ…。アホたれっ!
ってなこと、私は家でよくあるのです。
例えば、良かれで夫が仕事で散らかしている、伝票類やレシートを見やすいように整理して、夫の仕事机の周りを片付けると必ず…
マミ、ここにあったレシートどこにやった?触るなって、何度言ったらわかるねん!
こんなんされると、仕事にならへんやろがぁ〜!
って…。こんな理不尽なことを言われてしまうのです。
それにね、家の夫は自営で、現在は会社を立ち上げて、とりあえず、小規模な個人商店的な会社の社長なんですが、社長とは名ばかりで、自分でひとりで何でもやってます。
つまり、社長兼営業マン兼経理兼人事兼…なんでもやってる、ワンマン社長なんです。
それはええとしても、まぁ、この人、シンガポール人には珍しい、シンガポールの天然記念物的な『アナログ人間』。
未だに、会社運営も古いやり方で、PCのシステムを入れると全て解決できることも、自分の目や自分の身体で確かめないと信じられない人なのです。
ですから、シンガポールの会社では考えらないようですが、夫の仕事上の事は、未だに『紙』上の作業をたくさん抱えています。
私の目の前ににある問題としては、私やったら絶対に、こんな人(夫)が自分の同僚で、会社の仕事上の机が隣なら、毎日、私はキレてると思うほど、整理下手!
常に、自分の書類関係や特に紙類が、机の上だけでなく、床にまで散乱していて、ペンや文房具的なもの、ノートパソコンのスイッチはかろうじて消してあるけど開けっ放し、マウスも床に転がりっ放し、元の電源はスイッチ入れ放し、しかも、我が家は、電気物が多くて、普通に、あちこちタコ足電源なので、元をきっておかないと危なくて仕方ない!
夫は事務所を別に借りていないので、事務所は自宅です。
だから、私は大迷惑なんです!
でもね、いろいろ夫の仕事を考えると、私の自己犠牲愛は満開になり、いいよ!家が事務所とトゥギャザーでもってことで、許可してるんです。
我が家は、普通の庶民サイズのHDBです。日本風にいうなら、3LD・Kプラス狭い納戸という間取りなので、家族4人で、子供達もそれぞれ自分の部屋をとると、必然的に私と夫の寝室が私達の共有する、本来なら、リラックスできるスペースで有るべき部屋です。
でも、この間取りでは、夫の仕事部屋などはなく、とりあえずは、私達の寝室の隅に、夫の仕事机を設置しています。
すると、整理下手の夫にかかると、あっという間に、ここは倉庫か?くらい散らかるのです。
また、それだけでなく、夫はリビングも侵略して、リビングのあちらこちらに、仕事で使ういろんなものを散らかします。
更には、玄関にまで、自分の仕事かばんを点在させておいたり、バイクを使う仕事をしているので、バイクのオイルや何や知らんけど、汚いオイルまみれの布などを、本人なりにはまとめているつもりなんだろうけど、『ここは整備工場か?』って感じで、玄関の外も、めちゃくちゃ汚い事をするんです。
堪りかねて、私が片付けると…
あ~ぁ、こんなことされると、仕事やる気も失せるっ!
てな事になり…、ホンマにあんた誰?
ってくらい私は頭に来て、夫の自分勝手さや自己愛の強さで『自分がする事に口出しされるのを嫌う性格』に呆れかえることがずっとありました。
でもね、これって、ほんの一部やねんけど、うちの娘も息子も自分がすることに、私が何か否定的な事をいうと、キレてしまうんですよ。
更には、職場でもスタッフ同士でも、必ず、それぞれの自己主張の強さからトラブルになる事が、シンガポール人同士では多くあるんです。
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私は日本人なので、家でも職場でも、その場の雰囲気や空気読む的に『自己犠牲』して、自分の意見とは相反することでも、自己主張の強さはゼロではないにしろ、加減して、あまり出さないように振る舞ってきました。
これが、日本人のコミュニケーション力の高さとして、自己犠牲的な振る舞いは、日本人の美徳とまで言っても過言ではないと思っています。
しかもそれは、現代においても、日本の中では、日本人にはなくてはならない、公共のマナーなのかも?しれません。
しかしながら、最近の日本人のご家庭では、自分優先のお父さんやお母さん、大人が目立つようになりました。
社会の中でも、『自己愛』が強い日本人が目立つようになりました。
最近の日本人は、社会でも、家庭内でも、自分が決めた事や自分がする事に、他人から口出しされるのを嫌う傾向です。
でもね、これは、シンガポール人や外国人のそれとは、性質がちがうんですよ!
