資料を読んで答えよ
高級な唐物中心の茶の湯でしたが
室町時代の後期から
国産の日常的な器や和物を使った「侘び茶」が登場します
戦国時代の茶人
村田珠光によって創始され
その理念を
武野紹鷗(たけのじょうおう/1502-1555) が引き継ぎ
武野紹鷗像
武野大仙公園内(堺市)
16世紀後半に
千利休(せんのりきゅう/1522-1591)が
千利休 長谷川等伯画
禅の理念も取り入れながら理論化し
「侘び茶」を完成させたといわれています
侘び茶は
「零落する」「失望する」などを意味する
「わぶ」に由来しますが
やがて 不完全や質素 粗略の中に
美を見出して 洗練されていきました
心の豊かさ や
簡素で静寂な境地を重んじています
秀吉から大名や町衆
僧を含む幅広い層に浸透していきました
待庵
「待庵」(たいあん)は
秀吉の命で山崎城内に
千利休が建てたとされる茶室です
屋根は
切妻造り(きりづまづくり/本を開いてふせたような山形の形状)の
杮葺き(こけらぶき/薄く短い板を重ねたもの)で
入口は
にじり口(片引戸の小さな出入口)
内部は
土壁や皮付き丸太の柱をそのまま用い
一切の装飾を排除
角に炉を切り
室床という独特の床の間
利休は
二畳の中に「侘び茶」理念を凝縮させた
簡素な茶室を完成させました
(ちなみに
杮葺き(こけらぶき)ですが
柿(かき)ではないですよ
柿(かき)の「市」の部分は上がなべかんむりですが
杮(こけら)のほうは たてに1本つながっています)
待庵のある妙喜庵(みょうきあん) 玄関
663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f5/Myokian02_2048.jpg
こちら
2018年に森美術館での「建築の日本展」で
待庵が原寸で再現されていました
(ものつくり大学の学生たちによって再現)
にじり口(出入口)がよくわかりますね
茶室の中では誰もが平等で
どんなに身分の高い人でも
武器を外して 頭を下げて入るようになっています
中の様子はこちらの復元で
出題:美術検定2級問題集ー応用編:アートの知見を広げる 美術出版社 2019
参考図書
改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト (株)美術出版社 2019
続 西洋・日本美術史の基本 美術出版社 2018
増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 美術出版社 2020