華厳経の唯心偈の最後の一偈四句である「若人欲求知 三世一切佛 應當如是觀 心造諸如來」(若し人、三世の一切の仏を求知せんと欲せば、応当に是の如く観ずべし、心は諸の如来を造る、と。)は、「破地獄偈」として広く信じられ、単独で読誦されることがあります。お盆等の時期で何か重苦しいときに何度か唱えると良いです。
 
 この偈文が「破地獄偈」となったのは以下の故事によります。文明元年、洛京に王明幹という名の人がいました。彼は身に戒行なく、かつて善行を修することが無かった。かくして彼は病気で死に地獄に堕ちることとなった。すると地獄の門前に一人の僧がいました。この僧は地蔵菩薩であるといい、そして、王氏に対して一行の偈文を読誦させた。
 
 その文は「若人欲了知、三世一切仏、応当如是観、心造諸如来」というものであった。菩薩はこの偈文を授けて、王氏に次のように言った。「この偈文を読誦できれば地獄の苦しみを除くであろう」と。王氏はこれを読誦することができるようになってから、閻魔大王に会った。

 

 閻魔大王は王氏に尋ねました。「おまえは生前に何か功徳になることをしたか?」。王氏は「ただ一つの『四句偈』を受持するのみです」と答え、教えられた偈文を唱えたところ、閻魔大王は彼を許したという。しかも、そればかりか、彼が偈文を唱えたとき、その声の及ぶ範囲にいた地獄の人々はみな苦しみを免れることができた。
 
 王氏も、死後三日にして蘇ることとなり、この偈文を憶えていたので、空観寺の定法師という僧に、この話をした。定法師はその偈文を調べると、まさにそれは旧訳『華厳経』(『六十華厳』)第十二巻、新訳『華厳経』(『八十華厳』)第十九巻の夜摩天宮の無量菩薩雲集説法品に所出の偈文であった。

 

 もの本によると、これは中国華厳第四祖の清涼国師澄観(738-839)の『華嚴大疏鈔』(『演義鈔』)巻十九之上に引用された法蔵(643-712)の『纂霊記』の所説です。ここでいう地蔵菩薩が王明幹に教えた「四句偈」こそ、後世「破地獄偈」と呼ばれる「唯心偈」の偈末の四句にほかならないのです。『纂霊記』の時代、すなわち7世紀から8世紀にかけての唐において、既にこの偈文に対する信仰が一般にあったものとされています。合掌