ご存知でしたか?
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私は、つい最近まで、自分の家族のシンガポール人達が、『自己愛』が強いのは、シンガポール人の気質・南国気質として諦めていました。
それに、確かに私のように、自己犠牲的なことをするシンガポール人には、あまりお目にかかったことはなく、家での評価は『最悪』でした。
マミは自分を愛していないのか?自分を大切にしていないとか…
シンガポール人の友人には、ヘタレ的な意味合いで、もっと、はっきり言えばいいのに、なんですぐに謝るのよっ!って…
なんだか、私にとっての『自己犠牲愛』は、シンガポールでは、否定のオンパレードされていて、なんだか、腑に落ちませんでした。
でもね、ある日、といっても最近だけどね…
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実は、2-3日前から記事にもしているいるけどね、父が倒れて、特に命の別状はないらしいのですが…。
お医者さんの話では、持病が悪化していて、発作で呼吸困難になり倒れたのですが、心臓や臓器の機能がかなり低下しているので、今度、発作が起こって呼吸困難になると、命の保証はないと、家族には説明があったようです。
それを聞いていたので、コロナは承知の上で、できるだけ、なんとか、帰る方向で私は考えていました。
すると、家族の大反対にあいました。
お前は馬鹿か!コロナをなめとるんかっ!
ここにいる家族の迷惑考えてないのか!
的に、家族全員から叱られて、落ち込んでいました。
確かにそうです。
シンガポールは日本とはコロナに対する国の考えが違います。
例え感染しても、軽症や無症状なら良いという考え方は、シンガポールにはなく、コロナ完全抑え込みを政策として、コロナのワクチンや薬が確定しなくても、コロナを完全に封じ込めることを国として、コロナ対策の『一丁目一番地』に置いています。
すると、私がうっかり、コロナに感染しているのを知らずにシンガポールに戻り、2週間の待機の期間にがすぎても、もし、どこかで発病すると、大変な事になってしまいます。
これについては、家族に多大な迷惑をかける事は、私も知っています。
コロナの検査や治療にかかる費用、現在はシンガポール人は無料です。
でも、私が個人的な理由で、渡航して、もし、コロナをもってシンガポールに帰国すると、この医療費用が全て自己負担になります。
メディセーブも、市販の保険適応もできないというペナルティが、シンガポールにはあるんです。
シンガポールは医療費は、ほんとに高いです。ましてや、コロナはまだ、薬や、ワクチンも確定していない感染症の疾患です。すると、その開発費用を含んだ形で、実際には、検査も医療費用もかなり高額になります。
それが、いまは、シンガポールでは国民は無料です。PRでも、シンガポール人家族としての外国人なら、たとえ、重症化しても、最後まで自己負担なしに治療してもらえます。
外国人については、検査は無料ですが、コロナの治療についての費用負担は、よくわかりません。たぶんですが、市販の医療保険をお持ちならカバーしてもらえるはずですが、多少の自己負担があるのかも?しれません。
シンガポールでは、国からの医療保険制度の質は悪いので、医療保険は自分で、市販の保険を買わないことには、国からのものは、あっても期待できません。
シンガポールでは、コロナに関しては、ビジネスでの渡航以外は、全てプライベートな理由ということになります。
例え、家族の不幸であっても、理由は認められません。
すると、うっかりコロナに感染してシンガポールにもどると、何百万円という多額な医療費を、自己負担100%という、家族にとっては多大な迷惑をかけることになるんです。
いえ、ほんとです。
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それとは別に、私は『父が心配で帰りたい』という気持ちが勝っており、私は、帰国を家族に反対されて、かなり落ち込んでしました。
しかし、よく考えてみると、家族が私のする事に反対したのは、今回が初めてでした。
私が友人と高いレストランでご飯をたべようが、好き勝手な時期に日本にさっと帰ってしまうことをしようが、日本滞在を長くして、何日家をあけようが、一切なにも言われたことありません。
最近は、家事も自分のペース。ご飯も私が友人と夜、飲みにいくとか、ご飯食べるとかの理由で作らなくても、全然みんな平気なんです。
それくらい、私のすることに口出しされたことがありません。
でもね、これって、シンガポール人は自己愛つよくて、自分がしていることを人から口出しされたくないけど、人がしていることにも口出ししないんです。
