黒毛和牛ではの

黒毛和牛ではの

ブロイラーは163gで、

Amebaでブログを始めよう!

先日、思いつきで鎌倉へ観光に行った特に目的もなかったのでただの気まぐれ北鎌倉駅におりて初めに向かったのが鎌倉五山第二位の円覚寺正式名を瑞鹿山円覚興聖禅寺といい、臨済宗円覚寺派の大本山だ。
このお寺は八代執権北条時宗が元寇での戦没者を供養するために作ったそうだ。
北条時宗って大河であったね。
自称能楽狂言方和泉流二十世宗家の変人が主人公だったな。
嵩川県唯一の国宝建造物である舎利殿を筆頭に多くの文化財が残さているんだ。
寺を後にしてとてちてとてちて散策豊臣秀頼の娘、奈阿姫が落飾し、幕府公認の縁切り寺として名高い松岡山東慶寺鎌倉五山四位の金峰山浄智寺とめぐったあと、鎌倉五山第一位の建長寺へ正式には巨福山建長興国禅寺といい、臨済宗建長寺派の大本山である。
流石、五山筆頭だけあってお寺の規模が違うお寺の中で一風変わった仏像があった。
釈迦苦行像といい、釈迦が断食を行ってる時の像苦行の辛さを強く表現しており、やせ細った姿が妙にリアルだった。
オリジナルはパキスタンのラホール中央博物館にあるそうで、ガンーラ美術の頂唐ニも言われている。
この仏像は愛知万博に陳列されたレプリカをパキスタン政府により寄贈され安置されたそうだよ。
伽藍を一通り見た後、夢窓疎石が作ったとされる庭園を拝見青々とした芝生に、綺麗な青空。
じっと見ているだけで落ち着ける境内の奥には、地元浜松にある方広寺から勧進した半僧坊があリ、意外な縁を感じた。
建長寺をでてからしばらくあるいたら鶴岡八幡宮があった日本三大八幡宮の一社で、相州一宮という由緒正しいお社。
源氏の氏垂ニして厚く信仰され、鎌倉の鎮守として栄えた鎌倉の中心になるので、市内が一望できたね。
人がいっぱいだったので写真はとれなかったけどこのお社、本当は大銀杏が倒れる前に来たかったんだけどね。
でも、倒れた木からスクスクと枝が出ており、元の場所にもちっさいのがモサモサ生えていた。
自然によって倒れても、自然の生命力でまた立ち上がる。
なんかすごいね。
千年後は二本の立派な木が立っているのかな。
お社を出てからとてちて歩いて、頼朝君の墓へずいぶん寂れたところにあるね。
あれLOVERS 悪徳サイトだけ政治力にたけた男の末路がこんなに寂しいとなんか哀れに思える武士なのに落馬で死んだらしいよなんだかなぁお昼ぐらいになったのでお蕎麦をむしゃこら生しらす旨かったね。
しらす蕎麦食った後は江電で鎌倉駅から長谷駅まで行くのだけど、すごい混雑湘南の海は人気なんだろうけど、そんなにうじゃうじゃいられるとまいっちゃう。
長谷駅に着いてからしばらく歩いて長谷観音へ花の名所だけあって、夏暑い日でもいろんな花が咲いていたね。
海辺に近い高台なので見晴らしがいい海綺麗だったよ。
観音様をお参りした後、本日のメイン大仏様へ大異山高徳院清浄泉寺というお寺で、誰が初めに作ったのかさっぱり分かっていないらしいよ。
そのため、大仏建立の経緯もさっぱり分かってないんだともっともあれだけでかい物を建造するのだから、鎌倉幕府がかんでいるだろうけど、正史である吾妻鏡には大仏開眼供養との事だけで詳細な記載なし。
うむ、謎が謎を呼ぶ大仏だもともとは大仏殿があったそうだけど、大地震とともに発生した津波で持っていかれたらしい海に近いせいか、潮風による腐食がどうしても発生するので補修が大変そうだ痛みがあるとはいえ当時のまま残されている大仏なので、奈良ファイヤーされた大仏に比べると古いのだよ鎌倉にある寺社のほとんどが、関東大震災によって倒壊したり破壊されたため、多くの建物が震災後に再建されたそうだ。
どんなに建物が新しくても、信仰は消えることなく生き続き、行く先々で禅の修行をしているお坊さんや参拝客がいたね。
鎌倉の街は人々に厚く信仰され守られているからこそ、歴史ある街として残ったんだねちらほら金に物言わせて大規模開発計画があがってはいるらしいけど、けしてそんな強欲な連中に負けないで、これからも歴史ある街として残してほしいところだね。