資料を読んで答えよニコニコ

 

【資料】
「茶道(茶の湯)」の源泉は、鎌倉時代に禅宗とともに中国から入ってきた宋風の喫茶習慣です。それが次第に寺院や武家社会、庶民に広がり、作法や道具、設え、精神的な訓練まで含む総合文化として日本で独自の発展を遂げました。とくに「侘び・寂び」を重んじた茶道のスタイルを、桃山時代に千利休が完成させました。利休ら茶人たちは、自分好みの道具や設えを創造し、後世の文化にも大きな影響を与えました。

 

Q.229
下線部より以前に、侘び茶を創始したとされるのは誰?

①一級宗純

②村田珠光

③武野紹鴎

④能阿弥

 

 

 

 

答え ② 

村田珠光(むらたじゅこう/1422/23~1502)

 

 

高級な唐物中心の茶の湯でしたが

室町時代の後期から

国産日常的な器和物を使った「侘び茶」が登場しますキラキラ

 

 

村田珠光

 

戦国時代の茶人 

村田珠光によって創始されキラキラ

 

 

その理念を

武野紹鷗(たけのじょうおう/1502-1555) が引き継ぎ 目

 

武野紹鷗

武野紹鷗像

武野大仙公園内(堺市)

 

 

 

16世紀後半に

千利休(せんのりきゅう/1522-1591)が

 

千利休

千利休 長谷川等伯画 

 

禅の理念も取り入れながら理論化し

「侘び茶」を完成させたといわれていますビックリマーク

 

 

侘び茶は 

「零落する」「失望する」などを意味する

「わぶ」に由来しますが

 

やがて 不完全や質素 粗略の中に

を見出して 洗練されていきましたキラキラ

 

心の豊かさ

簡素で静寂な境地を重んじています照れキラキラ

 

 

秀吉から大名や町衆 

僧を含む幅広い層に浸透していきましたキラキラ

 

 

 

 

 

Q.230
千利休が建てたとされる妙喜庵「待庵」の内部の広さは?

①二畳

②三畳

③四畳

④四畳半

 

待庵

待庵

 

 

 

答え ① 二畳

 

「待庵」(たいあん)は

秀吉の命で山崎城内に

千利休が建てたとされる茶室ですビックリマーク

 

屋根は

切妻造り(きりづまづくり/本を開いてふせたような山形の形状)の

杮葺き(こけらぶき/薄く短い板を重ねたもの)で

 

入口は

にじり口(片引戸の小さな出入口)

 

内部は

土壁や皮付き丸太の柱をそのまま用い

一切の装飾を排除キラキラ

角に炉を切り

室床という独特の床の間

 

 

利休

二畳の中に侘び茶」理念を凝縮させた

簡素な茶室を完成させましたビックリマーク

 

 

 

(ちなみに
葺き(こけらぶき)ですが
(かき)ではないですよ目

柿(かき)の「市」の部分は上がなべかんむりですが
(こけら)のほうは たてに1本つながっていますウインク)

 

 

 

妙喜庵

待庵のある妙喜庵(みょうきあん) 玄関

663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f5/Myokian02_2048.jpg

 

 

こちら

2018年に森美術館での「建築の日本展」で

待庵原寸で再現されていましたビックリマーク

(ものつくり大学の学生たちによって再現)

 

にじり口(出入口)がよくわかりますね

茶室の中では誰もが平等で

どんなに身分の高い人でも

武器を外して 頭を下げて入るようになっています照れ

 

 

 

中の様子はこちらの復元でキラキラ

 

 

 

 

 

 

出題:美術検定2級問題集ー応用編:アートの知見を広げる 美術出版社 2019

参考図書

改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト (株)美術出版社 2019

続 西洋・日本美術史の基本 美術出版社 2018

増補新装 カラー版日本美術史 辻惟雄監修 美術出版社 2020

芸術教養シリーズ2 飾りと遊びの豊かなかたち 日本の芸術史 造形篇II