つまり、自己愛が強い分、人の自己愛には理解を示すことができるのが、シンガポール人の自己愛であり、自己主張だと学習したんです。
そう考えると、全て、今までの事は辻褄が合いました。
でも、コロナ的なことは、家族全員が、それぞれ、自分にとっては、私がもしコロナに感染してシンガポールにもどることは、自分にとっての『迷惑だ』という判断のもと、みんな反対したのだと思いました。
シンガポール人の場合、全て人のする事を口出ししないのではなく、自分にとって、迷惑だと判断したときだけ、人のする事に、口出ししたり阻止したりするんです。
基本的には、大抵の方々は、ほとんど、人のする事には関与しないというのが、シンガポール人です。
でも、これが正しいシンガポール人の『自己愛』のあり方なんだと思いました。
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私のように自己犠牲愛をもっていると、家族からみると、偽善者的にみえるようです。
時々、息子や娘も、日本人は口で良い事をいっていても、腹の中はわからない『汚い人』的なことを言われることがあり、偽善者扱いされることもありました。
私としては、ほんとに、こんな事を子供達から言われると、悲しい気持ちになりました。
でも子供達は、私が自分達のことを一番に考えてくれていることについては、ちゃんとわかってくれていて、感謝を述べてくれることもあります。
だから、今回、私は家族の話に耳を傾けて、父にもしものことがあっても、コロナが世界中で落ち着かない限り、シンガポールからは出ない決意を固めました。
これは、実は、日本の姉と話をしていたとき、姉が同じことをいいました。
私が帰るというと、姉は帰って来なくていいから、もう、お父さんのことは私と弟でなんとかするから、あんたは、シンガポールにおったらええからと、言いました。
初めは、お姉ちゃんはお父さんと折り合いが悪いから、私の気持ちなんてわからないっ!って思いました。
でも、それは違いました。これは、姉の優しさなのかも?しれないと思いました。
あれほど、折り合いが悪い父のことでも、自分がなんとかしなければならないと、姉も決意してくれたようでした。
以前は、私だけが、いつもお父さんのことを気にかけてあれこれしていたこと、姉は白けた目でみていました。
だから、私は、姉はきっと、お父さんになにかあっても、蚊帳の外的なことしかしてくれないだろうと、疑っていました。
だから、私は今回、なんかして帰らないと…と考えていました。
でも、姉もシンガポールのことは私から聞いて知っていました。
すると、あんたは、シンガポールからでたらあかん!って、言ってくれたんです。
ほんとに、びっくりしましたが、姉の言葉にも支えられて、私は帰らない決意ができました。
お父さんとは、容態が落ち着いて、話しても身体に負担がかからなくなったら、姉のラインで父とビデオトークさせてもらおうと思いました。
父はガラケーの携帯しかもっていませんし、国際電話は、父の携帯からはかけられません。
父は、家の電話でないと、私とは話たいときに話せないんです。
私の携帯からは、父の携帯に電話かけることはできますが、病院では、患者さん当人の携帯の使用は、病院の許可がいりますから、勝手に、父の携帯に電話をかけることはできません。
面会者の携帯については、使用は他人の迷惑にならない程度で認められていますから、姉にお願いしてみようと思います。
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私は、日本人である以上、自己犠牲愛がある人のほうが、日本人らしいと考えています。
最近の日本人はアメリカ人化してしまって、ヨーロッパ系の外国人よりも、自己主張や自己愛が強い性質に変わりつつあるのかな?とも思えます。
でもね、たとえ、アメリカ人でも、自己愛や自己主張の強さは、シンガポール人と同じで、他人がする事には関与せず、自分の価値観は自分の中で消化しているのだと思えます。
日本人の若者は、中途半端な進化してしまい、現在のアラサーやアラフォーファミリーの方々に多い問題点は、自分のすることを、妻や夫に口出しされたくないのに、自分の価値観の理解は、相手に要求したり、相手のすることを自分の考えだけで口出ししてしまうことにあると思います。
偉そういってますけどね、お恥ずかしい事に、私は、長年、シンガポール人の夫や子供達と暮らして、なんと!つい最近、この事に気がついたんですよぉ…
私の自己犠牲愛はなくならないですが、これを、夫や子供に理解してもらうことが、自分のエゴであったように思います。
私は、今は、コロナのせいで、父の事で日本に帰れないこと、結構気持ちが楽になりました。
みなさんは、どう考えられていますか?
日本人の自己犠牲愛の美徳と、外国人の自己愛の美徳について…